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2024-11-24 10:04

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2010-11-30 14:44

『第八十四回千葉会の報告』土曜日版

十一月二十七日(土)
参加者は13+1名

プレイされたゲームは以下の通り。
GMT『Paths of Glory』
コマンドマガジン『スモレンスク攻防戦』×3
コマンドマガジン『JUNE - AUGUST '44: The Struggle for Normandy』
GJ『信長最大の危機』×2
GJ『項羽と劉邦』
HJ『ドミニオン』×5

ASLは2ゲーム。
J53『SETTING THE STAGE』
AP32『SECOND CRACK AT CAUMONT』
以上でした。



写真は参加者が一通り揃った午後の全景。
手前左隅に、私とjoeさんの『Paths of Glory』卓がチラリと見えて。中央には山崎さんとDASRAICHさんの『信長危機一発』卓。その右にはかみさんと提督さんの『JUNE - AUGUST '44: The Struggle for Normandy』卓。一番奥にはMMさんとルセロさんのASL卓で。右隅に写り損ねているのが、HAさんとMatさん、それに後ほどDASRAICHさんが加わる『スモレンスク攻防戦』卓。そしてそして中央手前には、友情頒布している『SL Gamer Vol.1』
隣りは終了間近で、残りの食料品を片付けるの図。これが2つ。
対戦図もありーです。



『友情頒布中』

さいたまゲームサークルの最新作である『SL Gamer Vol.1』を今回も友情頒布しています。
40ページの同人誌に、ゲーム付きで500円は格安であーります。
えー、近隣のサークルにも行商へ伺うので、皆さん暖かく迎えてくだされ。



『JUNE - AUGUST '44: The Struggle for Normandy』
      
かみさんと提督さんがコマンドマガジンの新作を対戦していました。
新作に挑むなんか、千葉会らしくあーりません。
かみさんは十年ぶりのノルマンディで、それでも随分と高い評価をしていました。ゲームの評価ですが、とっても(゜∀゜)イイ、と。
連合軍はウハウハで攻撃出来るわ、ドイツ軍はウホウホで反撃出来るわ。天候の処理も絶妙になっています。
昔のエポックDDAYでは、天候の悪化が決まったターンに起きていました。その定番さがなく、良い感じに仕上がっている、と。
マップやユニットの使い勝手も(゜∀゜)イイですし。



『スモレンスク攻防戦』

HAさんとMatさんが『スモレンスク攻防戦』の対戦で盛り上がっているとおー。大物が釣れましたよお、DASRAICHさんという。
初戦は、HAさんとMatさんが対戦。
陣営はHAさんがソ連軍、Matさんがドイツ軍を担当しました。
ドイツ軍が苦しいという『スモレンスク攻防戦』、評判とは逆にMatさんが勝ち。
その後、HAさんがDASRAICHさんに2連戦し、強化されていました。
僕からは、虐めにしか見えなかったけどなぁ(゜∀゜)。



『ASLは2戦』

ふむ。最近、『日露戦争』とASL、それに『ロシアン・キャンペーン』との呼び名に相応しくなく、対戦ゲームがバラけて来ましたね。
この日は『日露戦争』と『ロシアン・キャンペーン』がありませんでしたから。
しかしASLは健在。ASLリーグの公式戦が2戦されていました。
初戦は、ルセロさんとMMさんの対戦。
ルセロさんはASLリーグで13勝1敗(13連勝!!)と独走中。昨年のリーグでも独走していましたが、私・yagiが天敵でして(゜∀゜)。連敗を喫しトップから引きずり落とされたのです。
ところが、今年は私が負ける年らしく、天敵加減を発揮出来ていません(´・ω・`)。ええ、ルセロさんと私の対戦成績は、毎年8:2くらいを行ったり来たりしているのですわ。で、去年は私が勝てる年で、今年はルセロさんの勝てる年、と。

そこで立ち上がったのは、我らがMMさん。
自分に有利なSSRである、「OBAは事前砲撃」も「建物内はHIP」も使わずにルセロさんから金星!!
漢としか言いようがありません。

二戦目は、ルセロさんにy.nakanoさんが挑んでいました。序盤に“y.nakanoダイス”が爆発し、そのまま押し切るかと思われましたが、ルセロさんが盛り返し。
中押しで勝利していました。
写真は初戦の物しかありません。y.nakanoさんがMustAttackの日記で使うのでせう。



『項羽と劉邦』

第一次世界大戦から引き上げたjoeさん。MatさんとGJの『項羽と劉邦』を対戦していました。
joeさんいわく、「忘れた頃にやるのが(゜∀゜)イイ」そうです。
「項羽(・∀・)ツエー、でも人望(・ω・)ネエー」、「劉邦はキャラがコイー( ̄▽ ̄)」というようなゲームらしいです(どんなんだ?)。



『信長危機一発』

同人誌時代のGJが作成した傑作、『信長危機一発』です。
信長普及委員の山崎さんが、DASRAICHさんやsawadaさんへインストしていました。



『Paths of Glory』
         
予告なしに現れたjoeさん。
joeさをといえば、私との『パスグロ』でしょう。
今回はお互いに苦手を克服する事をテーマにしました。
で、私がCP、joeさんがAPを担当しました。
しかーし、苦手を克服できたのはjoeさんだけ。みたいな。
私は全くダメで17ターンで西部戦線が無くなっちゃいますたぁ。
僕はもう『パスグロ』では勝てニャイような希ガス(´;ω;`)。
写真の2枚までは、ゲームが始まったところです。そして最後の2枚は15ターン。既にドイツ軍の崩壊が始まっており、これから加速度的に戦況は悪化して行きます。


『ドミニオン』
      
最近の千葉会では、戦争に疲れた漢達が『ドミニオン』へと流れていました。
と言いつつ、合計5戦しているので、主力ゲームとなっています(・∀・)。

対戦結果は以下になります(敬称略)。
一回戦目:①sawada・26、②山崎・22、③y.nakano・11、④さいたま菅原・9
二回戦目:①Mat・33、②山崎・31、③y.nakano・30、④sawada・28、⑤さいたま菅原・20
三回戦目:①山崎・33、②sawada・21、③さいたま菅原・21、④MM・13、⑤Mat・12
四回戦目:①Mat・35、②さいたま菅原・34、③かみ・29、④yagi・25
五回戦目:①yagi・42、②かみ・40、③joe・37、④Mat・25

以上の対戦結果を見てわかるのは、上位が安定していない、という事です。
Matさんが良い例で、ビリ⇒トップ⇒ビリ⇒トップを繰り返しています。私も初戦はビリで次はトップ(・∀・)。
程よく運が絡み合っているのでしょう。上位が固定しないのは(゜∀゜)イイ。



『差し入れ@食料品』
   
何時ものように、食料品の差し入れがありました。
食パンやハム、チーズなどあり、軽食に最適であります。
山崎さん有難う御座いました。


『土曜日のヤーボ君』

はいはい、ヤーボ君も健在でおま。
この日はお気に入りのトムジェリのDVDを鑑賞。
その後は、ドラゴンクエストへと回っていますた。



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2010-11-23 21:11

『茨城会でロシキャン×2』

先週の茨城会へ参加しましてね。
コマンドマガジン『THE RUSSIAN CAMPAIGN 2』をですね。
2面打ちして来ました。
お相手は水戸爺さんと紫の旗さんのお二方。
「ロシアキャンなら、2面打ちでもOKっすよ」と言ったら、「じゃあ、お願いします。」と。
内心「えっ、やっぱり!?」とビビったのは内緒。
両方ともソ連軍でした。どちらかがドイツ軍なら無理なんですけど。
忙しかったので、写真はなーしです。

2面打ちでも問題ないと判断した理由はですね。
最近錬度の高い人間と集中して対戦し続けているので、ロシキャンの本質を掴めたのです。
そして自分なりのソ連軍の戦略を確立させているのです。

良く、「どこに何戦力」とか「どのユニットがいるといい」とか聞きますね。
でも、そんな事は大した問題ではないんです。
要は、自分がどのように戦争を行って、どうやって勝つかをイメージできるかどうかなんです。
たまに、戦略を凌駕する駒捌きがありますがね。
オレにはそんなモン必要ねえ、です。そんな奇策で勝ったとしても、意味はないと信じています(「オメーが言うな」、の非難がGOGO聞こえう)。
できるだけ、どのようウォーゲームでも、史実や実生活でも共通する“理”を追求する。王道の勝利を目指すようにしています。
だって、ろくに戦力がない空挺が首都を攻略したり。補給源だからと都市に上陸して首都を目指すとか。オカシイっしょ?
まあ、あまりそんな観念的な事を言われても、ウザイだけなのでリプレイに行きませう。

最初に始まったのは水戸爺さんとの対戦で、こちらを『THE RUSSIAN CAMPAIGN』一番。
それより遅れては紫の旗さんとの対戦で、『THE RUSSIAN CAMPAIGN』二番とします。

『THE RUSSIAN CAMPAIGN』二番
まずは、紫の旗さんとの対戦からお伝えします。

配置は上のような感じでした。わざとブレストを薄くしました。
紫の旗さんの腕前を知るためです。事前の会話の中では「ソロプレイで5~6回やりました」と言っており、それがどれ程なのかを試したのです。
紫の旗さんは、そのブレストを突破口に、2線目まで突進して攻撃して来ました。
やれやれ、ちゃんとロシキャンを理解しているぞ、と身に染みる事になりました。

指手として悪くない紫の旗さんでしたが、サイの目は最悪に近いものでした。
1ターンの攻撃で、中央軍集団が行った7-1の最高オッズでは1のDR(×2)。襲撃した2線目もCだかEX。オデッサへの3-1はAR。これでドイツ軍は行き成り苦しくなりました。
ソ連軍は突出した中央軍集団の装甲軍団×2のスタックを包囲攻撃を行いました。そう、そこまでの余力があったのです。それには失敗しましたが、戦線は張れていました。

2ターンの紫の旗さんはルーマニアからの突破を指向しました。
増援をルーマニアへ送り、前線は南方軍集団の司令部からスツーカを飛ばして突破を目論んだのです。
これは初めて見る手なので驚き・・・。いや、嬉しくなりました。「こういう手もあるのか」と。しかし、ここでもサイの目は芳しくありません。
主力の中央軍集団と北方軍集団は、ソ連軍の戦線に引っ掛かって前進が捗りません。

3ターンの天候は晴れ。
ここでお天気が崩れたら、そのまま勝負が決まったのですが、思うようになりませんでした。
後に触れますが、先に進んでいた『THE RUSSIAN CAMPAIGN』一番でも晴れだったので、「こっちでも晴れかよ」と思ったモンです。
お天気は良かったものの、ソ連軍の前衛配置が効いて、中央軍集団と北方軍集団は前進しただけ。精々、スモレンスク周辺で南方旋回を遅滞すべく置いた、ソ連軍の戦車軍団を排除しただけ。
北方軍集団がやっとでレニングラードへの攻撃態勢に付いたくらいでした。
南方軍集団は~。良く覚えてないなー。ソ連軍の遅滞戦術にハマってたような。

そして4ターンは降雪。
これでレニングラードはオッズが立たず攻撃不能。モスクワは届かず。キエフもオッズが立たず断念。
唯一、防備が手薄だったドニエプルペテロフスクを強襲占領しますが、ソ連軍の反撃により奪還されてしまいます。これでサドンデスが決まりました。

さて、先ほど述べましたが、紫の旗さんはソロで研鑽しており、指手としては決して悪くありませんでした。
ただ、何分古いゲームなので、サイの目が偏るとどうしようも無くなってしまいます。今回がそれに当て嵌まるでしょう。
私が2面打ちを受けた理由の1つも、どちらかの対戦はこのような結末になると予想していたからです。
体調も良かったし、酒も飲まなかったしw。


『THE RUSSIAN CAMPAIGN』一番


続いて『THE RUSSIAN CAMPAIGN』一番に移ります。
お相手の水戸爺さんは、VASSALで通信対戦しているのを知っていてですね。穴の無い配置にしました。
41年5/6月ターン

がー、Aには5戦力しか置かなかったため、自動的勝利を決められてしまいます。
そこからキエフ軍管区を突き抜けられ、ソ連軍が2ターンで粘る予定の山岳を押さえられてしまいました。ついでに言えば、中央軍集団と北方軍集団ではサイの目が走り、前線のソ連軍の皆さんは居なくなってしまいました、とさ。やれやれ。

41年7/8月ターン
ソ連軍は中央軍集団と北方軍集団の前面では、いつものように前衛配置で挑みます。しかし、先のターンに、サイの目が走った分、ソ連軍の戦線は弱体でした。それは如実に出たのが南方。キエフ前面がキレーに無くなっちゃいました。ああ、中央軍集団と北方軍集団でも同じことが起きてました。
ソ連軍はここで一気に戦線を後退させ、レニングラードやモスクワ前面まで下がります。二番でもありましたが、南方旋回を遅らせるべく、スモレンスク周辺に戦車軍団を配備しました。

41年9/10月
天候は晴れ。やれやれ、です。
ドイツ軍はレニングラード前面が強固に防備されているため、一部を南方旋回させ、主力はモスクワへと接近させます。そしてカリーニン北部で渡河。モスクワ河へ楔を打ち込みます(地図で探したけど、マップでの河川が何か不明でした)。そしてキエフやドニエプルペトロフスクを攻略。
ソ連軍は中央から南方でも脅威を抱える事となりました。

41年11/12月
天候は晴れ。一瞬投了と咽元まで出掛かりました。それほどこの戦況は厳しかったのです。
ドイツ軍はモスクワを攻略・・・、に成功しましたが、占領に拘りません。モスクワのソ連軍を後退させ、それ以上踏み込むことはありませんでした。
南方では、ハリコフ、スタリノを攻略。セバストポリは孤立化させています。
この時点でソ連軍の労働力は2まで減っていました。配置されていたレニングラード以外の労働者をイカレたのです。
ソ連軍を担当して、ここで追い詰められたことはありません。
しかし、ドイツ軍は次のターンに降雪があるため、ソ連軍との距離を空け、冬営へと移りました。
ソ連軍?ソ連軍はドイツ軍の主力である、モスクワ周辺から東進させぬよう、増援で現れた部隊を並べるのが精一杯。

42年1/2月
漸く降雪。ソ連軍のお休みできるターンです。
ドイツ軍は冬営に移ってましたが、布陣の弱体な南方にソ連軍は親衛軍を送り込み、反撃の態勢を取りました。しかし、それ以上は困難なため、失った戦力の補充に追われます。

42年3/4月
記憶では、軽い泥濘でした。
ドイツ軍が冬営のため、ソ連軍との距離を置いていたため、戦闘は起こりませんでした。
はっきり言いましょう。ここでドイツ軍はフィンランド軍で攻勢を行うべきでした。唯一のスツーカを使え、これでレニングラードへ迫るのが良かったのでしょう。
フィンランド軍が仮に1ユニットくらい失ったとしても、天候が良好になり次第増援として受け取れ。フィンランド軍のみでレニングラード強襲を狙えたのでした。ドイツ軍の兵力も、この周辺には最低限しか配備していませんでしたが、もうちょっと。例えばフルスタックの歩兵軍団+司令部を置いてあれば、いつでも攻勢を取れたのです。
それが無かったため、ソ連軍としては安心でき、先々反撃の礎に出来たのです。

42年5/6月~秋まで
ここからは記憶が定かでないため、ちょっと省き気味になります。
天候が回復しての、ドイツ軍の攻勢は史実に近いものでした。クルスクを基点に東進を目指したのです。
ソ連軍は「溶鉱炉に人間を投げ込む」状態。回復した労働力に、レンドリースとして受け取った
補充。さらに増援を投入して、漸く大規模な突破を防いでいました。
ソ連軍としては、兵力も決して増えて行かず、戦線も後退を繰り返すという、厳しい戦いが続いたのです。
しかし、私には強みがありました。そんな戦況はマイドマイドだったのです。

42年~43年冬
天候が悪化するまで、ドイツ軍の進撃は続き、遂にスターリングラードまで達しました。
ソ連軍は最終防衛ラインまで押し込まれていました。2重の戦線を構築する兵力はなく、ヴォルガ河で、スターリングラードからサラトフまでで戦線を張るのが精一杯。最南端のアルハンゲリスク前面には戦線は存在せず、その都市に2個ユニットを入れて死守する構えでした。
そして前年より早く天候は悪化したのです。
ソ連軍は、ドイツ軍が薄いままにしていたレニングラード前面で攻勢に出ました。
そして降雪になり、ドイツ軍の中央軍集団の後方へ空挺降下を決行。パルチザンも使い、ドイツ軍の戦力展開を妨害しました。
この冬が明けるまでに、ソ連軍はほぼ無血でリガを占領・・・、いや解放でしたか。ドイツ軍の中央軍集団は、ソ連軍の波状攻撃を受けて壊滅状態でした。
しかし、物語はここで終わることはありませんでした。

43年の死闘
壊滅寸前のドイツ北方軍集団でしたが、増援のSS装甲軍団が到着し戦力は何とか整いました。そのSS装甲軍団が大活躍するのです。
リガを解放し、さらに西進を目指したソ連軍の先鋒。親衛軍のスタックへ反撃を行い撃退。さらに追撃を行い壊滅状態へと追い込みます。これはミンスク前面の中央軍集団戦区でも行い、一時はドイツ軍の攻撃が終わると、ソ連軍がいない状態になっていました。あまりにも見事な反撃で、敵ながら天晴れ。笑ってしまえました。
ソ連軍の北部での攻勢が頓挫した後に、攻勢の舞台となるのは南方。キエフの前面でした。
ソ連軍は冬の間に、精鋭部隊を各地に分散する防御態勢から、密集させる攻撃態勢に変えていたのです。オッズは上がりませんが、3ヵ所で攻撃を行えば、その内1~2ヶ所は成功します。そこから親衛軍を捻じ込んで、ドイツ軍スタックを包囲したのです。
ドイツ軍はバラして配備すると、オッズを上げられてしまいます。それを避けるため、スタックをすれば、包囲された場合に被害も大きくなるのです。
そこで見捨てられず包囲からの救出を目指して反撃。すると、“C”が出て拘束される。
それを繰り返したため、凄まじい殴り合いが展開されたのです。
43年を終える頃には、ドイツ軍には精鋭の装甲軍団か、後方でパルチザン狩りを行っていた枢軸同盟国か、と。正に、史実に近い状況でした。

終末の44年
44年の春を迎えると、ドイツ軍は決定的に戦力が不足します。
キエフ正面の殴り合いの、その南には戦線など存在しなかったのです。
悪天候での移動力不足により、ソ連軍に回りこまれる事がありませんでした。そう、ドイツ軍はギリギリの綱渡りを行っていたのです。
そして天候の回復により、戦線の綻びを放置する事はできなくなりました。
ドイツ軍の南部は、元の国境を目指して退却。先回りを目指したソ連軍によるオデッサ強襲上陸も行われましたが、何とか撃退。ブーク河に沿って戦線を構築しました。
ソ連軍は波状攻撃により、大損害を被ったものの、遂にはこの戦線を突破しました。
危機的状況は中央方面でも起こります。
奮戦していたSS装甲軍団の1つがEXで飛びます。それを合図に残るSS装甲軍団が他の戦線へと引き抜かれて行きました。
ヘルシンキは毎ターン行われる定期便の攻撃により陥落。フィンランドは脱落していました。これは44年の始めでした。
ソ連軍がルーマニアに踏み込んだのは44年の春。
そしてオデッサとワルシャワの陥落により、ドイツ軍の敗北が決定したのは44年7/8月でした。

お相手くださった、水戸爺さんと紫の旗さん。
有難う御座いました。格別な時間を過ごせました。

さて、ここで日本中へ呼びかけてみよう。
誰か、『THE RUSSIAN CAMPAIGN 2』が再販されて、44年7/8月ターン以降粘れた方はいるのかな?

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2010-10-30 17:59

『祭・日露戦争』:ニチロのガキども

では、エポック/コマンドマガジン『日露戦争』について述べる事にしましょう。
まずは『日露戦争』の基礎知識から。
『日露戦争』はエポックからシリーズ化れていた、ワールドウォーゲームの第2作として出版されました。
エポックは販売のみを担当し、その開発は鈴木銀一郎氏…、尊敬を込めて鈴木大佐と呼ぶ事にします。その鈴木大佐と黒田氏の率いるレックカンパニーが担当していました。

最近、私は初期のシミュレーターを読み返す事があり、その中から引用というか記憶から。だから間違いもあるでしょうが、笑って許してくだされ。
黒田氏と鈴木大佐は、今も神田にある奥野カルタ店で知り合いました。鈴木大佐があるゲームを眺めていると、それを見ていた黒田氏が「そんなゲームを買ったらいけないよ」と声を掛けたのが出会い。そして意気投合した二人は、レックカンパニー設立し、数々のウォーゲームを開発する事になったのです。

鈴木大佐がレックカンパニーを起こす際に述べていたのが、ウォーゲームの未来についてです。
それまでのウォーゲームは、海外からの輸入品ばかりで、不確かな和訳なくせに、値段は大変高価でした。それを当時の少年達が、なけなしの小遣いで購入しているのを見て、このままではウォーゲームの未来はない。日本人が日本人のために開発し、日本語で書かれたウォーゲームを、こう言った少年達へ渡さなければならない、と熱く語られていました。
ですから、ワールドウォーゲームで販売されたウォーゲームも、入門用のである『独ソ電撃戦』『日露戦争』『バルジ大作戦』とラインアップされるのです。
この3作は、現在ではエポッククラシックと呼ばれ、ウォーゲーマーは、一度は通る道と言っても過言ではありません。

これらの特徴は、非常にシンプルである事。
移動と戦闘があり、ZOCがあり、戦闘後前進がある。
基本はこれだけで、後はその戦場の特色を出すべく、色付けを行っています。この頃のウォーゲームは、そのゲームでのみ使えるテクニックがあり、それを極力排除しています。
地形効果もシフトなのも、それを表しています。
それまでのゲームの特徴で、地形効果が戦力を倍化するものばかりでした。そのため計算が煩雑だったのです。アバロンヒル・クラシックでは、大都市で防御の戦力が倍化されました。そこへ額面20戦力が守っている場合、攻撃を成功する可能性が高い3:1まで持って行く事を想像してみてください。只でさえ、計算の出来ないアメリカ人ですから、戦力とオッズの一覧表も梱包されていました。

個人的な事を言えば、エポックで出版されている当時は、『日露戦争』に全く縁がありませんでした。
入門用のゲームというだけで興味を持てず、さらに当時乱発されていた、酷い国産ゲームもその色眼鏡を強くさせたのです。お門違いな意見の述べる人間も、近くにいましたし。
『日露戦争』を避ける理由の最大1つが、部隊を自分で編成する必要がある事でした。昔のゲームでは、自分で部隊を編成する事に、かなりの練度が必要だったのです。
はっきりいえば『第三帝国』でかなり苦労したんですわ。
部隊を作り過ぎて攻勢を取る事が出来なくなったり、ある部隊が足りなくて後々泣いたり。ドイツ軍のお金が無くなって、先攻後攻が入れ替わったなんて、あったなぁ(・ω・)トオイメ。そんな印象が強かったので、自分で部隊を買うゲームは、なかなか手が出なかったのです。
しかし、『日露戦争』は、高々3~4個のユニットを選ぶだけです。ユニットも種類は3つ4つですし、特別な物は少数。それに補充を手当するだけです。


そしてゲームテクニックは一つしかありません。簡単にいえば、敵を壊滅させたかったら包囲しろよ、と。いわゆる、「挟んでポン」ですね。
これには異論がある方もいるでしょう。「包囲されたぐらいで軍隊は壊滅しない」とか、「ゲーム的過ぎる」とか。
そういった方に、敢えて言わせて貰います。「貴方は包囲された事はあるんかい?」と。
私はあります。
私はサバイバルゲーム、略してサバゲーをやってた時期があります。その時に心掛けたのが、相手の側面を取る事。後面は大変でしたし。正面から敵方に迫られた場合、人数的に負けていても、下がる事ができれば、かなり粘れます。
例を挙げるなら、正面から2人までなら、遮蔽物を利用できれば迫られたとしても、1人で撃退する事は可能です。これが3人になると、どんな遮蔽物があったとしても、抵抗は不可能で、仲間に知らせながら速やかに後退します。
ところが、側面を取られたり、後ろを取られた場合は、その時点でアウトです。敵の側面や後ろを取れる人間は、腕前もそれなりですから。そんな情況に気が付いた時点で落とされていました。
ウォーゲーム的に言えば、正面からは2:1の攻撃なら撃退は可能で、3:1では攻撃は確実に成功する。包囲すれば簡単に壊滅させられる、という事になりますね。
ですから、ウォーゲームをやってた人間がサバゲーをやっても、かなりの戦いが出来たのです。体力的には別ですが(・ω・)。今なんか、足が動かないでしょうねー。走っただけで怪我をしそうですし( ̄▽ ̄;)。

『日露戦争』に縁がなかった私に転機が訪れたのは、10年ほど前にあるサークルへ参加し復帰したこと。
そこで当時、コマンドマガジンから再販された『日露戦争』を対戦していましてね。それを横で見ていたら、無性にやりたくなったんです。
作戦級ゲームの基本さえ知っていれば、そこそこの対戦ができますから。
それから、ようやく『日露戦争』の魅力を確認し、かなり対戦しましたねぇ。先のサークルでも、ワンデェイ・トーナメントなんかを企画したりしましたし。でも長考の人間がいて、企画倒れギリギリになっちゃいましたが。別のサークルへ飛び込み参加した際なども、『日露戦争』は共通言語のように対戦できましたし。
長い付き合いのMMさんを先のサークルへ誘い出して。
彼が『日露戦争』を昔からやっててですね。かなり上手くて、初対面の方々にも褒められて。それが自分の事のように嬉しかった物です。

そして『日露戦争』で最も評価しているのは、戦略の重要性を実感出来る事。
駒捌きで勝ててしまえるウォーゲームが多かった中で、『日露戦争』は自分の欲した勝ち方を選び、それに沿った作戦を展開して行く。その戦略が確固としている人間が、最も勝利に近くなります。そんな当たり前な手順を習得出来るのも、『日露戦争』の大きな魅力になっています。

そんなこんながありまして。
自分でもウォーゲームのサークルを始める事となり。その千葉会でも『日露戦争』は定番となっています。
定番となる理由は、『日露戦争』の魅力と共に、やはりウォーゲーマーは初心者が多い事に他なりません。
一時的な興隆があり、そこから冬の時代が続きました。その理由を探るのは、この記事の本来の目的から外れてしまいますし、結局は虚しい結末で終わるでしょうから触れません。

言えるのは“今でもウォーゲームが好きな人間は各地に隠れている”という事です。そして、きっかけさえあれば、ウォーゲームに戻って来る機会を待っとる、と。
その際に、『日露戦争』は暖かく出迎えてくれるのです。
そう30年前のガキ共は、未だに『日露戦争』で腕を磨いているのです



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2010-10-30 17:57

『祭・日露戦争』:坂の上の雲では物足りない

さてさて、はねはねさんの開催している日露戦争の祭に、遅ればせながら参加しましょうか。
まずはゲームではなく、日露戦争と言えば外せない、司馬遼太郎の名著“坂の上の雲”から触れて行きます。
司馬遼は流行り病のような物で、ツボにはまると一気に読んでしまいます。私も一時期ハマって、全作品の読破に精を出した物です。“坂の上の雲”はその中で異色の物語でした。
司馬遼の作としては、最も現代に近い小説で、この明治より後の時代は、嫌悪に近い感情で語られ、エッセイで愚痴を溢しす事はあるものの、小説としては作品にするのは避けられています。その点“坂の上の雲”は、唯一正面から戦争を描いた司馬遼作と言えます。

さて、名著である“坂の上の雲”ですが、私のようにミリオタで、南北戦争や第一次世界大戦へと足を踏み入れると、見方が少々変わって来て、疑問や違和感が沸々と湧いて来るんですね。

まずは、乃木将軍を悪く言い過ぎじゃないか、と。
愚将とまで貶められています。去年、参加した菜の花忌でも、パネリストの皆さんがそのように述べてましたし。
その理由として、旅順要塞の攻略で、無為に損害を出し過ぎた事が挙げられています。
しかし、“坂の上の雲”で司馬遼が述べている、「歩兵では手に負えなく、要塞は大砲により破壊する」というのは、大きな間違い。何故なら、第一次世界大戦で、各国が同じ事をして失敗。いや、もっと酷い失敗を繰り返しているのです。
何ヶ月に亘り砲撃を浴びせ続け、無人の荒野を進む筈が、僅かに生き残っていた小数の機関銃陣地により、前進が阻害されてしまい。防御側が予備を投入する事により、最終的には攻撃が頓挫する事態が多発したのです。しかも、その作戦を立案したのは、乃木将軍が旅順要塞で悪戦苦闘したのを、観戦していた将軍や将校達です。イギリス軍など、カンブレー戦での一日の戦死者が15000人に上ります。

そして日露戦争の陸上戦のハイライトである奉天会戦では、乃木将軍の第三軍の前進により、ロシア軍は撤退を決意するに致りました。司馬遼が日本の名将と呼んでいる黒木や奥、それに野津が指揮する部隊は、奉天の前面で前進を阻まれていましたから、勝利に最も貢献したのは、ドジでのろまな乃木の第三軍と言えましょう。
それらを勘案すると、乃木将軍は日本やヨーロッパの将軍と比べて、名将とは言えないものの、普通の…、いや随分マシな将軍ではなかったかと。しかも、旅順要塞は海軍の要請により、早期の陥落を強要され、歩兵による強襲を行う必要もありましたから。


次は、日露戦争の旅順要塞と第二次世界大戦のセバストポリ要塞の、その攻防戦の違いは何であるか疑問でした。
旅順攻防戦では、第三軍の死傷率は7割に達し、期間も長期に亘りました。実際は、期間が長かったとは言えないのですが、ロシア軍には余力が十分にあり、降伏が早かったと追及され、指揮官がロシアで訴追されたのは有名な話しです。しかし、それから30年ほど過ぎたセバストポリ攻防戦では、それほどドイツ軍が苦戦したとは聞いた事はありませんし、ソ連軍の後詰が無ければ陥落はもっと早かった筈です。

では、その違いは何でしょうか?
まず、ドイツ軍が80㌢や60㌢の巨大な大砲を投入して活躍した、というのは違うでしょう。高々、一時間に2~3発を撃ち込んだとしても、どれくらいの効果があったのでしょうか。

歩兵の兵器が開発されたのはどうでしょうか。軽機関銃が開発され、前進した歩兵の火力が上がったのは確かでしょう。それから手榴弾の性能も格段に上がっています。というより、日露戦争当時の手榴弾は、不発があまりにも多かった、との記述がいくつも見受けられます。

そして、やはり空軍の存在が大きいのではないでしょうか。空軍の爆撃は、砲撃よりも効果を見込めたでしょうし、何より空中からの偵察で、敵情を詳しく知る事ができたのでしょう。

ドイツ軍が煙幕を有効に使えた?
私はASLという戦術級のゲームを、ここ十年近くプレイして続けています。熟練した人間との違いを、最初に実感するのが、この煙幕の使い方です。それまでは、敵の火点を無力化するために、こちらの援護射撃を当てにするしかありませんでした。そして、それはしばしば効果を得られず、無理な攻撃を行う必要に迫られ、損害が嵩む結果となりました。しかし、煙幕を敵の火点へ展開する事により、もっと簡単で確実に無力化できるようになったのです。
それは実戦でも見受けられ、第一次世界大戦では煙幕の使い方は拙劣でしたが、同様の効果がある霧を利用出来れば、その攻撃は成功したのでした。
時代は変わりますが、レイテ海戦で大和を筆頭とする日本海軍の戦艦群が、アメリカの空母隊を発見して壊滅させています。この空母は仮装空母と言われ、ほとんど装甲を施していませんでした。その際の戦いで、アメリカの駆逐艦が決死行動で煙幕を展開し、そのため撃沈が遅れています。硫黄島の戦いでも、上陸前の掃海(正確には、その調査)で日本軍の砲撃を受けた部隊が、煙幕を展開して逃げおおせています。日露戦争から第二次世界大戦までで、煙幕を有効に使う技術は、格段の進歩を見せたのではないでしょうか。

さて、実は私が一番変わったのは、そのような兵器などでなく、戦い方だと思っています。
日露戦争から第二次世界大戦の間に、第一次世界大戦があり、その中でも多くの要塞戦が行われています。そこで最も成功したのが、ドイツ軍によるリガ要塞の攻略でした。
それまでの要塞に限らず、準備された陣地に対する攻撃は、先に触れていますが、多大な損害をもたらしており、多くは失敗に終わっています。一旦は、成功したとしても、防御側の予備の投入による反撃で、最終的には失敗へ帰していました。これは南北戦争の頃から始まっています。
第一次世界大戦の長い戦いの中で、多くの出血を強いられたヨーロッパの軍隊は、ある戦術を開発する事になります。いや、正確にいえば、開発というより、数多の経験で成功した攻撃から、進化したと言った方が近いようですが。

それが浸透戦術です。
これは敵の抵抗が激しい地点は避け、弱体な地点を攻撃し突破口を築き。そこから前進を行う事により、敵の後方まで前進抵抗拠点を無力化する、という考え方です。
この戦術を初めて使ったのは、ロシアのブルシーロフ将軍で、それを経験したドイツ軍がイタリアのカポレットの戦いで大成功を納め、さらに磨きをかけてリガ要塞を陥落させたのでした。
浸透戦術の特徴は、短時間で集中した砲撃により敵を混乱させ、小数で訓練の行き届いた部隊が攻撃を行い、敵の弱体な部分を探ります。そして、その弱点へ兵力を集中して突破、敵の強力な拠点を迂回しつつ前進。敵の後方にある予備や補給、そして指揮を混乱させ勝利を得るのでした。
この浸透戦術を第一次世界大戦の後で各国が研究し、ドイツは装甲部隊とや空軍を組み合わせる事により、電撃戦へと結実させています。
日本軍は、浸透戦術を肉弾で補う事により、長期に亘る中国を舞台にした戦乱を、優位に戦う事ができました。

このような戦術が確立されたセバストポリ攻防戦では、もはや強固な大規模な防備を備えた要塞は、有効な防衛方法とは言えなくなってたのです。
逆に、そのような戦術を、全く知らぬままに戦われた旅順要塞戦では、大損害が出るのは、仕方ない事態であったのでしょう。

ですから、乃木将軍を司馬遼がエンターテイメントで悪く書くのは正しいのですが、その著作だけで乃木将軍を貶めるのは、如何な物だと思うのです。
個人的には、乃木将軍の指揮下での、旅順攻略へ実際に参加するのは御免ですが。

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2010-10-27 15:14

『猿遊会は乱心でGO!』

ウォーゲーム界の一大イベントである猿遊会が、先週末に開催されました。私も参加しましたので、それを報告しておきます。

『猿遊会初日』
私はASLの対戦を決めてたのですが、テーブルの数に心許ない部分がありまして。先乗りしてテーブルを占有すれば、戦国大名での「先に空白地に入って城を建てた方が勝ちですもんね>_<(byザハさん)」という訳で一番に到着しました。
会場の扉の前に居座り、対戦するシナリオの作戦を組み立てていたところ、主催者のたかさわさん到着。会場を開け、テーブルを並べ替えている間に、続々と参加者が集結して、対戦は…。まあ私のトコが一番に始まりましたね。何せ手慣れたASLで、大きいシナリオと言ってもテーブルの半分ですし、事前の準備が違いますので。ちなみに、テーブルの数が、足りなくなる事態はありませんでした。

そのリプレイ自体は別記事にします。ザハさんの「撮影フェイズ!」の掛け声に釣られ、写真を沢山撮りまして。それで記事をこさえたら、超長くなりそうみたいなので。

千葉会のASL組も、初日には他に3名現れ、ASLを3戦していました。
MMさんがホンキチさんを一蹴して、y.nakanoさんがホンキチさんに勝ち、そしてホンキチさんがy.nakanoさんにリベンジ、と。三人がそれぞれASLリーグでの、初白星を挙げるのに成功していました。良かった良かった。

で、私なんですが、ザハさんとの対戦を予想より早めに終えて。では2戦目に突入しました。
すると、飲み会への先発隊がオレを置いて出発しやがりまして。こちらもギリギリの対戦だったため、勝負が長引いて、出遅れてしまいました。


『猿遊会の大演芸会』
で、ASLの対戦を終えて取るモノも取らず、「じゃあ飲み会に行くから後はよろしくねー」と、一目散にいつもの居酒屋へ走りました。先発隊は7名で編成され、主兵装はビールでありました。私もとりあえずビール、と速攻で一杯空けて。さらに両手分を頼みー、していると。
オレに断りもなく冷酒を傾けとる人間が隣りにおりまして。その冷酒を奪って、手元にあるジョッキへゴボゴボ、と。後は、その隣人と口論みたいな論争みたいな議論みたいなモノをした記憶はあります。それから終電を逃して、ルセロさんのトコへ転がり込み。
渡された客用の布団を抱えて寝た記憶もありますが、朝に目を覚めると、ちゃんと布団を敷いて寝ていました。不思議な事もあるモノです。
後で聞くと、居酒屋の冷酒が無くなったとか、一番騒いでいたとか。
ルセロさんトコでも、久々に会ったどらさんから、GMT『太陽の帝国』を渡されて、バックに仕舞い。それを忘れて、またどらさんに「『太陽の帝国』はどうした?」と聞いて怒られ。さらに、翌日にバックがあまりにも重たいので、不思議に思い開けてみると、『太陽の帝国』が入っていて驚く、と。正に、三段逆スライド方式の酔っ払いでした。
しかし、記憶をアルコール消毒されたため、ほとんど覚えていません。で、心配になり携帯電話を確認すると、サンセットの古角さんやらbluebearさんへ発信の記録あり。ちょっとしたオカルトでした。


『猿遊会二日目』
この日はルセロさん、どらさん、それにヤーボ君とで猿遊会へと向かいまして。現着して、久々にどらさんとASLを対戦しました。ついでに言うと、本当に久々に勝てました。小さいシナリオでしたから、サイの目が偏って、どうしようも無くなるんですよね。
その対戦中にbluebearさんが、ぬっと現れて、思わず「うわぁ、出たあ!」と叫んでしまいました。リアルにオカルトでしたよ。
以下はその時の会話。
 yagi「今日はどうしたんすか?」。
 bluebearさん「あなたから電話を貰ったから来たんじゃないですか」
 yagi「えっ、何て言ってたの?」
 bluebearさん「いや、ガーガー言ってて意味をなさなかったっす」
どうやら、毎度毎度の正統派酔っ払いだった模様で。


『酔いどれロシキャン』
どらさんとのASL対戦が終わると、ちょうど軍神殿が到着。『ロシキャン・キャンペーン2』を取り出し、前回のリマッチとなりました。
すると、bluebearさんもクリスマス・ピポさんと同じゲーム『ロシキャン・キャンペーン2』へと流れ、猿遊会の中央でウォーゲームのど真ん中・東部戦線キャンペーンが2卓立ったのであります。
陣営は、私とbluebearさんがドイツ軍、軍神殿とクリスマス・ピポさんがソ連軍でした。
この日のドイツ軍は凄かったです。
私はですねぇ。3ターンと4ターンに晴れを呼び込み、一年目にレニングラードとキエフ、ドニエプルペトロフスク、さらにスタリノまで進出。これってどうよ(゜∀゜)?
で、その4ターンにソ連軍の反撃で南方軍集団が壊滅し、ルーマニアの崩壊が決まり、投了で負ける、と伝説を残しますた(・ω・)。
bluebearさんは「僕はルールとか定石とか知らないんですよー」と言いつつ。ロシキャンでは凄腕のクリスマス・ピポさんを投了に追い込んでいました。
私もかつて『パスグロ』で同じ目に会いまして、さすが古強者は違います。「これがbluebearさんだ!オレが尊敬する勝負師だ!」と、嬉しくて叫びたい気持ちでいっぱいになりましたよ。
そのロシキャンの間に、4人で飲んだビールの美味い事、美味い事。「何で昼間のビールは、こんなに美味いんでしょうか?」と私が言えば、「罪の味がするからさぁ」と軍神殿が答えていましてね。その間の会話も楽しいんですわ。ホントに。
bluebearさんが、私よりビールを開ける数が多くて、一瞬「負ける訳にはいかねー」とは思いますた。
が、これやると二日続けの酔っ払いが爆裂なので、自重しました。オレって大人になつたモノだ。

猿遊会の最後の〆は、やっぱりASL。ロシキャンで傷心している私を、ルセロさんが「ASLへ帰って来いよ」と暖かく…は、ねえなぁ。病人に鞭打つみたいな。
小さめなシナリオを選んだ筈が、21時過ぎまで掛かる熱戦。実は、対戦中に睡眠不足と長時間の緊張、それに飲酒のためか頭痛でしんどかったのですが、勝てる可能性を残している以上、勝負を投げる訳には行きません。
周りの対戦は全て終わり、テーブルと椅子を元通りに直しても、空気を読まず対戦を続けます。
結局は、最終ターンを待たずに投了へ追い込まれましたが、戦況も体調も悪かったのに、ここまで粘れた事は、自分自身を誇っても(゜∀゜)イイ。しかも、対戦を終えたら、嘘のように頭痛は消えていました。


『猿遊会が世界へ生中継』
今回の猿遊会で、最も注目すべき企画が行われました。それはユーストリームで生中継していたのです。事前の告知が少なかったためか、観戦しているのは一桁でしたが。
私がですね「うおPさーん、見てるー!」とカメラへ向かって呼び掛けると、ホントに本人が見てて、驚きの携帯メールが届きました。
次回は、そうですねぇ。私と軍神殿のロシキャン名人戦を中継するって、どうよ?
迷う方の迷人戦とも言われていますが(・∀・)。

で、ユーストリームの中継が残ってましたね。いくつか紹介しておきます。
この動画の最中はレニングラードの攻防戦が行われています。
http://www.ustream.tv/recorded/10391243
2:33の時間帯には、隣りでレニングラードが陥落し、それをbluebearさんが私に呟いてます。
主に聞こえる音声は、キング・メーカー卓と、いのさんだからエア・フォース組。
4:34にはレニングラード前面で自動的勝利を決めててですね。同じ時間に低く通る声で老兵さんの「領土ウンヌン」と聞こえたりしてます。

この動画はドニエプルペトロフスクの攻防戦の真っ最中ですね。
http://www.ustream.tv/recorded/10391423
1:14に海上移動で話しているのは、軍神殿がオデッサへ敵前上陸を仕掛ける確認をしてまるんですね。
4:35に天気の話とサイコロを振る声が聞こえていますが、それは私。3ターン、4ターンと晴天が続き、何の気配も見せてませんが、ウッキーしてました。

ついでに、こちらは土曜日の中継です。
http://www.ustream.tv/recorded/10368539
この動画で「-1!」とか聞こえているのが、私とのASL対戦ですね。
主には、軍神殿としのはらさんとの対戦を中継してます。


最後に、このような素晴らしい催しを企画してくれた、たかさわさんへ心からお礼を言わせて貰います。
貴方のおかげで、滅多に会えない仲間達と、貴重な時間を過ごす事ができました。ありがとうございました。
私は横目が良く、千葉会のマスコットであるヤーボ君の相手を貴方がやってくれとるのも、知っとります。感謝の言葉が、他に見当たりませんので、月並みで失礼します。
本当にありがとうございました

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