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2011-05-20 18:32

『ガンズ:地獄への降下』1915年前半

『1915年1月』
 
さあ、リプレイへと移ろう。
ルールは4版、マップはDublin卿の力作の1.25倍版を使用。シナリオという訳ではないが、終盤まで経験したいため、1915年から始める事とした。一部、キャンペーンとしては合致しない部分もあったが、それは愛と根性で乗り越えた。
このゲームへの参加者は5名。陣営を箱にユニットを入れて決めた。最初に引いたのはファルケンハイン松谷で、東部戦線のCP(中央諸国)。次はもっちひ男爵で東部戦線のAP(連合国)。続いて私が西部戦線のCP。そしてDublin卿が西部戦線とイタリア戦線、BlueBear伯さんがイギリス軍と海上侵攻となった。
この結果を見て、目の前が真っ暗になってしまった。正面に“攻め達磨”のDublin卿とBlueBear伯が座るのである。この2人は酒席以外では相手したくないのだが。
しかし、私の懸念は大きく裏切られる事となる。何故なら、この次期に最もテクニックを要するのは、ロシア軍を担当する、もっちひ男爵だったのだ。
 
  
こちらがセットアップを終えた時点になる。
私はCPなので北から(左)写した写真となるのだが、せっかくなので、南から(右)も撮っておいた。以降は南北逆となるので了解いただきたい。
 
こちらが西部戦線。
スタックが密集しており、塹壕戦らしくなっている。
ちなみに、2というのが塹壕のレベル。FORTというのが要塞になる。このゲームでは要塞といっても、大規模な塹壕を現している。塹壕の扱いも少々珍しくなっている。ユニットが2移動力をあるヘクスで消費すれば、塹壕を作れるのだが、1レベルずつしか上げられない。レベルが上がっても、特に地形効果に変化はないのだが、3まで上がると、要塞工兵により要塞に改修ができる。そして塹壕に入っているユニットがいなくなると、塹壕は無くなり、ユニット数が少なくなれば、その分レベルが下がる。ヘクスに入っても、移動力が足りないと入れないのだ。塹壕の効果を受けるのは、戦闘ユニットが必要で、それらは歩兵や騎兵ユニットになる。補助ユニットである砲兵や工兵は含まないので、この写真のように一番上になっていても問題はない。
要塞にしろ塹壕にしろ、スタック中での一部のユニットが入ってなければ、そのスタックは地形効果を得られず。攻撃するためには、要塞からも塹壕からも出てなければならない。なかなか、文章だけでは理解は難しいところだが、実際に対戦してみると、攻撃に出た部隊が反撃に脆弱なのが上手く表現されている。
 
こちらが問題の東部戦線。
どこが問題かと言えば、ユニットの集中度を勘違いしている。もっと分かりやすく言えば、1個スタックはオッズを簡単に計算でき、良い鴨になってしまうのだ。
この時点のロシア軍は、それなりの部隊数を持っている。もっちひ男爵は、これを北部ドイツ軍とAH(オーストリア=ハンガリー)軍への攻撃へと集中させ、ポーランド突出部を薄くしてしまったのだ。これはゲームが始まったと同時に、発覚する事となる。
 
天候は東部戦線も西部戦線も晴天。しかし、東部戦線で降雪の後の晴天はぬかるみ=泥濘となる。
西部戦線のドイツ軍はフランス軍の方が数的に多いため、防戦一方になる。要は、配置から何もしないということだった。逆、ドイツ軍は精鋭部隊を東部戦線へ投入。ロシア軍とセルビア軍へと襲い掛かった。
 
ロシア軍の密集している北部では防戦に努め、ロシア軍の手薄な中部ポーランド突出部へと攻勢を指向した。それにはAH軍も参加し、ポーランドへ配置したロシア軍のほとんどを無力化したと言っていい。
 
上の写真をもう少し解説しよう。
ドイツ軍は4箇所で攻撃に出て、その全てに成功している。それは先にも述べたように、ロシア軍が単独で配置されたためだ。そのため、戦闘後前進により、赤円内のロシア軍は補給を切断されており、後退するしかない。Dのマーカーが乗っているのは、攻撃を受けて退却を強いられたロシア軍。この部隊は生き残ったものの、Demoal=士気喪失となり、攻撃には参加できないのである。ロシア軍としては、配置線に沿って部隊を置いていたのだが、ワルシャワのラインまで戦線を下げて強化すべきであったのだ。
 
CPはセルビアでも攻勢に出る。首都サラエボへ攻撃を行い、セルビア軍へ消耗を強いた。写真では、攻撃を解決するために、一旦ユニットを横へ置いてある。それなりの成功を収めたこの攻撃であるが、サラエボに隣接する1個スタック(A)を攻撃。そこへ前進すれば、同地を補給切れにすることが出来た。このようなテクニックは、経験しないと身に付かないのである。
 
こちらが1915年1月を終えた全景となる。
これでは配置との変化が見分け付くまい。では、戦線に分けて解説して行こう。
 
西部戦線では、フランス軍とイギリス軍が攻勢に出る。フランス軍は正面が3ヘクスの要塞を攻撃。このゲームの特徴なのだが、1つのヘクスを攻撃する際に、そこにある全てのユニットが攻撃を受ければ良く、組合せをどのようにしてもいいのだ。
このゲームに限らず、歴戦のDublin卿がフランス軍を運用し、額面戦力では劣るものの、多勢の物を言わせて波状攻撃を仕掛けたのだ。このターンでは、Aのヘクスにドイツ軍の3個ユニットが防備していた。そこへフランス軍が3ヘクスから攻撃を行い、1:1を2回と3:1を1回という組合せだった。この意味は、ドイツ軍のスタックをまとめて攻撃しては、オッズが1:1しか立たない。これでは要塞の地形効果(-2DRM)により、砲兵の支援(+1DRM)を得たとしても、最大DDの結果しか得ることは出来ない。DDでは、防御側は1ユニットを除去する事で、このヘクスを維持できてしまえる。
そこで防御ユニットをバラして、2回の低比率の攻撃と、1回の高比率の攻撃にすれば、低比率の攻撃では成功する見込みは低いものの、1ユニットのみのため成功すれば、防御側は退却を選択するしかない。これが2回続き、止めに高オッズが待っていれば、防御側に大きなプレッシャーを与えられるのだ。
正に「戦争は数だよ。アニキ!」が再現されているのである。
さて、このターンの攻撃は、ほとんど撃退されている。しかし、幾つかは成功したため、ドイツ軍のAヘクスは3個ユニットあった筈が、1個ユニットになっている。そして攻撃したフランス軍も、3個スタックが3ヘクスから掛かったのであるが、それぞれ2個スタックへと減っている。何より、攻撃に参加したフランス兵は、塹壕から飛び出しており、歩兵ユニットが一番上になっている。我が身を省みないエランが発揮されたのである。
それはイギリス軍も同様で、塹壕へと攻撃を仕掛けている。そして出血と共に撃退されている。
両軍の移動と攻撃を終えると、増援&補充がある。両陣営とも、失った部隊の再編成に追われている。しかし、ドイツ軍は数的劣勢を補うため、精鋭ユニットをバラして2線級部隊を編成している(赤円内)。スタックの上に4-6-4があるため分からないが、その下には3-5-3がスタックしているのだ。
 
見掛け上では動きのない西部戦線とは違い、東部戦線では大きくはないが動きを見せている。
ドイツ軍に戦列へ割って入られたポーランド突出部は、ワルシャワ要塞前面のラインまで戦線を下げている。そして戦意旺盛なロシア軍は、北部のケーニスベルグへ向けてと、南部のAH軍へ向けて攻勢を仕掛けた。しかし、それぞれ損害を被って撃退されている。ロシア軍のスタックのみが少なくなっているのだ。
 
東部戦線に含まれるセルビア戦線では、1ユニット失ったセルビア軍が、その部隊を補充として受け取っている。このままでは、実のない攻撃を、CPのセルビア攻略軍は続ける恐れがあった。
1ターンにこんなにかけてしまって、果たして終わりは来るんだろうか?
 
 
 
『1915年2月』
 
写真は1915年2月を終えた全景となる。
天候は西部戦線が晴天、東部戦線が降雪。
東部戦線は一年の内、半年は泥濘か降雪だかで、移動に制限がある。この天候による移動力の減退も絶妙に出来ている。ユニットの移動力は精鋭の5-7-4や4-6-4では4。2線級の3-5-3や2-4-3では3となっている。天候が悪い季節は移動力が減退するのだが、泥濘でー1され、降雪では半減する。精鋭の4移動力では泥濘のターンでも、3移動力を発揮でき、鉄道に乗降しても1ヘクスの移動が可能だ。しかし、2線級の3移動力では、泥濘の時期は2移動力しか発揮できず、鉄道に乗り降りしただけで、そのターンを終える事となる。この僅か1ヘクスの差で、遠距離を移動してから、戦線に投入できるかどうかの違いが生じて来る。特に、鉄道網の整備されていない東部戦線が戦場のロシア軍は、多くの2線級部隊を抱えるため、急速な部隊運用ができず苦戦するのだ。
ここで説明しておくと、鉄道は乗ったり降りたりするのに1移動力を消費し、鉄道に乗車中は1ターンに晴天と泥濘で24ヘクス、降雪で16ヘクス移動が可能となっている。
 
西部戦線のドイツ軍は、攻勢の主軸が東部戦線へ移っているため、防御を行うべく前線へ部隊を送り込んだだけだった。先の通り、4-6-4をバラして3-5-3を投入したため、移動力が足りず最前線には投入できないヘクスが多発した。その届かないヘクスへ、別のヘクスから部隊を回しため、見た目は変化に乏しいのだが、細かい動きが多くて忙しいのだった。
フランス軍もイギリス軍も、ドイツ軍にロシア軍への攻勢を集中させないように、猛攻撃を行った。
フランス軍による、“月間要塞攻撃エラン第2号”は、1:1の攻撃でAAと、3:1の攻撃でDDとなる。ドイツ軍はまたもや1ユニットを除去して、最後の1ユニットにより要塞(A)の維持に成功する。フランス軍の損害が、ドイツ軍のそれより多くとも、敵軍へ損害を与えただけで「よっしゃ!!」と大盛り上がりだった。こんな相手に2日間も対戦したのだから、疲れるって。
フランス軍を撃退したドイツ軍であったが、イギリス軍には一角(B)を崩されてしまう。攻撃正面が僅か1ヘクスのため油断したのだ。オッズ的に上がらないため、1ユニットで防御させていたが、これは失策だった。これには西部戦線のドイツ軍司令部は大きな衝撃を受けてしまった。僅か1ヘクスと笑うことなかれ。この戦線で両陣営は3年間に亘る長期間を対峙していたのだ。思わず、喰い込まれた時点を撮ってしまったのが、上の写真になる。
 
こちらがターン終了時の西部戦線だ。
両陣営とも失った部隊を再編成し、自国の都市へ配備している。ちなみに、イギリス軍はロンドンで編成されている。ドイツ軍は4-6-4をバラして3-5-3を多数編成しているのが見て取れる。「戦争は数だぜ、アニキ」なのだ。
ドイツ軍は砲兵を編成し、西部戦線への投入を決定。これまでの砲兵は、全て攻勢を行っている東部戦線へ投入されていたのだ。しかし、歩兵の補充と編成替えだけでは、西部戦線の消耗戦を耐えられないとの判断だ。
 
東部戦線では、ロシア軍が塹壕へ入っていないため、ドイツ軍やAH軍の攻撃が威力を発揮し、征伐が進んでいる。ここで、また移動力の解説をしなければならない。塹壕に入るのに、2移動力が必要と以前に説明してある。精鋭部隊の4移動力を持っていれば、2ヘクス移動してから、塹壕へ入れる。しかし、2線級部隊の3移動力では1ヘクスしか移動しない場合でしか、塹壕へ入れないのだ。これが悪天候で移動力が減らされている場合に、脆弱性が顕著となるのだ。
そこを突いて、ポーランド国内でCPは攻勢を行ったのだ。ロシア軍も決死の抵抗を行ったが、多くは高オッズの攻撃を受け壊滅する。西部戦線ではBDやDDの結果(BBとBDの前にある“B”と“D”は両陣営と防御側。後の“D”は士気喪失。1ユニット除去か退却する)ばかりだが、東部戦線ではDX(実質的なExchange)やDE(説明はいらないでしょう)などが多発され、戦争の違いが実感できるのである。
戦意旺盛のロシア軍は攻撃を決行。
山岳地帯でAH軍を後退させる。しかし、その朗報の直後に15戦力を失うという惨劇が発生。AP司令部に衝撃を走らせる。記録にはないが、戦列へ割って入った(A)ドイツ軍のスタックへ、ロシア軍のZOCに囲まれているのを見越して攻撃をかけたのであろう。その結果でDXを受け、一気に戦力を失ってしまったのだ。ワルシャワへの脅威を減らし、ドイツ軍の戦力も削るのを狙ったのだが、恐るべき損害を被ってしまい、翌月の防衛計画に危機的状況を来たしたのである。
ちなみに、セルビア戦線はあまり戦果が上がらないため、ファルケンハイン松谷は大休止を宣言した。
 
 
 
『1915年3月』
 
 天候は西部戦線で晴天。東部戦線で泥濘。

こちらが1915年3月を終えた全景となる。
ちなみに右下に写っているのは、BlueBear伯が持ち込んだキング・ジョージⅤ。食玩でこれほどの完成度なんですから、スゴイのであります。
では、細部に触れて行こう。
ドイツ軍は遂に西部戦線で攻勢に出る。部隊をバラして増やしたためと、何より頭に来ちゃったんですよ。だって、BlueBear伯にせよDublin卿にせよ、攻撃が成功しようが失敗しようが、お構いなしで楽しそーにやってんですよ。それをこっちは必死こいて、部隊を回すだけなんて、ずるいぢゃなくないですか?ええ??みんなもそー思うでしょ?
 
で、鬱陶しいフランス軍と、生意気なイギリス軍の突出部へ反撃を決行ぉ!
フランス軍へはADとBDでツマンネー結果だったが、イギリス軍へは…。こっちもBDか。それでもイギリス軍の精鋭5-7-4を葬る。この結果は後々イギリス軍へ大きな後悔をもたらす事となる。何故なら、この5-7-4をバラして4-6-4へすれば、1個ユニット多く運用できたのである。絶対的な部隊数の足りないイギリス軍としては、失ってはいけない部隊だったのだ。こちらは、そんな事を少しも考えませんでしたが。
 
部隊数が足りないイギリス軍は一休みとなる。その代わりと言っては何だが、フランス軍が攻勢を行い、ドイツ軍へ消耗を強いる。そんな事言われても、写真に変化は見られない。しかし、良く赤円内を見て欲しい。ドイツ軍のスタック数が1個しか無くなっている。先の通りに、1ヘクスを1個だけでは、敵の攻撃を受けて戦線に喰い込まれてしまう可能性が高い。そのため必ず2個はスタックさせるのを心掛けていた。それが1個になっていると言う事は、フランス軍(しかも高いスタックを見られる)に攻撃を受け、戦線を維持するために部隊をすり減らしたのである。
 
東部戦線では、ロシア軍の弱体化を突いて、攻勢を続ける。と言っても、ドイツ軍もDXにより少なからず損害を受けていたため、ポーランド突出部の南部でのみに攻撃を絞り、ワルシャワ要塞の包囲に留めた。
 
東部戦線の南部では、ロシア軍も攻勢を行い、山岳でAH軍を押し込んだ。そのすぐ北部ではAH軍が攻勢を行い前進しているため、この周辺は両軍が入り乱れている(A)。
ターンを終えて、ワルシャワ要塞は補給切れになっている。しかし、自国の都市なので、この状態は3ターン続けてもOK。あれ?正確には2ターンか。3ターン続けたら除去になるから。周囲のロシア軍は、かなり薄くなっているため、解囲は無理であろう(B)。
 
 
『1915年4月』
 
天候は西部戦線も東部戦線も泥濘。
 
写真は1915年5月を終えた時点。
やはり、この大きさでは間違い探しだ。では細部へと移ろう。
 
西部戦線では、泥濘で部隊の到着が遅れ、ドイツ軍は“西部戦線異常なし”となる。そして遅ればせながら要塞の建築を始める。要塞の建築方法は二通りあり、1つは要塞工兵が3ターンをかけてせっせと作る。もう1つは、塹壕レベルが3のヘクスへ要塞工兵が入り、要塞へと増強する。2つ目の方が時間的に早いのであるが、部隊数の関係で現状では出来ない。
フランス軍は攻撃の手を緩めず、攻勢を続行。ドイツ軍の3個ユニットを飛ばす。しかし、フランス軍も9個ユニットを失う。此処まで来て、戦争は統計の段階へと変質している。写真を見て貰えば、ドイツ軍の戦線に空きのヘクスや、1レベルの塹壕ヘクスが見受けられるだろう。それらにはドイツ軍のユニットが最低2個は置かれていたのだ。それをフランス軍の猛攻により、磨り減らされてしまった。フランス軍の損失も恐ろしいくらいだが、同盟国のロシアを助けるためには、多少の出血は…。いや、戦線さえ維持できてドイツ軍に損害を与えられれば、どんな出血も覚悟の上なのだ。
 
東部戦線ではドイツ軍の攻勢が続く。ワルシャワは灰色の兵隊に囲まれている。要塞の強固さに、直接の攻撃は行われず、補給切れによる壊滅を狙われている。②のマーカーは、補給切れが2ターン続いたということ。このマーカーがターンの頭に置かれて、そのままの状態で自国の都市以外のヘクスでターンを終えた場合に除去される。ロシア軍もAH軍へ向け攻撃を行って山岳地帯で前進している。ますます入り乱れが激しくなっている。ワルシャワの東方にはブレスト・リトフスク要塞が、ドイツ軍の前進を待ち構えている。
ちなみに、左の赤線は1916年の開始ライン。史実の戦線へと向け、ドイツ軍は競争しているようだ。
 
 
『1915年5月』
 
天候は西部戦線も東部戦線も泥濘。

西部戦線では、ドイツ軍が攻撃で損耗したままのフランス軍とイギリス軍へ攻撃を行う。しかし、BDを連発し「お互い1個失う」ため戦果を得られたとは言えない。
イギリス軍は小休止したのだが、フランス軍は攻撃を続行。DXの結果を得て、ドイツ軍に出血を強いる。
このDXという戦闘結果も、補充と密接に絡み合い絶妙になっている。DXは以前にも触れたようにExchageと同じで「攻撃側は防御力と同等の戦力を失う」になっている。ユニットは防御力が攻撃力に比べて大きくなっている。補充は攻撃力で良いため、ユニットの質が引くければ低いほど、それだけ「安上がりに守れる」のだ。具体的に言えば、5-7-4では1.4、4-6-4では1.5、3-5-3では1.6、2-4-3では2と補充ポイントで得られる防御力が違ってくるのだ。そう、正に戦争は統計の部類に入っているのだ。そんな事を言われても、最前線で死に直面する兵士達には、何の慰めにはならないが。
 
見た目には動かない西部戦線と違い、東部戦線では大きな動きがあった。
ドイツ軍の攻勢により、ロシア軍をさらに押し込んで行った。西部戦線では見られないDEを連発しているのだ。しかし、ドイツ軍も損害が多く、西部戦線での出血が暗い影を濃くしている。
血まみれのドイツ軍と違い、AH軍はほとんど損害を受けない。それでいてプリミシェルの奪還に成功。これは開戦当時に奪われたAHの都市である。ようやく都市の占領という果実を得られた。
 
そして、APのターンが開始されると同時に、ワルシャワは包囲レベルが③まで上がり、このターン解囲を成功させないと、篭っているロシア軍は除去となる。しかし、ワルシャワ周囲はドイツ軍で埋め尽くされ、救出すべきロシア軍も戦線を構築するのが精一杯となる。
 
ロシア軍はワルシャワを諦めて、戦線を後退させる。そのため健闘していたワルシャワ守備隊は、糧食と弾薬の不足のため、ドイツ軍の軍門に下る事となった。CPは、ゲームを開始して始めてAPの都市を占領するという戦果を得たのである。嬉しいので、ロシア軍が無くなった当時の写真を撮ってしまった。
 
こちらがターンを終えた時点の東部戦線になる。
ドイツ軍の先遣隊がブレスト・リトフスクのラインまで達しているのが分かる。山岳地帯で健闘していたロシア軍も、ポーランド平原での後退に攻勢を断念。撤退を行っている。
 
ワルシャワ陥落の報に、危機感を持ったAP司令部は、ロシア援護のため、サロニカへイギリス軍派兵を決定。その一部が上陸を開始する。それはCP司令部へ衝撃を与えたのであるが、もっと戦局を揺るがす事態が発生する。ブルガリアがCP側で参戦したのだ!
この報は大いにCP陣営を沸きかえらせる。ブルガリア軍が背後を突けば、前線で健闘しているセルビア軍は崩壊するのだ。
しかし、天は片方には味方しない。ギリシャがAP陣営で参戦したのだ!
この参戦が無ければ、サロニカへ上陸したイギリス軍は身動きが取れず、遊兵となったのだ。またもや、戦況は変わり、今度はブルガリアがギリシャ方面からの進出に対応せねばならなくなった。ここまで忘れ去られていたのだが、トルコはゲーム開始当初(正確には1914年11月)から参戦している。そしてバルカンでの危機は、直接トルコへと飛び火するのである。それにしても、ギリシャはサイの目が1でAP、5か6でCPにて参戦したのだ。何やら、後々聞くと東部戦線を担当した松谷さんは、YSGAでは“不運を呼び込む松谷ダイズ”として有名だったらしく。実際、この後に次々とCP指揮官が海老反る結果をみさせる事となる。
 
こちらが戦雲急を告げるバルカン戦線。
手前で薄い灰色がAH軍、その下には濃い灰色のドイツ軍もある。あれ?あると思ったけど、黒いのは鉄道端マーカーだったか。ドイツの皆さんは東部戦線送りになっている模様。
その向こうで白いAP塹壕に潜り込んでいるのがセルビア軍。見えにくいけど、薄い茶色。
その左上に明るい青がブルガリア軍。ソフィアに終結中。
中央最上部に見えるのがサロニカへ上陸した緑のイギリス軍と、それに合流したベージュ色のギリシャ軍。
忘れてならないトルコ軍も、サロニカの左でCPの塹壕に入っているのが見えている。トルコ軍の色はブルガリア軍より薄い青になるのかなぁ。ちょっと自信がない。だって、ほとんど出番が無かったんですもの。
 
こちらが1915年5月を終えた全景。
どちらも外交的な綱引きを行い、史実通りに近いタイミングでの参戦を得ている。一応、イタリアの参戦も見越してAH軍がアルプスに展開している。
サルジニア島に送られているのは、壊滅したユニット群。APのフランス軍とイギリス軍は壊滅したユニットをここへ送っていた。ロシア軍は右上でターントラックの向こうにチラリと写っている。その盤外で管理していた。
 
 
 
『1915年6月』
 
天候は西部戦線、東部戦線共に晴天。
たまには東部戦線から見てみよう。
 
ドイツ軍の猛攻でロシア軍は11個ユニットを失う。ここに来て、ロシア軍は攻勢を断念。戦線の縮小を行った。写真を良く見てもらえば分かるだろうが、ロシア軍にも2-4-3の部隊が増えている。これは精鋭の3-5-3をバラして数を増やしたのだ。この3-5-3と言えども、列国では2線級であり、2-4-3などは小国の軍隊である。それも2個スタックなので、脆弱さは西部戦線と比べられない。さらに注視すると、2個スタックで1個が砲兵であったり、騎兵であったりするのが見える。砲兵の下には歩兵が置かれている事が予想されるが、このスタックでは退却の結果を受けると砲兵を失い、両翼を抜かれて補給切れにされても同様な事態が置きうる。損失が膨らむスタックなのだ。そして騎兵は防御に不向きで、その防御力が僅か2しかない。この部隊が最前線にいると、いい鴨になってしまうのだ。
それでも、損失が嵩んでいるロシア軍には、この布陣が精一杯なのであった。
 
目まぐるしく上陸と参戦を受けたバルカン戦線では、大きな動きがあった。AH軍の攻勢により、ベルグラ―ドの側面が突き崩され、同地の補給を切断されたのだ。さらにブルガリア軍がセルビアへ侵攻。側面を脅かす。
この難局に、AP司令部はベルグラードの放棄を決定。セルビア軍を後退させ、後方の(あ、名前がわかんねえ)都市で戦線を構築する事とした。セルビア軍の撤退に、イギリス軍が側面を援護。さらに、ギリシャ軍もブルガリアへ侵入し、圧力を加える。そしてサロニカへフランス軍も上陸。正に、多国籍軍となる。
CPはAH軍に正面からの攻勢を行わせ、側面はブルガリア軍、さらにはトルコ軍をも投入して対抗させる。ブルガリア国内で展開中の薄い青のユニットが2種類あるのが分かるだろうか?
トルコ軍は史実のように、ガリポリへ上陸されてもウザイので、防御は固めている。
 
西部戦線では、イギリス軍が他戦線へと投入されたとの報を受け、ドイツ軍は同軍へ攻撃を行った。しかし、結果はADでドイツ軍のみが損失を受ける。そこをイギリス軍がすかさず反撃。角ヘクス(A)の占領に成功する。何たる事か!
フランス軍も“月間エラン”を行い、ドイツ軍に損耗を強いた。いや、両軍に“D”のマーカーが乗っているユニットが、幾つも見られる。それはフランス軍が1ヘクスを複数の攻撃を行い、BDの結果で1ユニットが退却した証拠だ。そしてスタックの薄さを見ると、フランス軍もそれなりの損害を受けているのは間違いない。
 
そして全体図になる。
やはりロシア軍の統制が取れた戦線が印象的だ。逆に、バルカン戦線では両陣営が入り乱れている。西部戦線は、半年をかけてAPが2ヘクスを占領した。それでも決して「西部戦線異状なし」とは言えない死闘が続いている。
イタリア戦線では、AH軍が要塞の建築を開始した。セルビア軍の一部もルーマニア国境に展開している。
 

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