コマンドマガジン『河越合戦』大きい図はこちら。
今年初めの茨城会へ参加しました。
事前に対戦が決まってなく、緊張感が減じたためか、二度寝して寝過ごしてしまいまして。遅刻に焦りながら10時過ぎに到着すると、茨城会らしく午前中の出足は低調(´・ω・)。
対戦が始まる気配は、aoさんとにしさんのコマンドマガジン『河越合戦』のみ。折角だからと、観戦していると、これが見ていて楽しい戦いになりまして(0゜・∀・)
その後に、ぼちぼち参加者は現れましたが、事前に対戦が決まっていたり、インストに小一時間かかったり、と。
まあ、無理に参戦する事もないと、『河越合戦』の記録員に徹しました。
陣営は、北条方をにしさん、反北条方をaoさんが担当。
にしさんは初めての対戦で、aoさんは3回ほど経験があります。
『河越合戦』の概要を解説しておきましょう。
新鋭デザイナーである吉川龍虎氏のデビュー作になります。
河越合戦についての史実は殆ど分かっていません。通説は沢山あるんですけどね。
分かっているのは、新興勢力の北条に対し、古河公方と扇谷上杉、それに山内上杉が同盟し、北条と河越城を巡って戦い。その結果が北条方の勝利となり、以降関東の覇権は大きくそちらへ傾いていった、と。ですから、どう料理しても問題ないんですね。
ゲームシステムはNAWに、チット引きを加えたもの、といえるのではないでしょうか。
手順は、反北条方の山内上杉、扇谷上杉、古河公方、それに北条の2枚チットをカップへ入れ。そこから引かれた順番に、移動⇒戦闘を繰り返して行きます。
ZOCは戦闘結果でしか離れられない強ZOC。戦闘結果は一般的なDEとAEの壊滅。それに多いのが、D1・A1、D2・A2になります。これらの結果を適用された場合、数字分のステップ数を失うか、ヘクス数退却する事となります。乱戦もありまして、これは両軍とも1ステップ失うもの。面白いのは「連鎖退却」ができること。普通、敵ZOCに取り囲まれている場合は、退却ができません。ところが、味方ユニットが敵ZOCにあれば、そのユニットを押し出す形で退却ができるのです。その代わり連鎖退却をしたユニットは混乱します。
北条方だけ突撃という名のオーバーランができます。オーバーランは、移動中に敵ユニットへ行う戦闘で、対象ヘクスへ進入するのに必要な移動力に、追加の3移動力で可能となります。オーバーランを受けて退却したユニットは混乱し、次の手番終了までZOCが無くなり、移動・戦闘が不可。
反北条方には、武将ユニットがあって、それの指揮範囲内にいなければ、戦闘力・移動力が半減し、混乱からの回復もできません。ついでに、反北条方の大多数はアントライドで戦力が実際に戦ってみないと分からない上に、スタックもできません。北条方は2枚までスタックが可能で、戦力も反北条方の最強ユニット(5~6戦力)と同等になっています。
チットの数や武将の縛り、それに突撃など様々な優遇策により、圧倒的な軍勢ながら連携が取れず、小回りの効かない反北条方。少数ながら、精鋭な軍勢で大軍へ切り込んで行く北条方、と。
不自然かつ不可解な陰謀ルールを用いずとも、両陣営の特性が現れており、プレイした人間からは、大変高い評価を得られています。
さてさて、何時ものように前置きが長くなりましてね。
ここで区切ってリプレイは次から読み物風にして続けましょう。
『第一の巻き』氏康は闇に沈む河越城を遠望しつつ、歯軋りを止められなかった。
東海の今川に呼応して、関東管領の山内上杉憲政が策動。死に体であった上杉朝定も兵を集め。さらに長年味方していた古河公方の足利晴氏すら背を向け、両上杉勢へと合流。要所の河越城を囲んだのである。
背面の今川とは武田家の仲介で和睦を成し遂げられたが、そのために失った物も多かった。そうやって犠牲を払いつつ、下野へ急行したのである。
猛将の北条綱成が篭る河越城は包囲半年を向かえ、落城寸前の有様である。昨夜、綱成の実弟である福島弁千代が物売りに身を隠して、川越城へ辿り着き、それを示す狼煙が上がった。氏康は乱波により偽の噂を流し、氏康本隊が何処にあるかを、敵方へ判然とせぬようにしていた。その中を強行軍に次ぐ強行軍により、密かに敵方の南西へと陣を構えたのである。
大きい図はこちら。
順番:山内上杉⇒北条⇒古河公方⇒扇谷上杉⇒北条
すると、正面の山内上杉勢の動く気配が、闇から聞こえてきた。川越城へ向かっているようだ。
氏康は「ここが死に場所ぞ!我に続けー!」と大音声で叫び、山内上杉勢の背後から突進を開始したのである。
突然の北条勢に、動揺をきたした山内上杉勢であったが、老練の小幡三河守憲景が奮戦。氏康本隊の正面に躍り出て、唯一隊で突進を食い止めた。
「氏康現る!」の急報を受けた扇谷上杉勢と古河公方勢は、川越城の包囲を狭めるとともに、激戦中の山内上杉勢を援護すべく兵を寄せ。さらに、足利晴氏は若武者の梁田晴助の軍勢を北条方の東側面に。上杉朝定は太田民部大輔資正の軍勢を西側面へと、進出し東西から締め付ける。
『第二の巻き』大きい図はこちら。
順番:山内上杉⇒北条⇒北条⇒扇谷上杉⇒古河公方
小幡三河守の善戦による、北条勢の停滞を見た山内上杉勢は、冷静さを取り戻し、先手を取って混乱を回復。家老の長野信濃守業正が小幡勢の後詰へ送り出した。
粘る小幡勢に手を焼いた氏康は、小幡勢を囲む敵方の雑兵へ目を向ける。そして、これら雑兵へ突撃を連発し、混乱に乗じて小幡勢を孤立化。取り囲んで打ち込み、遂に小幡三河守を討ち取ったのである。
「三河守お討ち死に!」の報に長野勢は動揺。それに付け込んだ北条勢は、長野勢を後退させる。
そして、右翼から圧力を加えてくる扇谷上杉勢の老将太田民部大輔資正へと別働隊が攻撃を加えたものの、撃退される。
扇谷上杉勢は、後退した北条勢を追って太田民部大輔勢が追撃。北条勢も必死に耐えて乱戦となる。
古河公方勢は主力により川越城へ圧力を加えつつ、一部を北条方の相模勢が現るとの報を聞き、東端の隘路を警戒。梁田勢はがら空きの北条方右翼へ進出、背後を窺う態勢を見せる。
『第三の巻き』大きい図はこちら。
順番:山内上杉⇒扇谷上杉⇒古河公方⇒北条⇒北条
山内上杉勢は、またもや先手を取り、混乱を回復させ、北条方に付け入る隙を与えない。扇谷上杉勢も脱落者を出しつつも、北条方を圧し多くの軍勢を取り囲む。そして梁田勢が遂に北条方の後方まで進出。川越城へ向かう北条勢は完全に包囲され、危機的な状況となった。
ここで北条方の連続行動!
悪鬼の如く戦う氏康本隊が川越城間近まで迫った、其の時。河越城の守将であった北条綱成が出撃を決断。弟の福島弁千代とともに打って出たのである。
河越勢は氏康勢の正面で立ち塞がっていた長野信濃守勢を背後から急襲。これを討ち取ると、敵方を切り裂き、氏康勢と合流を果たす。
観戦武官も対戦相手ですら、興味津々であった第三の巻きが終了した。
『第四の巻き』大きい図はこちら。
順番:扇谷上杉⇒古河公方⇒北条⇒北条⇒扇谷上杉
扇谷上杉勢は、手薄になった河越城へと寄せる。そして最前線にて北条勢に対していた太田勢は、逆襲により四散寸前となりつつも、残る手勢を纏めて必死の抵抗。古河公方は川越城へ取り付く。そして梁田勢が北条勢のがら空きだった背後へ殺到。唯一、北条方で後衛を担っていた笠原勢を多勢にて取り囲む。しかし、笠原勢は奮戦し撃退される。
相模からの増援が着陣したとの報を受けた北条方はここが勝機と見極め。
北条綱成と福島弁千代兄弟が配下へ下地「者共、この戦いは勝ちぞ!勝ったと叫びつつ突進せよ!」。氏康本隊と共に山内上杉勢へ突撃の波状攻撃を敢行したのである。
*「勝った!勝った!」宣言する事で、綱成勢と弁千代勢の戦力が倍になる。
到着早々に投入された相模勢は梁田勢の背後を急襲。梁田勢を圧倒する。
またしても北条方の連続行動となる!
相模勢の助力を受けた北条方は、東西から圧していた扇谷上杉方の太田勢と梁田勢を切り裂き、逆包囲の構えを見せる。
遅れて動き出した扇谷上杉勢は、北部の手勢を纏めて急進。川越城と北条主力勢の戦列へ割って入る。
『第五の巻き』大きい図はこちら。
順番:扇谷上杉⇒北条⇒古河公方⇒北条⇒大将:古河公方
先に出遅れた扇谷上杉勢が先手。
川越城と北条主力勢への間へ、続々と軍勢を入り込ませる。しかしながら、西方から圧していた軍勢はすでに枯渇状態といっていい。
北条主力は山内上杉勢への攻撃を継続。多くを混乱へと陥らせる。相模勢は南方からの街道周辺で激闘を繰り返す。
ここで動いた古河公方は河越城へ突入。二の丸を制圧する。そして東端で陣を構えていた軍勢を急行させる。
山内上杉勢を圧倒した北条主力勢は、矛先を川越城へ向ける。相模勢は街道を制圧。ここを圧していた古河公方勢の梁田晴助を討ち取る。扇谷上杉勢の先頭で奮迅していた太田民部大輔も討ち死に。
古河公方は再度動きを見せるが、すでに多くの軍勢が乱戦に巻き込まれており、殆ど関与できなかった。
「お味方は何処ぞ!」「それなるは敵勢か、攻めよ!攻めよ!!」という大乱戦と化している。
『第六の巻き』大きい図はこちら。
順番:扇谷上杉⇒北条⇒山内上杉⇒古河公方
扇谷上杉は北条勢へ寄せるのだが、その手前で混乱状態の山内上杉勢が立ち塞がって思うように接近できず。
その隙を見た北条勢は川越城を攻める扇谷上杉勢の背後を襲撃。解囲に成功する。
北条勢に中央を分断された山内上杉勢は、それでも東方から攻撃。北条方を拘束する。
古河公方は兵を分散させたのが崇り、思うような行動はできない。
最後に北条方は河越城まで通じる街道から、敵勢の排除に追われるが、どうしても二ヵ所で成し遂げられず。
これにて河越合戦は終了となった。
『合戦の後始末』大きい図はこちら。
対戦を終えて、勝利点数を計算となった。
北条方:26勝利得点(敵方の損失数13×1得点)
反北条方:46勝利得点(敵方の損失数18×2得点+川越城突入10得点)
結末としては、反北条方の勝利となった。
観戦武官から総評:勝利得点としては20点と大差が付いてしまっている。しかしながら、北条方がもう少し手馴れていれば、僅差になっていただろう。
まず、河越城への街道での連絡線は、それほど難しくなく、これに成功すれば+15得点を加算された。それに連発していた低比率の突撃を自重しておれば、損害の得点を減らせたろう。
これらは初戦と3回戦の経験差が出たのだろう。
それでも、にしさんとaoさんの対戦は見ていて気持ち良く楽しいものだった。ありがとう!と言わせて貰おう。
尚、この合戦の後で、氏康から奮戦を称える綱成へのメールが残されている。
「今日ゎ・・・、かわごぇとぉくて、つぅかれちゃったァ・・・。でもォ・・・、ぁきらめるのよくなぃって・・・。それでェ・・・ともちんとはるはるがじゅんぃ上って、ヤバぃ・・・かなァ・・・。でもぉ・・・やすやすとしげりんは・・・ズっ友だょ!」
『河越合戦の小言』実は、龍虎さんとは友人でして。かなり以前から『河越合戦』のテストプレイをしているのは知っていました。
本音を言えば、河越夜戦として有名な戦いをゲームにすると聞き、かなり懸念を持っていました。
私も、それなりに戦国時代の読み物には目を通しておりましたので、分からない事ばかりなんですよね。
確かに、伝説や神話に近い伝聞は伝わっています。しかし、それだけではあれだけ兵力差があった北条方が、勝てた理由としては納得できないのです。
そんな河越合戦でしたので、どのように仕上がるか期待以上に不安を持っていました。
ところが、この対戦を横から見ていてΣ(゚Д゚)スゲェ面白れー!!。
21世紀に入ってから、国産で2個目に(・∀・)イイ!と感じたゲームになりました。
いいゲームに仕上がっているのは、テストプレイに時間をかけたからに違いありません。
龍虎さんはブログでは面白可笑しな芸風です。ところが、実際に付に付き合ってみると、謙虚で保守的な面が多く見られます。それが手堅いシステムで、展開も劇的、作戦の選択肢も多岐に及ぶ、それでいてバランスの取れたゲームを生み出したのでしょう。
次の作品もデザイン中と聞きますので、大いに期待しています。
(了)
[3回]