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2024-11-24 05:03

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2011-05-20 21:50

『ガンズ:地獄への降下』@番外編

先の記事にあったように、YSGAへお邪魔してですね。往年の傑作ゲームAH『THE GUNS OF AUGUST(ガンズ)』を対戦して来ました。そのリプレイは、まあヒマな方は見てくださいな。 で、ですね。私は千葉の奥地から出て行ったんですよ。BlueBearさんに誘われまして。でも、2日間の対戦なので、自宅へ帰るのが、かなり大変。そこでマンガ喫茶への宿泊を考えたんですね。 最近、更年期か何か知らないけど、朝早く目が覚めてしまうんです。この1日目も5時前には起き出して、グダグダ過ごしてから出発。9時近くに横浜の西公会堂へ到着。それで12時間近く対戦して、何時ものように飲み会へ流れまして。そこでベロベロに酔っ払ってですね。ええ、何時のも事ですが何か?状態。そしてマンガ喫茶へ転がり込んだんですね。 いやー、良いモンでしたねえ。私は何せマンガもあるし、パソコンもある。シャワーもあって、飲み物のフリー。これじゃあ、今の若い者は自動車やバイクを買わなくなるわ。私はただ寝るだけしか考えてなく、6時くらいには起き出して、マンガ喫茶を出てウロウロしてしまったんですが。もっと、ゆっくりしていても良かったですね。それにオールで遊んでいた風のお嬢さんが多いこと。お父さんは驚いてしまいました。 で、西公会堂の近くはですね。横浜の繁華街に近いんですね。はっきり言って、いかがわしいお店が多いんですわ。キャバクラやガールズ・バー、それに居酒屋には事欠かず。以前に気が付いていた、熟女ソープが健在なのには、これまた驚いて、と。 私は酒が好きなものの、女の子は眺めるだけでいいや。でもって、起き出して歩き回っていると、そここにオールで遊んでいた皆さんが闊歩してまして。
 
写真は、横浜駅の前?横?とにかく、運河に沿った歩道。そこには煙草を吹かしているお姉さん方や、短パンが15cmしかない活きの良いお姉さんがおりまして。思わず遠くから写真を撮ってしまいました。お姉さん方は兎も角として、YSGAにはまた行きたいなぁー。

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2011-05-20 21:47

『ガンズ:地獄への降下』1917年後半

『1917年6月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、ドイツ軍が死のローテーションを行えば、フランス軍とイギリス軍は消耗戦を仕掛ける。フランス軍は2ヶ所、イギリス軍が1ヵ所の攻撃を行う。しかし、その全ては失敗に終わり、ドイツ軍に損害を与える事もできなかった。
この消耗戦の失敗は大きく、ドイツ軍に一息付かせることとなる。実際、ドイツ軍は翌月に投入される、ストスト・トルッペンのために補充を残す事さえできたのである。


イタリア戦線では、イタリア軍のよる攻撃が行われた。そして遂に、CPの戦線を後退させるのに成功。突出部を押し広げたのであった。


バルカン戦線では、崩壊寸前のルーマニア軍へ対して、ドイツ軍が止めを刺すために前進。ブルガリアのバリアも奪還した。サロニカから前進したイギリス軍やアメリカ軍は、攻勢を持続。遂に、首都ソフィアへ接敵する。CPも必死な抵抗を行い、兵力的に余裕のあるAH軍を投入。阻止の構えを見せている。


1917年6月を終えた時点の全景となる。
東部戦線では、一部のロシア軍が攻撃を行うものの、休戦状態に近い。ロシア軍は先の脱走でかなりのダメージを受けており、戦線と呼べるものはリガ、スモレンスク、そしてキエフ周辺となる。もはやそれまで使っていた方面軍との呼称すら、不自然に感じてしまえる。
CP陣営は攻撃に出る事はなく、唯一オデッサへ向けてAH軍を前進させ、包囲を完成させただけだ。
このターンに東部戦線の指揮官であるファルケンハイン松谷より打診あり。曰く「こちらは、すでに補充の必要なし。これは間接的に兵力の転進となぜる。」との提言だった。「このターンの補充はストスト・トルッペンへ用に蓄積すべきであろう」とも。
西部戦線のyagiデンブルグは、これを尤もであると即断。全ての補充を流用する事と、ストスト・トルッペンの編成計画へと着手した。



『1917年7月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、ナンシーへ向けての攻撃に出る。しかし、DDで一部を追い払う事には成功するが、前進するまでは行かなかった。逆に、フランス軍は大火力の支援の下にドイツ軍を圧倒。フランス軍はJ10=ソンムへ突入する。そして戦場はフランス国内から、ベルギー国内へと移ることとなる。イギリス軍は小休止。さすがに損害が溜まったのである。
ドイツ軍は一時的に押されたものの、東部戦線から輸送中の攻囲砲兵と、新編成されたストスト・トルッペンを国内に配備し、逆襲の準備を行った。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻勢により、AH軍の一角を崩す。ここでも、イタリア軍の進撃は進み、戦場はAH国内を通してドイツ国内へと移る事となった。


バルカン戦線では、CP陣営がブルガリアへ、ルーマニア成敗を終えたAH軍やドイツ軍も投入。アメリカ軍やイギリス軍へ対抗させた。AP陣営は山岳地帯での過酷な戦闘と、CP陣営の防御強化のため、一時的に小休止となる。そしてサロニカに増強のアメリカ軍は到着。両陣営とも、泥沼へ足を突っ込んで、抜けなくなっているようだ。

東部戦線は全景から解説した方がよいだろう。

1917年7月を終えた時点の全景となる。
東部戦線では、リガやスモレンスク、そしてキエフでは実質的な休戦状態となり、オデッサへ到達したAH軍により、同地のロシア軍が包囲=補給切れとされている。そしてロシア南部に進駐していたAH軍の一部は、ルーマニアへ向かい、グラーツ包囲戦へ参加。これらの都市は無理攻めをせず、立ち枯れを待つのみとした。
それと違い西部戦線の溶鉱炉は、さらに熱く煮えたぎるのである。




『1917年8月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


遂に、西部戦線にストスト・トルッペンが投入される。同時に到着した攻城砲兵とともに、ソンムへ進出したフランス軍へ攻撃。ストスト・トルッペンが2個と砲兵火力が12で合計+4DRM、オッズは3:1の結果はDE!!一気にフランス軍のフルスタックが吹き飛んでしまった!
ここでも戦争の様相は、またしても変わったのである。
浸透戦術の訓練を受けた兵士達が、大火力に支援されて攻撃を行えば、どのような防備を固めた陣地であったとしても、無力化できる事が確立されたのであった。
フランス軍はソンムへ即時反撃!こちらも猛砲撃により、進出したドイツ軍を壊滅させたのである。
イギリス軍も同時に側面で攻撃を仕掛ける。僅かでも、ドイツ軍に消耗を強いて、フランス軍の圧力を軽減するためだ。そして新兵器であるフランス軍とイギリス軍の戦車が編成され、パリとロンドンに登場している。


イタリア戦線でも、イタリア軍による攻撃が継続される。損害を出しつつも、ドイツ本国への侵攻を狙っているのである。イタリア軍だけでは、戦力が不足しているため、後詰にフランス軍が送られている。



バルカン戦線では、アメリカ軍が主力となって攻撃を担っている。しかし、山岳地帯での戦闘であり、CP陣営が増強を行っているため、進捗具合は見られない。


1917年8月を終えた全景となる。
休戦状態の東部戦線では、ロシアのオデッサとルーマニアのグラーツで包囲戦が展開されている。これらを助ける術は、AP陣営にはない。
季節の変わり目なので、戦意判定を行った。
海上封鎖のー1DRMを受けたドイツとAHは、何も効果は無かった。
そしてー7DRM被ったロシアは、出目が“6”でD1のみ!!
出目が4以下なら、ロシアは降伏するのであったが、これには驚いた。さすがYSGAで鳴り響く松谷ダイズ!
妙に感心してしまった。D1の影響で、ロシア軍は歩兵軍団が7個、砲兵連隊が1個脱走した。



『1917年9月』

天候は西部戦線で晴天、東部戦線で泥濘。

  
西部戦線の死闘は続く。それは破滅へ向かって燃え盛っているようだ。
ドイツ軍のよる攻撃により、ソンムへ前進したフランス軍は壊滅。同地はドイツ軍に再奪還された。やはり、フランス軍はそれを許さず即時反攻。前進したドイツ軍を壊滅へ追いやった。ドイツ軍の隙を突き、隣接する地域も占領。大いなる戦果を上げたのである。そして前進した部隊が次々と壊滅するのを勘案し、前進するフランス軍を1個のみとした。
さすがDublin卿、この時点では、後の先が必勝となっており、先手を取って前進した部隊が、反撃を受けて必ず壊滅していた。そこで壊滅する部隊を1個に止め、反撃により失った土地を奪還すればいい、という考えだ。ゲーム的というなかれ。史実でも実際に行われていて、フランス兵の多くは、命令に従って死んでいったのである。
フランス軍の苦闘に、イギリス軍も援護の態勢を取る。到着早々の戦車を押し立てて、攻撃に出たのである。攻撃正面が少ないため、その攻撃は大きな戦果を得られたとは言えない。しかし、ドイツ軍に損耗を強いているのは間違いないのである。
そして、それまでバルカン戦線へ直行していたアメリカ軍、同じくバルカン戦線で戦っていたイギリス軍も、フランスへと送られてきたのであった。


西部戦線の容赦なさから比べると、イタリア戦線は前時代の戦いを眺めるようだ。イタリア軍も攻勢を継続しているものの、分厚いCP陣営が築いた陣地を突破できないでいるのだ。


バルカン戦線では、アメリカ軍の攻勢が功を奏し、ソフィア外周陣地の一部へと突入。なかなか進まないものの、ソフィア攻略態勢を着々と整えている。ソフィアにはブルガリア軍のフルスタックが塹壕陣地を築いて待ち構えている。


西部戦線の煮えたぎりから見ると、他の戦線は別世界のようだ。東部戦線では、オデッサとグラーツが陥落。脱走が続くロシア軍だが、不思議と補充は減ることが無いため、一部に攻撃へ出ている。しかし、CP陣営に退却の選択が可能なため、実りの無い戦いでもあった。
ファルケンハイン松谷は、ロシアでほとんど兵を動かす必要がなく。バルカンでも、2個か3個を入れ替えるのみだ。これだから、観戦武官の仲間と間違われても仕方ないだろう。



『1917年10月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。
このターンで2日間の戦いを、時間切れではあるが終える事となった。そこで、このターンでの動きとともに、先の展望とにも触れておこう。
煮えたぎる西部戦線は後回しとして。


バルカン戦線であるが、アメリカ軍の攻撃でCP陣営の戦列を押し込んでいる。しかし、続々と兵力が鉄道により集結しており、如何に精鋭のアメリカ軍が先陣を切っていると言えど、ソフィアを攻略するのは難しいのでは、ないだろうか。
東部戦線が現状のまま続いたと仮定すれば(その可能性は低いが)、ドイツ軍の転進が遅れるため、ブルガリア軍やAH軍では防戦一方となるのは間違いない。それでもソフィアが陥落するのは、早くて3~4ヶ月。普通で6ヶ月近く掛かるだろう。
そこから、ベルグラードへ進出するのには、年単位の時間が掛かるに違いない。ベルグラードを占領しなければ、コンスタンチノープルへは補給の関係で前進できない。
結論として、AP陣営はバルカン戦線でソフィアは占領できるものの、それ以上の戦果を得る事は無理である。
CP陣営は、それで十分なのだ。


イタリア戦線では、AH軍が増強され、イタリア軍の攻撃は実りを見ていない。
私より、このゲームでの経験が多いDublin卿へ言うのは、口幅ったいが、オペレーション・ハンニバルは戦略を間違えていたのではないだろうか?
というのは、このままアルプス越えの作戦を行っても、ドイツ国内の都市・マインツが脅威に曝されるのは、後1年は掛かる。その時点でマインツへドイツ軍を動員し、反撃を行えば、同地を守るのは、それほど難しくはなかっただろう。私は、この方面へイタリア軍が向かっている以上は、全く怖くはなかった。それは布陣している部隊が、AH軍を主力としている事でも判ると思う。
APは、イタリア戦線でトリエステへ攻勢を志向すべきと思われる。トリエステへ向かうCPの鉄道網が、東部戦線と西部戦線を越える。直近のドイツ国内の都市がなく、ドイツ軍を投入するためには、かなりの距離を鉄道で移動する必要がある。鉄道網がイタリア軍の攻勢に曝されやすい、など。CP陣営が防御を固めるには、障害となる事項が多いのだ。
そして1916年にトリエステが最も危険な時期が訪れていた。ドイツ軍の攻勢が一時的な成功から、消耗による頓挫を受け戦線を後退させた。その時期に、トリエステや隣接する要塞を守備する戦闘部隊は、各々1個しかなかったのだ。この状況に気が付かれ、攻撃を行われたら、と冷や冷やしていたのだ。


東部戦線は後回しにして、熱くなっている西部戦線だ。


前ターンにフランス軍の攻勢により、ソンム奪還されたドイツ軍だが、この状況を狙っていた。
まず、ソンムやその隣接へクスは1ユニットなので、攻撃を成功させる事は、ちょっと計算すれば簡単だ。しかし、そのヘクスを安易に占領し返すだけでは、反撃を誘発するだけで面白くない。そこでそれらのヘクスへの攻撃は行うものの、本命はヴェルダンとイープルとした。イギリス軍の前面は無理な防戦はせず、土地を失っても、兵力を維持できれば問題ない。攻勢をフランス軍へと集中させたのだ。
ドイツ軍は、ヴェルダンでの大出血したものの、同地の占領に成功。その外イープルやソンムの3ヘクスを占領する。西部戦線では、3ヘクスの奪還など、シェリーフェンプラン以来の事態だ。


フランス軍とイギリス軍によるヴェルダンへの攻撃は失敗。それでも突出したドイツ軍に損耗を強いている。
フランス軍には、他に余力はなく、ユニットを入れ替えたのみだ。逆に、イギリス軍は決死の攻勢に出る。TANKを先頭にした攻撃により、ドイツ軍を押し込む。遂に、アントワープへの攻撃態勢に取り付いたのである。
さて、これ以降の私の脳内テンボーなので、上手くいくかどうかも大いに未定だ。
ドイツ軍は徹底してフランス軍を叩くつもりだった。次のターンに狙うのはナンシーで、この戦闘に付近に展開中と再編成されたストスト・トルッペンを4個、それに砲兵連隊を4個投入できた筈だ。これで損害はそれなりに出るものの、ナンシーの占領は成功しただろう。そしてナンシーとヴェルダンを占領し、季節の変わり目でフランスの戦意を占ってもらうのだ。
フランスの継戦意欲を削いだ後で、次はイギリス軍を叩く。徹底的に。それまでイギリス軍の攻撃は受け流すようにする。土地など、兵士がいなければ、幾らでも取り返せるのだ。
AP陣営としては、バルカンへ深入りし過ぎているように思う。幾ら何でも投入した部隊が多過ぎるのだ。TANKが登場したとしても、このままでは西部戦線でドイツ軍の主導権に握られた状態が続くだろう。それも戦意=補充次第になるが。


こちらが1917年10月を終えた全景となる。
東部戦線は最早触れる必要がないだろう。革命寸前で、実質的に休戦しているのだから。
ロシアの戦意は、これまでの1917年2月のD1、1917年5月のD2、1917年8月のD1、それにブレストリトフスク、ワルシャワ、コブノ、ミンスク、そしてオデッサをCPに占領されているため、合計―9DRMを被る。このDRMでは、そのようなサイの目であろうと、ロシアは次の戦意判定で降伏となる。

まず言える事だが、ジェネラルの記事にあるように、このゲームはドイツ軍が有利だ。さらに、1915年のシナリオでは、ロシア軍の質がかなり落ちている。そのため、1915年からキャンペーンを始めるのは、勝敗的に問題はあっただろう。
そして一番テクニックを必要とするロシア軍を、初心者のもっちひ男爵が担当したのは、如何なものだったろうか。今更であるが、もっちひ男爵とDublin卿の担当を入れ替えるべきであっただろう。フランス軍は、戦線全域へ兵力を行き渡らせられる状態で開始でき。ロシア軍は、兵力配分と戦略に技量と経験が必要だったのだ。この両人が担当を入れ替えていれば、革命の足音すら聞く事は無かっただろう。それはそれで面白みは無いが。

この対戦を終えての感想を述べる。
このゲームの魅力を再発見でき、心から感謝している。
最も経験とテクニック、そしてゲーム魂を持ったDublin卿。手勢が少ないものの、精一杯ゲームを楽しんでいたBlueBear伯。いつも冷静沈着だったファルケンハイン松谷。
そして、もっちひ男爵には敬意を表したい。心が折れる状況でも、ゲームに対する姿勢が変わらず、それは尊敬に値するのだ。もっちひ男爵がモラルダウンしていたなら、ここまで熱中できなかっただろう。もっちひ男爵には心から有難う、と言いたい。
過去、他のゲームで多くの経験はあるが、対戦を終えてから、ここまでルールブックを読み返したゲームは他に無い。正直に言って、このゲームに対しては、いい思い出は無かった。古いシステムと、動かない戦線のダメなゲームとしか記憶は無かったのだ。それが今回の対戦で、全く印象が変わってしまった。

最後に、私の物言いで失礼な部分も多かったと思う。もし、気分を害されていたら、許して頂きたい。それだけ熱くなっていたのだ。

次回に予定があれば、是非誘って貰いたい。
その際には、1914年のゲーム開始当初から、「やらなければ、なんねえべ!」。途中で中断したとしても、その状態で写真を沢山撮っておけば、再開は可能だ。それは同じメンツでなくてもいいではないか。ガンズ・キャンペーン制覇が、私の人生の目標となった。

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2011-05-20 21:17

『ガンズ:地獄への降下』1917年前半

『1917年1月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに降雪。


ドイツ軍は、ルーマニアの進捗具合を横目で見ているため、死のローテーションを行うのみ。そしてイギリス軍とフランス軍による、リール挟撃が決行。フランス軍の大火力に支援された攻撃により、リール要塞のどうツ軍を吹き飛ばす。DEなど、西部戦線では初めてだ。
ドイツ軍はリール奪還を断念する。ファルケンハイン松谷の目が怖いため、公言できなかったが、西部戦線のリール放棄はある程度想定していた。ここを撤収することで、戦線を縮小できるからだ。その2線目にはすでに要塞群の構築が進んでおり、しかもAP陣営が攻勢を行う目標地点も無くなるのだ。このラインで攻防戦を行えば、1年間は維持できるとyagiデンブルグは考えていたのである。


イタリア戦線でも、CP陣営は死のローテーションを行うのみ。イタリア軍の攻勢も、戦線が入り組んだため、一時的な小休止となった。


バルカン戦線では、ドイツ軍の攻勢がルーマニア軍の抵抗により、その前進が停滞している。イギリス軍、アメリカ軍の共同したブルガリア軍へ向けての攻勢も、山岳地帯で悪戦苦闘している。一部の部隊を追い払っても、1個でも残ってしまうと、その戦線は維持できてしまうのだ。そして攻撃には損害が付き物で、イギリスやアメリカの若者が、聞いたことも無かった土地で失われているのである。


東部戦線では、ロシア軍の戦略変換が功を奏している。それは南部を諦め、北部へ兵力を結集するというものだ。それにより、北部では、ドイツ軍によるリガ方面軍への攻撃で一部は崩されているが、それでも頑強な戦線を維持できている。何より、攻撃には出血が付き物なので、ドイツ軍にも多大な損害を被っているのだ。スモレンスク方面軍でも、ドイツ軍は正面攻撃を断念。側面からの浸透を狙っている。ここでドイツ軍の機動力がものを言うのだ。南部では、キエフ方面軍が、その前面で強固とは言えないものの、連続した抵抗線を築いている。そしてドイツ軍は、ロシア軍は兵力不足で構築を断念した南端より浸透を開始した。その目標はオデッサにある。
ロシア軍は土地を失っているものの、兵力の維持には成功しており。戦力さえあれば、土地は取り返す事が可能なのである。


1917年1月を終えた時点の全景になる。
東部戦線とバルカン戦線を眺めると、その入り組み具合が分かるだろう。逆に、イタリア戦線や西部戦線では、1ヘクスを巡る激戦が展開されている。



『1917年2月』

天候は西部戦線で泥濘、東部戦線で降雪だった。


西部戦線異状なし。特筆すべき件は何もなし。ドイツ軍が戦線強化へ走ると、フランス軍もイギリス軍もそれまでに受けた損害の回復へ追われる。


イタリア戦線では、到着したドイツ軍が、イタリア軍の先鋒へ反撃を行う。しかし、高揚したイタリア軍には通じず、少々の損害を与えただけであった。イタリア軍は損害など省みずに攻撃を続行。入り組んだ戦線で、激しい戦闘が続いている。


バルカン戦線では、ルーマニア軍が必死な抵抗を行うものの、ドイツ軍は首都のブカレストへの攻撃態勢を着々と整えている。イギリス軍の攻撃は遂に成功し、ブルガリア軍の一部を押し込む。これでベルリン~コンスタンチノープル鉄道は2ヘクスで分断した事となる。肩を並べるのは、アメリカ軍だ。


東部戦線では、停滞の時期を迎えている。リガ方面軍では、ロシア軍が強固に戦線を構築しているため、ドイツ軍も睨み合いをするのが精一杯だ。スモレンスク方面軍でも、ドイツ軍はバルカン方面の成り行きのため、しばし小休止となる。キエフ方面軍では、キエフ前面でロシア軍が強固な戦線を構築しているため、睨みあい。何より、南部方面では鉄道が修繕できずに、CP陣営の前進を阻んでしまっているのだ。


1917年2月を終えた時点の全景となる。
季節の変わり目なので、ここで戦意の判定を行った。フランス、イギリスは判定自体が必要なくなった。CP陣営は海上封鎖のー1DRMを受けるが、AHはなし。ドイツは補充が半減し、CP司令部に衝撃を走らせる事となった。そしてロシアはD1。これは革命の歯車が大きく回り始めた事になる。というのは、各ユニットについてダイズを1個振る脱走判定を行い。その出目が“1”であれば、そのユニットが除去されるのだ。そして以降の戦意判定では、-1DRMを適用され続ける事となる。一度、D1の結果が適用されると、加速度的に革命が進行するのである。
この脱走判定では、ロシア軍は歩兵軍団が5個、砲兵連隊が2個除去された。そのためスモレンスク前面の戦線に大穴が開く事となる。東部戦線の写真でも、その脱走が行われた後のため、文中にある停滞しているとの表現とは違い、ロシア軍の戦線が大いに乱れている部分がある。



『1917年3月』

天候は西部戦線では晴天、東部戦線でも晴天であったが、雪解けのぬかるみで泥濘となる。
あまりにも写真を撮り過ぎたため、このターンから枚数を節約する事となった。これほど纏めて写すなど、私の人生でも無かった事態だ。


西部戦線異状なしという状況が続いている。ドイツ軍は要塞地帯の構築に勤しみ。フランス軍とイギリス軍は消耗戦を仕掛ける。しかし、大きな動きの見える東部戦線やバルカン戦線と違い、1ヘクスの前進さえ見えないのである。それでも激しい戦いは行われている。ドイツの本国に再編成された部隊が置かれているので、ドイツ軍も損害を受けているのだろう。


ドイツ軍はイタリア戦線にて、突出部へ向けて反撃を行う。それでもイタリア軍は死守を決め込み、下がる様子を見せない。逆に、AH軍のスタックに攻撃を行い、全てのユニットを退却させてはいないものの、一部を追い払っている。これはAH軍のユニットの上に、黒い“D”マーカーが乗っているので分かるのだ。


攻撃態勢を完了したブカレスト攻略隊であったが、本国の騒乱により、攻撃を一時見合わせている。イギリス軍とアメリカ軍によるソフィアを目指す攻勢も、進展があったようには見えない。両陣営とも、山岳地帯で先の見えない戦いを続けているのだ。


東部戦線では、ロシア軍の脱走により、戦列が崩れたスモレンスク方面軍へとドイツ軍が襲い掛かっている。そしてスモレンスク目前まで迫ったのである。キエフ方面軍では、弱体したロシア軍の側面を突くような機動戦を展開している。鉄道の修繕が行われ、補給の届く距離が伸びたためである。オデッサ方面への前進も行われているようだ。


1917年3月を終えた時点の全景となる。
東部戦線でロシア軍の窮乏が見て取れるだろう。革命による脱走で、弱体化に拍車がかかったのだ。ドイツ軍も補充が半減しているため、大胆な追撃を行えずにいる。
盟友ロシアの窮地を助けるため、イギリス軍もフランス軍も、そしてアメリカ軍やイタリア軍も必死な攻勢を続けている。しかし、これだけ離れると、全く分からない。これは実際の戦争でも、戦場の実像が、銃後の人間には良く伝わらないのと似ているのである。





『1917年4月』

天候は西部戦線、東部戦線でも晴天。

  
西部戦線では、ドイツ軍が死のローテーションをすれば、フランス軍もイギリス軍も断固たる攻撃を行った。
フランス軍による大火力の支援を受けたBig Push AttackでJ10を占領。ドイツ軍はギリギリの判断で退却を決意。兵力の損耗を避けるためだ。後に、このJ10は戦闘の焦点となるため、史実での激戦地であったイープルと呼ぶ事とする。場所が違うという意見はムシムシ。
イギリス軍による攻撃で、J8=カレー(あれ?ここはオランダ領だ。もう写真を変換しちゃったからカレーで通そう)からドイツ軍を叩き出す。しかし、イギリス軍は狡猾にも前進を行わない。さすが、bluebear伯。やる事がエゲツない。
この斜めから見ると、スタックの厚さが判って貰えるだろう。


イタリア戦線での押し合いは続いている。
ドイツ軍は補充の減退により、反撃を断念。防戦へと移る。イタリア軍は入り乱れた戦線にも関わらず、攻勢を継続。弱体なAH軍を後退させ、塹壕への強化をさせていない。


バルカン戦線では、ドイツ軍がブカレストの包囲を完了。これで補給を切断できたため、ブカレストの命運も風前の灯だ。サロニカからのAPの攻勢は捗っていない。イギリス軍、アメリカ軍、そしてギリシャ軍も参加して圧力を加えているものの、ブルガリア軍やAH軍の抵抗により前進を果たしていないのだ。


1917年4月を終えた全景となる。
うっかり東部戦線が入るように、写してなかった。あらあら、だ。
この写真とメモで分かる東部戦線の戦況は、リガやスモレンスク方面軍でドイツ軍とロシア軍の睨みあいが行われ。キエフ方面軍ではロシア軍の側面への浸透を続けている。そしてオデッサ方面へAH軍が進撃を行っている。対する、ロシア軍もオデッサ防衛隊を動員。同地を渡さぬ姿勢だ。
全体的に見て、西部戦線とイタリア戦線、そしてバルカン戦線で激しい消耗戦を行った一月であった。



『1917年5月』

天候は西部戦線が晴天、東部戦線が泥濘。

西部戦線での激戦に於いてドイツ軍は、補充の減退を憂慮し、作戦を練りなおした。それは唯の消耗戦を行うだけでは、フランス軍とイギリス軍を相手にしては、勝ち目は薄いと見込める。そのため、AP陣営の攻勢を誘導し、自軍の兵力と土地の損失を抑える必要がある。

そこで目を付けたのが、攻撃で損耗したイギリス軍のI8である。ここへ前進を行えば、海岸線のイギリス軍を孤立させ、両軍の攻撃を誘引できるのだ。

ドイツ軍の目論見は成功。攻撃は成功し、前進を果たす。
その事態に、フランス軍とイギリス軍が共同し、突出したドイツ軍を挟撃。周辺の兵力をかき集めて即時反撃に打って出たのである。
  
この攻撃は成功したものの、DXとなり各国へ多大な出血を強いたのである。ドイツ軍の目論見は成功したと言っていい。


イタリア戦線では、相変わらずの山岳地帯での激戦が展開されている。しかし、CPは現状でも問題ないと考えており、戦意旺盛なイタリア軍は質的な問題で衝撃力が心持たない。以上でもって、数的に優位なイタリア軍の攻勢が続いているのである。


動きの少ない西部戦線やイタリア戦線と違い、バルカン戦線では大きな動きがあった。ブカレストが陥落したのである。

都市を陥落させるのに、補給を切断して戦力を半減させてから、攻撃するのが、効率の良い攻略方法となっている。

ルーマニアの窮地を救うべく、イギリス軍やアメリカ軍の攻勢も、届かなかったのである。サロニカから前進したAP陣営の諸部隊は、ブルガリア領土の1/3を占拠しているが、都市は占領できていない。投入している兵力と、得られた成果は、釣り合わないのではあるまいか。
ルーマニア軍は、最後に残された都市のガラーツで抵抗の構えを見せている。

東部戦線は局面が大きく変わっているため、全景で解説しよう。

1917年5月を終えた全景になる。
西部戦線、イタリア戦線では激しい消耗戦が展開されているが、全体的には動きが見えないのである。バルカン戦線ではルーマニアが危機的状況で崩壊寸前である。
東部戦線では、ドイツ軍は敢えて攻撃を行わなかった。そしてターン終了時点での戦意判定
となる。先の通りに、イギリスとフランスには判定を行う必要はなかった。海上封鎖の影響を受けているドイツとAHは、今回なにも影響が無かった。
そしてロシアになる。ロシアは占領されている都市が4、前回、2月の判定でD1による、合計ー5DRMを受け、その結果はD2となった。脱走判定でダイズが2以下なら、そのユニットは除去され、以降の戦意判定ではー2DRMされるのだ。
この脱走判定の結果、ロシア軍は歩兵軍団の12個、砲兵連隊の5個が失われた。
前ターンの写真と比べれば、今ターンはロシア軍が随分減っているように見えるのは、脱走の結果によるのだ。完全に崩壊寸前と言っていい。
この状況にファルケンハイン松谷は「リガは攻撃する価値はないな」と断言。それ以外でも、敢えて攻撃を行う意義を見出せず、実質的な休戦状態となった。
実際、後ほど観戦に訪れた武官達は、松谷さんがファルケンハインだと知らず、同じ観戦武官仲間と思ったくらいだ。

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2011-05-20 20:54

『ガンズ:地獄への降下』1916後半

『1916年7月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


ドイツ軍は角ヘクス・・・。この表現も如何なものかと思うので、以降はセダンと呼ぶことにする。セダンへ前進したフランス軍へ即時反撃。こちらもBig Push Attackを行い、フランス軍を叩き出した。


すると、フランス軍も負けずに攻撃を行い、ドイツ軍に損耗を強いた。ドイツ軍は、唯一生き残った4-6-4だけでセダンの維持に成功する。この血みどろ加減は、正に第一次世界大戦の塹壕戦を象徴している。


こちらがターンを終えた時点の西部戦線になる。
セダンの死闘は同地を吸血場と化している。ドイツ軍は後方に精鋭部隊を再建させ、さらに地獄へ送り込む態勢を整えている。フランス軍は、補充の半減のためパリへ1個再編成するのが精一杯だ。対戦を終えて、この写真を見ると、この時期のフランス軍はかなり苦しかったのが分かる。しかし、対戦当時はテンパっており敵の状況など、目は届くわけが無かった。
ここでBig Push Attackについて解説しておこう。
これは1916年から行える攻撃で、3個以上の防御ユニットが参加する場合、Big Push Attack(和訳では強行攻撃や大攻勢攻撃とあるが、今一つピンと来ない。)宣言できる。Big Push Attackを宣言したら、AEやAAやADの結果を受けるまで、サイコロを振ることが出来るのだ。これで、一回の戦闘では突破出来なかった塹壕戦に、終止符を打てるようになったのだ。ここでも戦争の進化が見て取れる。

あ、いけね。間違えて写真を消しちゃった。ゴメンです。
イタリア戦線では、CPは衝撃力を失ったため、防御態勢へと移っている。イタリア軍は、弱体なAH軍を狙い撃ちし、攻撃。後退を強いている。平地はドイツ軍が固めているため、アルプス越えの「オペレーション・ハンニバル」を決行中なのだ。象は連れてないが。


東部戦線の北部では、ドイツ軍はハリコフ方面軍(現状では、この表現が合っているように思える)へ主攻勢を行い、その一部を突き崩している。これでハリコフの両側面にロシア軍の戦線は無くなり、同地は危機的状況となった。
リガ方面軍に対しては、その前面に横たわるドビナ河へドイツ軍が押し寄せて、攻撃態勢を整えている最中だ。


東部戦線の南部。キエフ方面軍では、湿地帯からドイツ軍が側面へ回り込んだところ、その部隊へロシア軍が反撃。これがDXとなり、ドイツ軍の壊滅に成功したものの、ロシア軍も大部隊を失ってしまい。その周辺が一気に弱体化してしまった。さらに、AH軍への反撃を行ったところ、これもADとなり後退を強いられた。部隊を犠牲にして、戦線を維持するほどの戦力も無かったのだ。
これでキエフ方面軍の両側面が危機的状況となった。


バルカン戦線では、精鋭のイギリス軍が前線へ到着し、攻勢を行えるようになった。そのためAH軍やブルガリア軍では太刀打ちできず、後退を強いられ、ベルリン~コンスタンチノープル鉄道目前まで迫っている。


こちらが1916年7月を終えた全景となる。
東部戦線の崩れ具合が、これだけ引いて見ると良く判るだろう。それに比べ、西部戦線の全土を覆う塹壕が異質な風景として目に映る。サルジニア島のフランス軍、イギリス軍は一向に減る様子が見られない。これじゃあ、国民・兵隊は怒るも納得が行く。これはドイツ軍やAH軍も同じである。


『1916年8月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、両陣営とも攻勢に出られず。ひたすら、塹壕と要塞へと篭るのみだ。そしてドイツ軍は戦線後方にも要塞地帯を築いている。史実のような撤退を予期してだ。作戦名は忘れたのだが。


イタリア軍のオペレーション・ハンニバルは進行中。着々とAH軍を圧倒し、山岳地帯を前進している。地形は攻撃の障害にはなるのだが、数に物を言わせて波状攻撃を行われると、後退せざるを得ないのだ。


東部戦線では、リガ方面軍以外は壊乱状態となる。ハリコフ方面軍は、どうやっても戦線は築けないため、僅かにZOCでドイツ軍の前進を阻んでいる。しかし、ドイツ軍の前進を遅らせる事は出来ても、防ぐ事は困難だ。湿地帯も戦線の欠片すらなく、これで両翼を失ったハリコフは風前の灯となっている。キエフ方面軍が最も壊乱状態になっている。機動力の優れるドイツ軍が再度投入され、側面を脅かしているため、ロシア軍は踏み止まって抵抗することは出来ず、撤退を続けている。


バルカン戦線では、イギリス軍がブルガリアへ侵入している。さすがにイギリス軍は精鋭なので、2線級のブルガリア軍やAH軍では防ぐ手立ては見込めない。


こちらが1916年8月を終えた全景になる。
季節の変わり目なので戦意と参戦の判定を行った。アメリカが参戦したため、イギリスは戦意に問題は無くなる。フランスはリールを占領されているため、-1DRMをされたが、これも影響無かった。
ドイツは海上封鎖のー1DRMがあったが、これも影響なし。ただし、海上封鎖が効いてAHは補充が半減してしまう。
さあ、ここで唯一中立を維持しているルーマニアの参戦判定を行った。サイコロを振り、1でAP陣営、6でCP陣営、その他で中立を維持する。ここでCP陣営の参戦であると、ロシアを南部から攻め入ることが出来るため、一気に崩壊へと追い込めた。しかし出た目は1!ルーマニアはAP陣営の参戦を決意したのである。
ここで一気に戦況は逆転!
ブルガリアは側面にルーマニア軍が殺到し、首都のソフィアにはイギリス軍が接近しているため、崩壊の危機へ瀕する事となったのである。
この状況はもう一度、バルカン戦線の写真へ戻って見て貰えればよく判るだろう。

 
『1916年9月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。


またには東部戦線から見ていこう。
リガ前面のドビナ河では、ロシア軍の大軍を前に、ドイツ軍の攻撃は停滞している。しかしミンスク方面軍を完全に崩壊させ、同地の包囲が形勢されている。キエフ方面軍でも、ロシア軍は崩壊寸前となり、戦線を構築する間もなく、ドイツ軍とAH軍に追い立てられるように、オデッサ方向へと撤退を続けている。


バルカン戦線では、ルーマニアの参戦が大きな影響を及ぼしている。ルーマニア軍の大軍が国境線から侵入したため、同国の東部で戦線を張っていたブルガリア軍は、壊滅の危機に陥ってしまった。そしてサロニカから前進して来たイギリス軍の攻撃に、首都のソフィアを維持する事が精一杯である。ブルガリアはソフィアとバリアを占領されると、戦争から脱落するため、その危険が広がっている。サロニカにはアメリカ軍も上陸。戦列へ加わらんとす。
その危機的状況に、CPはドイツ軍を投入。攻勢の準備を整え始めた。


イタリア戦線は一時的な小休止となっている。兵力的に優位なイタリア軍であったが、山岳地帯を前進したために、後続の到着を待ったのである。CPは防戦一方だ。もっと重要な東部戦線と西部戦線、それにバルカン戦線へ兵力を取られているため、イタリア戦線には弱体なAH軍を送る事しか出来ないのだ。


西部戦線では、ドイツ軍は血のローテーションを行ったのみ。そこをフランス軍は、またもやセダンへ攻撃。同地を占領する。このヘクスへの攻撃は、両軍あわせると、もう何度目かも分からない。


1916年9月を終えた全景となる。
西部戦線とイタリア戦線では、両陣営とも兵力が密集しているため、大きな動きは見られない。1ヘクス程度の動きでは、ここまで引いて見ると、あまり意味が無さそうに思える。しかし、現場では重要な意義を持ち、死闘が繰り返えされているのだ。
東部戦線やバルカン戦線では、ドイツ軍が弱体なロシア軍やルーマニア軍へ襲い掛かり、突き崩している。


 
『1916年10月』

天候は西部戦線が晴天、東部戦線が泥濘。


東部戦線では、ドイツ軍が弾薬の不足しているミンスクを攻撃。同地の占領に成功している。これでロシア軍の中央部で生き残った部隊は、スモレンスク前面で戦線を引くこととなった。これらの部隊はスモレンスク方面軍と呼び名を変えた。その北部である、リガ方面軍はドビナ河流域で強固な戦線を構築し、ドイツ軍の前進を許さない構えだ。キエフ方面軍では、後続の到着により、ようやくロシア軍にも戦線が構築されている。


風雲急を告げるバルカン戦線では、もう何がなにやらである。ルーマニア軍の攻撃により、ブルガリア軍が守っていたバリアは占領された。ソフィアへのイギリス軍の進撃は、ブルガリア軍の必死な抵抗により、停滞を見せている。しかし、ベルリン~コンスタンチノープル鉄道は、イギリス軍により分断されてしまった。普通は、これでトルコは危機的状況になるのだが。それでもフランス軍やギリシャ軍、それにイギリス軍の共同攻撃により、トルコ軍が押されている。
そして一番のトピックスは、ドイツ軍の大増強だ。史実でもファルケンハインが派遣されたように、今回もルーマニア軍へ襲い掛かっている。ルーマニア軍はブカレスト前面で戦線を構築。死守する構えを見せる。


イタリア戦線では、またもや小休止。イタリア軍の砲兵が山岳地帯をなかなか前進できないため、攻撃も停滞するのだ。
ユニットの下に見える緑色のダイズは、イタリア軍専用のもの。APは各国に合わせたダイズを使い分けていた。


西部戦線では、一旦セダンへの執着を失たったため、他の地域(ヘクス)でも粘りが無くなる。ドイツ軍はセダンの北部。セダンの北部なのでカンブレーと呼ぶ事にしよう。カンブレーへ精鋭5-7-4+3-3-3砲兵を送り込み強化した。これが最も強力な防御態勢だからだ。しかし、フランス軍による大火力の砲兵に支援された攻撃により、奪われてしまった。これでリールがフランス軍とイギリス軍の中に取り残された形となった。
Dublin卿から「リールを放棄する選択もあるぞよ」との警告を受けるが、その情報が東部戦線を指揮していたファルケンハイン松谷の耳に入ると、「リールはドイツ領とす!」宣言が述べられ、yagiデンブルグもその意見に引きずられる事となる。


1916年10月が終わった全景となる。
西部戦線やイタリア戦線では、1ヘクスを巡る激戦が展開されている。これはロシア軍やルーマニア軍への圧力軽減を狙ったものだ。盟友の窮地に、自軍の損失も省みず波状攻撃を行っているのである。


 
『1916年11月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。


ファルケンハイン松谷のカツ!により、逃げ腰だったyagiデンブルグは、カンブレーへの即時反攻へ打って出る。こちらも負けずにBig Push Attackを行い、カンブレーを奪還す!しかしDXで出血多し!


フランス軍も一歩も引かず、カンブレーへ前進したドイツ軍へ攻撃を行う。こちらもBig Push Attackにより、DXでドイツ軍を吹き飛ばす!
でもDXでっせ。お互い血まみれの死闘でんがな。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻撃が再開。さらに1ヘクスの前進を果たす。イタリア軍は部隊単位では、それ程強くはないものの・・・。いや、はっきり言えば弱いが、数があるため損害を考慮せず攻撃を行え、何時かは前進に成功するのだ。この不屈な姿勢が、CP陣営に余裕を与えないのである。


バルカン戦線では、ドイツ軍がルーマニア軍の戦線を切り裂いて、ブカレスト目前まで迫る。対する、イギリス軍はソフィア前面の陣地帯を抜けず、悪戦苦闘だ。ドイツ軍とイギリス軍のチキンレースは、平地を進んでいるドイツ軍の方が、山岳地帯を進むイギリス軍より早いようだ。APはこの打開策でアメリカ軍を投入。写真を見て貰えれば分かるが、色とりどりのユニットが集結している。


東部戦線では、弱体と言えどロシア軍の戦線が築かれているため、CPの前進も停滞を見せている。このゲームでは、攻撃に損害が出がちである。そのため攻撃を続けて行くと、このような停滞する時間帯があるのだ。ドイツ軍の戦線後方に、鉄道で移動中の部隊が見えるだろう。これらの部隊が到着するまで、小休止となる。


1916年11月を終えた全景になる。
やはりルーマニアでの進捗具合が、他の戦線と比べれば大きい。相変わらず、サルジニア島の再編待ち部隊は、減ることが無い。CPの壊滅したユニットも、写真で撮るようにしておけば良かった。そうすれば、両陣営の消耗度が見て取れただろう。ちなみに、サルジニア島の隣にはターントラックがあり、そこへ置かれているユニットは、アメリカ軍の到着予定の部隊と、1917年7月に編成できるドイツ軍の突撃部隊=ストスト・トルッペン。
このターンの最後に、季節の変わり目なので、参戦はもう無くなっているため、戦意の判定のみを行った。
CP陣営のドイツ、AHは海上封鎖のー1DRMを受けたが、何も効果は無かった。イギリスの戦意判定はなく、フランスはリールを失っているー1DRMを受けたが、これも効果なし。そしてー4DRMを受けているロシアであったが、出目が“6”なので、何も効果は無かった。ロシア軍の戦意は天を突くようなのだった。
さすが松谷ダイズである。ゲームを盛り上げる事この上ない。

 

『1916年12月』

天候は西部戦線が泥濘、東部戦線が降雪。


ドイツ軍はカンブレーで、さらに反撃を行う。しかし、それはBDで頓挫。撃退されてしまったと言っていい。
さすがにAPも出血多量で小休止となった。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻撃は続く。そしてAH軍の戦列へ割って入るのに成功。イタリア兵達の意気軒昂さが見て取れる。CPは、他に重要な戦線を抱えているため、防戦一方だ。


バルカン戦線では、ドイツ軍がルーマニアの首都であるブカレストへ殺到。戦力的に弱体なルーマニア軍は、ファルケンハイン松谷に率いられた精鋭ドイツ軍に押しまくられ、それを止める手段を持たない。
ブルガリアの首都であるソフィア目前まで進撃した、イギリス軍とアメリカ軍の攻勢も、山岳地帯に阻まれて、進捗を見せない。しかも、入り組んだ戦線になったため、効率的な攻撃を行えないのだ。ギリシャ軍も宿敵トルコ軍への攻撃を続けているが、戦果を得られたようには見られない。その理由は、対抗しているトルコ軍が、塹壕へ入った状態になる。攻撃が成功し、防御側に退却を強いられた場合では、塹壕から叩き出されてしまうからだ。


東部戦線では、ロシア軍の戦力回復とともに、戦況が安定している。と、聞こえれば耳当たりが良いものの、バルカン戦線へ攻撃兵力を引き抜かれたため、実質的に停滞していると言っていい。ロシア軍も戦線を張るのが精一杯なため、攻勢に出る事は出来ない。


1916年12月を終えた全景になる。
1914年から始まった戦争は2年を越えて、3年目へと入っている。ゲームも丸2年の24ターンを終えたのである。
年末なので、VPの計算を行った。
CPの占領している目標都市は西部戦線でアントワープ、エッセン、フランクフルト、リール、メッツ、トリエステの計6。東部戦線では、ブレスラウ、ブレストリトフスク、ブダペスト、コンスタンチノープル、ブレストリトフスクの計6。合計12ポイントで、前年末と変化は無かった。
勝利条件的には、引き分けとなる。この状態で誰が、それに満足して止めるって?そんなヤツは、ハナからこの戦いに参加してねえぜ。
この写真を撮影した時刻は15:30だ。再開時間が10:00に近かったため、10ターンを5時間30分。昼食を入れると、実質5時間弱で駆け抜けた事となる。


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2011-05-20 19:39

『ガンズ:地獄への降下』1916年前半

  『1916年1月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに降雪。


イタリア軍が損耗を被っており、ドイツ軍が到着した事もあり、CPはイタリア戦線で攻勢に出る。イタリア軍の戦列を押し返したのであるが、AH軍が前進に付いて来ないため、側面が弱体となる。イタリア軍が崩れたため、APは急遽フランス軍を送るべく、ニースに再建した部隊を動員。やはりイタリア軍らしく、他国の足を引っ張っている。何だか、微笑ましい。


西部戦線では両陣営とも損耗が激しく攻勢に出られない。文字通りに「西部戦線異状なし」なのである。それでもユニットを回す事は各所で行われている。そして着々と要塞化計画が進んでいる。
ここで要塞と塹壕の違いを述べておこう。DRMはここでは一先ず脇へ置いておき、使い方に焦点を当てる事とする。塹壕へ入るためには移動力が必要で、そのレベルを上げるのに1ターンに1つずつしか上げられないし、ユニット数以上の塹壕レベルは維持できない。しかし、要塞は移動力が必要でなく、ユニット数も関係ない。であるから、一旦要塞が構築されると、何もいなくなっても要塞は維持される。そう、地形効果のDRMだけでなく、使い勝手も良いのだ。ただし、戦闘で奪われると敵軍の物になってしまうが。


東部戦線では、ドイツ軍がコブノからロシア軍を叩き出している。しかし、この地域は支配する国により名前が変わっている。コブノも、コブレンツやカウナスと呼び名があるため、他のゲームでは違った表記になっている。
余談は兎も角、ミンスクの前面では停滞中。湿地帯へドイツ軍が移動力にものを言わせ踏み込んでいる。ここで足の速さが如実に出ている。AH軍の攻勢も、ロシア軍のハイスタックに押し返されている。ではないな。返ってないから。押し留められているが正しいのだろう。


バルカン戦線では、両陣営とも塹壕へ篭っている。戦力が拮抗していると、攻勢に出る事ができないのだ。こうして見ると、ベルリン~コンスタンチノープル鉄道が、AP陣営の間近なのが良く判る。このゲームでは表現されていないが、トルコはドイツから武器や食料、その他の物資も援助されていたため、この鉄道が分断されてしまうと、経戦能力が著しく減退されるのだ。


1916年1月が終わった全景になる。
ここでキャンペーンでの問題が発生した。キャンペーンゲームでは、選択ルールを全て使う事となっている。そこで「29.0項 不確定参戦」も入れていたのだが、これをそのまま適用すると、アメリカの参戦する可能性があるのだ。Uボートの無制限攻撃が行われると1915年中にも、それをしなくても1916年中に“1”のみで参戦する。これでは幾ら何でも乱暴だろうと、相談してアメリカの参戦は史実通りの1917年4月とした。すると、Uボートによる無制限攻撃が、何のリスクもなく行え、それも如何なもの、と意見も後ほど出る事となる。何せ、Uボートの無制限攻撃が有効であると、戦意の問題に絡んでくるのだった。とりあえず、それは後回しにして、この時点では、史実通りの参戦として、Uボートの無制限攻撃を行い、イギリス軍の補充を減らした。



『1916年2月』

天候は西部戦線で晴天、東部戦線で降雪。


ドイツ軍は大休止中。フランス軍はリール定期便をお休みし、角ヘクス(L10)へ向けて攻撃を行った。で、何?という程度の結果だった。多分、お互い1ユニットずつ除去して戦線を維持した模様。イギリスは戦力をバルカンへ送ったため、こちらも大休止。そして両陣営とも、要塞化運動実施中。こんな事するから、後々ユーロ鉄道が陥没するちゅうの。


イタリア戦線では、ドイツ軍の攻勢が続く。角ヘクス(S22)を奪う目的の攻撃を行った。ここへ進出できれば、手前のT22は補給切れでイタリア軍は放棄しざるを得ない上に、ベニスも危険な状態になるのだった。しかし、イタリア軍の奮戦により、攻撃は失敗。そこへフランス軍がイタリア軍の戦列へ加わり、弱体なAH軍へ圧力を加えるようになった。それに勢いを得たイタリア軍が攻勢を行い、消耗戦を仕掛けた。というより、このゲームの攻撃は、お互いに損害が出る消耗戦にしかならないのだが。


バルカン戦線では、両陣営とも兵力を注ぎ込んでいる。写真からでは、攻撃を行った様子は見られない。何故なら、ユニットのほとんどが塹壕へ入っているためだ。


東部戦線は、史実のような戦線に近づいている。そのため、ロシア軍の密集度が高まり、ドイツ軍も攻撃を躊躇する事となっている。しかし、北部ではリガ前面での機動戦が展開され、ロシア軍が追い詰められている。
攻撃を行うと多くの場合で、攻撃側に損害が出るようになっている。そのため、先遣隊の衝撃力が失われ、一次停止を余儀なくされる。その結果、防御側の増援が間に合い、戦線が停滞するようになる。この辺りも絶妙に第一次世界大戦を再現しているのだ。


こちらが1916年2月を終えた全景となる。
このターンの終了時点から、季節の変わり目(2・5・8・11月)に参戦の判定に加えて、戦意の判定も行うようになる。これは列国(正確には、補充が5以上の国。フランス、イギリス、ロシア、ドイツ、AH)が行う必要があり、その結果として補充が半減したり、自軍ユニットの脱走が行われたり、最終的には革命が発生して、降伏する事となる。この戦意の判定には、敵陣営に占領されている自国都市数、連合軍の海上封鎖が有効、そしてアメリカの参戦などが、DRMとして影響する。
実際、フランスはリールの占領と、アメリカの不参戦でー2DRMを受けていた。イギリスはアメリカの不参戦のみのー1DRM。ドイツとAHは海上封鎖のー1DRMだった。
この判定は敵方が行うのであるが、「You、来ちゃいなYO!」と、ダイズを振っていた。そのためか、どの国にも影響はなかった。ここで前ターンに触れた、アメリカの参戦が大きく関わって来て、一悶着起きたのである。
いや、正確には「どないすんべ?」と言えば、「仕方ねえから、このターンはこれでやって、次の参戦と戦意は不確定にするべ?」「んだんだ」と決着が着いている。まあ、皆さん大人=オヤジですから。
この写真を撮ったのが19:46で、一日目はここで終了した。セットアップの写真は10:53であるから、昼食時間を差し引くと実質8時間程度掛かったのである。1ターン25~30分なので、セットアップをもっと短縮する手立ては簡単で(事前に陣営を決めて、ソロを少しでもいいから行う)、それを行えばもう2~3ターンは進んでいただろう。次回の課題としたい。



『1916年3月』

天候は西部戦線では晴天、東部戦線でも晴天だったが、雪解けのため泥濘になった。


イタリア戦線では、ドイツ軍の攻勢により、イタリア軍は壊乱状態となる。なんてイタリア軍らしいんだ!
一気にベニスへと接敵する。それでも、攻撃側に損害が出る戦闘結果のため、先遣隊の衝撃力は失われている。問題なのは、ドイツ軍がこのイタリア戦線へ集中できないという事だ。ドイツ軍が持てる精鋭部隊を、この戦線へ送り込めれば、イタリアの打倒は難しい事ではないだろう。しかし、西部戦線での消耗戦と、もっと重要な東部戦線での進展があるため、それを許さないのだ。
APも負けていず、到着早々のフランス軍とイタリア軍で、AH軍へ反撃を実施。一部で撤退を強いる。狭い地域ながら、両陣営の激しい鬩ぎ合いが展開されている。


西部戦線では、両陣営とも戦線の強化に勤しんでいる。イタリアやバルカンで火が付いているのに、この強固な地域で戦端は開けないのである。要塞工兵が塹壕の強化を行っている。写真では分からないけどね。


バルカン戦線では、多国籍の烏合の衆が集まっている。この物言いはひどいのであるが、現実的にどちらも戦線で展望を開けないので、あながちハズレた表現とは言えないのである。


東部戦線では、一時的に捗っていたCPの進撃が、ロシア軍のハイスタックに喰い止められている。この戦線が長さ的に短いので、ロシア軍も兵力を密集させ易いのだ。これにより、精鋭のドイツ軍も攻撃を行うのに躊躇させる。-DRMが適用されると、予想外な損害を被ってしまうのだ。それはユニット単位での戦力が引くAH軍では顕著になる。現状ではブレストリトフスク、コブノ、そしてワルシャワを占領しているため、戦意のDRMがー3となる。上手く蓄積すれば、革命まで持っていけるのであるが、革命を考えないと、この戦線をロシア軍が維持するのは簡単なのである。それでも、ドイツ軍は前進し、リガへ接敵する。だからどうしたと言われそうだが、攻撃が出来るという状況が重要なのだ。


1916年3月を終えた全景となる。
戦線自体では大きな動きは無かったものの、各所で細かく激しい物語は噤まれている。


 
『1916年4月』


西部戦線では、ドイツ軍は前線の要塞化に勤しむ。主攻勢が東部戦線である上に、イタリア戦線でも攻勢を行っているため、こちらの西部戦線は小休止とならざるを得ないのだ。フランス軍による角ヘスクへの定期便は行われたのであろうか?リールへは、周辺のフランス軍が塹壕と要塞へ入っているため、行われなかったと推測される。では、角ヘクスのJ10はどうだろうか。攻撃を行える3ヘクスのフランス軍は、全て塹壕や要塞から出ている。しかし、ドイツ軍に損害が出ている様子は見られない上に、損害を受けたための援軍を編成していない。フランス軍もスタックの枚数が減っている様子は見られず、兵力の供給地であるパリも、騎兵軍団があるだけだ。騎兵軍団は防御に不向きなため、やはり攻撃に出たとは考え難い。要は、フランス軍は攻撃を受けない、もしくは受けても危険はないと判断して、塹壕や要塞へ入ってないだけなのだろう。
我ながら、「西部戦線異状なし」と書くだけなのに、延々と何をこじ付けしているのだろうか。


イタリア戦線では、ベニスへの攻撃が失敗。AAで17戦力が消滅してしまう。全く、-DRMはこのゲームでは恐ろしい結果を生むのである。これでイタリア戦線のドイツ軍は一気に消耗してしまった。そこへフランス軍が到着し、AH軍へ反撃を決行。そしてアルプス山脈へと踏み込んでいる。まるで、回転扉のように、ドイツ軍が進めば、逆の地点でフランス軍が進んでいる。それにしても、もう一押しすればイタリア軍が崩れると思われたが、ドイツ軍の兵力の失策と、フランス軍の到着のために、目論みは見事に頓挫してしまった。

バルカン戦線は両陣営の兵力投入による均衡で、攻勢は行われなかった。そのため写真は省略する。イギリス軍がゾロゾロとサロニカへ上陸をしており、その部隊が前線へ到着した程度だ。
さて、幾つもの戦線で大きな動きが無かった中で、惨事が発生した。


それは東部戦線で、ドイツ軍の突出部へロシア軍が攻撃を行ったのであるが、その結果がDXだったのだ。防御力と同等の戦力を失うため、優秀なドイツ軍の防御力と同じ戦力を除去となり、攻撃力が弱体なロシア軍に大きな損失となり、戦線に大穴が開いてしまったのだ。
この惨状は、APに危機感を募らせ、サロニカへの増派を強化する結果となる。私は西部戦線で詳しい模様を知らないが、ここまで攻撃側が損害を受けるのを見たことが無い。CP取り、大きなチャンスが発生したのである。


東部戦線の他の地域では、ドイツ軍の前進により、リガへの圧力が増している。ロシア軍は移動力の関係で、塹壕へ入る間もなく、ドイツ軍の攻撃を受けている。この辺りは、ドイツ軍の優秀性が現れるのだ。中央の湿地帯では、ロシア軍も展開し、ドイツ軍の侵入を阻んでいる。AH軍もロシア軍の大群に、攻撃を拱いている。


1916年3月を終えた全景となる。
ここでバルカン戦線の動きの無さを確認して欲しい。それでも、AH軍やイギリス軍の投入は留まることを知らない。続々と増強されているのだ。


『1916年5月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。


この時点での戦闘の焦点であるイタリア戦線は、ドイツ軍が損害を受けた穴埋めに、AH軍が投入されている。ドイツ軍を送りたいのは、山々なれども、他戦線の状況が許さないのである。それを突いてイタリア軍が攻勢に出て、一角を占領した。この主導権が入れ替わるのも、絶妙に調整されているのだ。


西部戦線は異常なし。
フランス軍が角ヘクスのL11へ向け攻勢を行ったものの、
損害を出しただけだった。いつの時点か分からないが、AH軍も西部戦線の塹壕へ投入されている。これは安上がりな部隊で守らせるため。ユニット数が多いと、それだけ攻撃が成功する確率は低くなるのだ。ゲーム開始前から知ってはいたものの、このようなゲーム的なテクニックを使うのは如何なものかと躊躇していた。しかし、背に腹は変えられず、史実とは大きくかけ離れた事をしてしまった。
イギリス軍はバルカン戦線へ兵力を引き抜かれたため、お休み中。


バルカン戦線では、両陣営とも攻勢を行えない戦力であるものの、イタリア軍が延翼運動を行い、AH軍の戦線への浸透を狙っている。そしてサロニカへ続々とイギリス軍が上陸中。少々、多すぎるように思うが。


東部戦線では、前ターンでロシア軍の大部隊が壊滅したのを突いて攻勢を行った。リガとミンスクの中間地帯のロシア軍を突き崩し、分断を狙っているのだ。


1916年5月が終わった全景になる。
大きな動きはないが、一瞬たりとも気の抜けない鬩ぎ合いは続いている。
そしてターン終了時に各国の戦意を判定したところ、イギリスとフランスの補充が半減した。この報を受け、CP司令部は大いに沸き変える。
ところが、その喜びも束の間だった。アメリカが参戦したのだ。このターンに「やはり史実通りの参戦では、Uボートの無制限攻撃が大きい」との意見を取り入れたのである。これが早速影響するとは驚きであった。


『1916年6月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。

西部戦線では、CP司令部はフランスもイギリスも補充が半減しているため、攻勢は行われないと判断していた。ところが、さすが攻め達磨のDublin卿である。補充の半減など物とせず、攻勢を行ってきた。

その大きな理由が、フランス軍に攻城砲が到着したのだ。これで通常の砲兵×3に攻城砲を加えて12火力となる。ここまで砲兵の戦力が高まると+2DRMを受けられ、さらに要塞ヘクスへの攻撃に攻城砲が参加していると+1DRMを受けられるのだ。そうなると、要塞の地形効果を受けていたとしても、最終的なDRMは+1となる。角ヘクス(L11)へ2:1の+1DRM、そしてBig Push Attackを宣言した。上の写真では、その戦闘の解決をするため、一旦フランス軍もドイツ軍も位置するヘクスからずらしている。尚、Big Push Attackは「大攻勢攻撃」や「強行攻撃」と和訳で表現されているが、どれも当て嵌まらないような気がする。そのため、対戦中も「Big Push!」と言って攻撃していた。


フランス軍のBig Push Attackは大成功を収める。一気に、ドイツ軍のフルスタックを一撃で壊滅させてしまったのだ。これには驚嘆しつつも、敵ながら天晴れであった。


こちらがターンを終えた西部戦線の写真になる。
フランス軍がドイツ軍の戦線へ喰い込んでいるのが分かる。ゲーム開始当初は、ドイツ軍の数が少なかったため、イギリス軍に幸運が傾いただけでドイツ軍の戦線へ食い込むことが出来た。ところが、一旦ドイツ軍の数が揃ってからは、運不運に関わらず、攻撃が成功してヘクスを占領する事はなかった。これにより、戦争は大火力を集中させ、強固な陣地帯を粉砕する技術が開発されたのである。ドイツ軍は失った兵力を戦線直近の国内へ再編成している。対するフランス軍は、パリに1個軍団しか再編成されていない。戦意が下がり、補充半減の影響が出ているのだ。


イタリア戦線では、ドイツ軍の投入が控えられたため、フランス軍及びイタリア軍の攻勢が起動に乗っている。成功率は高くは無いが、小オッズでも多数の攻撃で、AH軍に後退を強いている。Dマーカーが乗っているのが分かるだろう。


バルカン戦線では、イギリス軍とAH軍の増強が続いている。そろそろイギリス軍が攻撃に出たような気配がする。何故なら、イギリス軍の一部がいなくなっている模様だからだ。ブルガリア軍が塹壕へ入っているヘクスを、単独で4戦力のみと、攻撃を行ったところ。フランス軍との共同や荒地、それに塹壕の効果により、合計―3DRMとなって攻撃側損耗の結果を喰ったのだ。この損失が続き、イギリス軍の首脳を愕然とさせる事となる。それっでも、一部でブルガリア軍を後退させているので、成功はしている模様だ。


東部戦線では、ドイツ軍の攻勢により、ロシア軍は連続した戦線の構築さえも行えなくなっている。リガ、ミンスク、キエフと、それぞれの周辺にユニットの集団が固まっているのみとなる。


こちらが1916年6月の終わった全景となる。
やはり、東部戦線の崩されているのが、目に付くだろう。
ドイツ軍のフルスタックを壊滅させたと述べたが、フランス軍も多大な出血を負っている。それはサルジニア島の再編成待ち部隊を見れば分かるだろう。ここにはイギリス軍もある程度の部隊が送られている。西部戦線では攻勢に出てないので、やはりバルカン戦線で損害を被っているのだろう。
ちなみに、マップ右上と左上に補充を管理するトラックがある。小さくて分かり難いだろうが、AH軍の補充は使いきれないほどになっており、ドイツ軍も幾分かの補充を残している。これはAPが効果的な消耗戦を行えてない証左である。


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