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2011-05-20 20:54

『ガンズ:地獄への降下』1916後半

『1916年7月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


ドイツ軍は角ヘクス・・・。この表現も如何なものかと思うので、以降はセダンと呼ぶことにする。セダンへ前進したフランス軍へ即時反撃。こちらもBig Push Attackを行い、フランス軍を叩き出した。


すると、フランス軍も負けずに攻撃を行い、ドイツ軍に損耗を強いた。ドイツ軍は、唯一生き残った4-6-4だけでセダンの維持に成功する。この血みどろ加減は、正に第一次世界大戦の塹壕戦を象徴している。


こちらがターンを終えた時点の西部戦線になる。
セダンの死闘は同地を吸血場と化している。ドイツ軍は後方に精鋭部隊を再建させ、さらに地獄へ送り込む態勢を整えている。フランス軍は、補充の半減のためパリへ1個再編成するのが精一杯だ。対戦を終えて、この写真を見ると、この時期のフランス軍はかなり苦しかったのが分かる。しかし、対戦当時はテンパっており敵の状況など、目は届くわけが無かった。
ここでBig Push Attackについて解説しておこう。
これは1916年から行える攻撃で、3個以上の防御ユニットが参加する場合、Big Push Attack(和訳では強行攻撃や大攻勢攻撃とあるが、今一つピンと来ない。)宣言できる。Big Push Attackを宣言したら、AEやAAやADの結果を受けるまで、サイコロを振ることが出来るのだ。これで、一回の戦闘では突破出来なかった塹壕戦に、終止符を打てるようになったのだ。ここでも戦争の進化が見て取れる。

あ、いけね。間違えて写真を消しちゃった。ゴメンです。
イタリア戦線では、CPは衝撃力を失ったため、防御態勢へと移っている。イタリア軍は、弱体なAH軍を狙い撃ちし、攻撃。後退を強いている。平地はドイツ軍が固めているため、アルプス越えの「オペレーション・ハンニバル」を決行中なのだ。象は連れてないが。


東部戦線の北部では、ドイツ軍はハリコフ方面軍(現状では、この表現が合っているように思える)へ主攻勢を行い、その一部を突き崩している。これでハリコフの両側面にロシア軍の戦線は無くなり、同地は危機的状況となった。
リガ方面軍に対しては、その前面に横たわるドビナ河へドイツ軍が押し寄せて、攻撃態勢を整えている最中だ。


東部戦線の南部。キエフ方面軍では、湿地帯からドイツ軍が側面へ回り込んだところ、その部隊へロシア軍が反撃。これがDXとなり、ドイツ軍の壊滅に成功したものの、ロシア軍も大部隊を失ってしまい。その周辺が一気に弱体化してしまった。さらに、AH軍への反撃を行ったところ、これもADとなり後退を強いられた。部隊を犠牲にして、戦線を維持するほどの戦力も無かったのだ。
これでキエフ方面軍の両側面が危機的状況となった。


バルカン戦線では、精鋭のイギリス軍が前線へ到着し、攻勢を行えるようになった。そのためAH軍やブルガリア軍では太刀打ちできず、後退を強いられ、ベルリン~コンスタンチノープル鉄道目前まで迫っている。


こちらが1916年7月を終えた全景となる。
東部戦線の崩れ具合が、これだけ引いて見ると良く判るだろう。それに比べ、西部戦線の全土を覆う塹壕が異質な風景として目に映る。サルジニア島のフランス軍、イギリス軍は一向に減る様子が見られない。これじゃあ、国民・兵隊は怒るも納得が行く。これはドイツ軍やAH軍も同じである。


『1916年8月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、両陣営とも攻勢に出られず。ひたすら、塹壕と要塞へと篭るのみだ。そしてドイツ軍は戦線後方にも要塞地帯を築いている。史実のような撤退を予期してだ。作戦名は忘れたのだが。


イタリア軍のオペレーション・ハンニバルは進行中。着々とAH軍を圧倒し、山岳地帯を前進している。地形は攻撃の障害にはなるのだが、数に物を言わせて波状攻撃を行われると、後退せざるを得ないのだ。


東部戦線では、リガ方面軍以外は壊乱状態となる。ハリコフ方面軍は、どうやっても戦線は築けないため、僅かにZOCでドイツ軍の前進を阻んでいる。しかし、ドイツ軍の前進を遅らせる事は出来ても、防ぐ事は困難だ。湿地帯も戦線の欠片すらなく、これで両翼を失ったハリコフは風前の灯となっている。キエフ方面軍が最も壊乱状態になっている。機動力の優れるドイツ軍が再度投入され、側面を脅かしているため、ロシア軍は踏み止まって抵抗することは出来ず、撤退を続けている。


バルカン戦線では、イギリス軍がブルガリアへ侵入している。さすがにイギリス軍は精鋭なので、2線級のブルガリア軍やAH軍では防ぐ手立ては見込めない。


こちらが1916年8月を終えた全景になる。
季節の変わり目なので戦意と参戦の判定を行った。アメリカが参戦したため、イギリスは戦意に問題は無くなる。フランスはリールを占領されているため、-1DRMをされたが、これも影響無かった。
ドイツは海上封鎖のー1DRMがあったが、これも影響なし。ただし、海上封鎖が効いてAHは補充が半減してしまう。
さあ、ここで唯一中立を維持しているルーマニアの参戦判定を行った。サイコロを振り、1でAP陣営、6でCP陣営、その他で中立を維持する。ここでCP陣営の参戦であると、ロシアを南部から攻め入ることが出来るため、一気に崩壊へと追い込めた。しかし出た目は1!ルーマニアはAP陣営の参戦を決意したのである。
ここで一気に戦況は逆転!
ブルガリアは側面にルーマニア軍が殺到し、首都のソフィアにはイギリス軍が接近しているため、崩壊の危機へ瀕する事となったのである。
この状況はもう一度、バルカン戦線の写真へ戻って見て貰えればよく判るだろう。

 
『1916年9月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。


またには東部戦線から見ていこう。
リガ前面のドビナ河では、ロシア軍の大軍を前に、ドイツ軍の攻撃は停滞している。しかしミンスク方面軍を完全に崩壊させ、同地の包囲が形勢されている。キエフ方面軍でも、ロシア軍は崩壊寸前となり、戦線を構築する間もなく、ドイツ軍とAH軍に追い立てられるように、オデッサ方向へと撤退を続けている。


バルカン戦線では、ルーマニアの参戦が大きな影響を及ぼしている。ルーマニア軍の大軍が国境線から侵入したため、同国の東部で戦線を張っていたブルガリア軍は、壊滅の危機に陥ってしまった。そしてサロニカから前進して来たイギリス軍の攻撃に、首都のソフィアを維持する事が精一杯である。ブルガリアはソフィアとバリアを占領されると、戦争から脱落するため、その危険が広がっている。サロニカにはアメリカ軍も上陸。戦列へ加わらんとす。
その危機的状況に、CPはドイツ軍を投入。攻勢の準備を整え始めた。


イタリア戦線は一時的な小休止となっている。兵力的に優位なイタリア軍であったが、山岳地帯を前進したために、後続の到着を待ったのである。CPは防戦一方だ。もっと重要な東部戦線と西部戦線、それにバルカン戦線へ兵力を取られているため、イタリア戦線には弱体なAH軍を送る事しか出来ないのだ。


西部戦線では、ドイツ軍は血のローテーションを行ったのみ。そこをフランス軍は、またもやセダンへ攻撃。同地を占領する。このヘクスへの攻撃は、両軍あわせると、もう何度目かも分からない。


1916年9月を終えた全景となる。
西部戦線とイタリア戦線では、両陣営とも兵力が密集しているため、大きな動きは見られない。1ヘクス程度の動きでは、ここまで引いて見ると、あまり意味が無さそうに思える。しかし、現場では重要な意義を持ち、死闘が繰り返えされているのだ。
東部戦線やバルカン戦線では、ドイツ軍が弱体なロシア軍やルーマニア軍へ襲い掛かり、突き崩している。


 
『1916年10月』

天候は西部戦線が晴天、東部戦線が泥濘。


東部戦線では、ドイツ軍が弾薬の不足しているミンスクを攻撃。同地の占領に成功している。これでロシア軍の中央部で生き残った部隊は、スモレンスク前面で戦線を引くこととなった。これらの部隊はスモレンスク方面軍と呼び名を変えた。その北部である、リガ方面軍はドビナ河流域で強固な戦線を構築し、ドイツ軍の前進を許さない構えだ。キエフ方面軍では、後続の到着により、ようやくロシア軍にも戦線が構築されている。


風雲急を告げるバルカン戦線では、もう何がなにやらである。ルーマニア軍の攻撃により、ブルガリア軍が守っていたバリアは占領された。ソフィアへのイギリス軍の進撃は、ブルガリア軍の必死な抵抗により、停滞を見せている。しかし、ベルリン~コンスタンチノープル鉄道は、イギリス軍により分断されてしまった。普通は、これでトルコは危機的状況になるのだが。それでもフランス軍やギリシャ軍、それにイギリス軍の共同攻撃により、トルコ軍が押されている。
そして一番のトピックスは、ドイツ軍の大増強だ。史実でもファルケンハインが派遣されたように、今回もルーマニア軍へ襲い掛かっている。ルーマニア軍はブカレスト前面で戦線を構築。死守する構えを見せる。


イタリア戦線では、またもや小休止。イタリア軍の砲兵が山岳地帯をなかなか前進できないため、攻撃も停滞するのだ。
ユニットの下に見える緑色のダイズは、イタリア軍専用のもの。APは各国に合わせたダイズを使い分けていた。


西部戦線では、一旦セダンへの執着を失たったため、他の地域(ヘクス)でも粘りが無くなる。ドイツ軍はセダンの北部。セダンの北部なのでカンブレーと呼ぶ事にしよう。カンブレーへ精鋭5-7-4+3-3-3砲兵を送り込み強化した。これが最も強力な防御態勢だからだ。しかし、フランス軍による大火力の砲兵に支援された攻撃により、奪われてしまった。これでリールがフランス軍とイギリス軍の中に取り残された形となった。
Dublin卿から「リールを放棄する選択もあるぞよ」との警告を受けるが、その情報が東部戦線を指揮していたファルケンハイン松谷の耳に入ると、「リールはドイツ領とす!」宣言が述べられ、yagiデンブルグもその意見に引きずられる事となる。


1916年10月が終わった全景となる。
西部戦線やイタリア戦線では、1ヘクスを巡る激戦が展開されている。これはロシア軍やルーマニア軍への圧力軽減を狙ったものだ。盟友の窮地に、自軍の損失も省みず波状攻撃を行っているのである。


 
『1916年11月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。


ファルケンハイン松谷のカツ!により、逃げ腰だったyagiデンブルグは、カンブレーへの即時反攻へ打って出る。こちらも負けずにBig Push Attackを行い、カンブレーを奪還す!しかしDXで出血多し!


フランス軍も一歩も引かず、カンブレーへ前進したドイツ軍へ攻撃を行う。こちらもBig Push Attackにより、DXでドイツ軍を吹き飛ばす!
でもDXでっせ。お互い血まみれの死闘でんがな。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻撃が再開。さらに1ヘクスの前進を果たす。イタリア軍は部隊単位では、それ程強くはないものの・・・。いや、はっきり言えば弱いが、数があるため損害を考慮せず攻撃を行え、何時かは前進に成功するのだ。この不屈な姿勢が、CP陣営に余裕を与えないのである。


バルカン戦線では、ドイツ軍がルーマニア軍の戦線を切り裂いて、ブカレスト目前まで迫る。対する、イギリス軍はソフィア前面の陣地帯を抜けず、悪戦苦闘だ。ドイツ軍とイギリス軍のチキンレースは、平地を進んでいるドイツ軍の方が、山岳地帯を進むイギリス軍より早いようだ。APはこの打開策でアメリカ軍を投入。写真を見て貰えれば分かるが、色とりどりのユニットが集結している。


東部戦線では、弱体と言えどロシア軍の戦線が築かれているため、CPの前進も停滞を見せている。このゲームでは、攻撃に損害が出がちである。そのため攻撃を続けて行くと、このような停滞する時間帯があるのだ。ドイツ軍の戦線後方に、鉄道で移動中の部隊が見えるだろう。これらの部隊が到着するまで、小休止となる。


1916年11月を終えた全景になる。
やはりルーマニアでの進捗具合が、他の戦線と比べれば大きい。相変わらず、サルジニア島の再編待ち部隊は、減ることが無い。CPの壊滅したユニットも、写真で撮るようにしておけば良かった。そうすれば、両陣営の消耗度が見て取れただろう。ちなみに、サルジニア島の隣にはターントラックがあり、そこへ置かれているユニットは、アメリカ軍の到着予定の部隊と、1917年7月に編成できるドイツ軍の突撃部隊=ストスト・トルッペン。
このターンの最後に、季節の変わり目なので、参戦はもう無くなっているため、戦意の判定のみを行った。
CP陣営のドイツ、AHは海上封鎖のー1DRMを受けたが、何も効果は無かった。イギリスの戦意判定はなく、フランスはリールを失っているー1DRMを受けたが、これも効果なし。そしてー4DRMを受けているロシアであったが、出目が“6”なので、何も効果は無かった。ロシア軍の戦意は天を突くようなのだった。
さすが松谷ダイズである。ゲームを盛り上げる事この上ない。

 

『1916年12月』

天候は西部戦線が泥濘、東部戦線が降雪。


ドイツ軍はカンブレーで、さらに反撃を行う。しかし、それはBDで頓挫。撃退されてしまったと言っていい。
さすがにAPも出血多量で小休止となった。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻撃は続く。そしてAH軍の戦列へ割って入るのに成功。イタリア兵達の意気軒昂さが見て取れる。CPは、他に重要な戦線を抱えているため、防戦一方だ。


バルカン戦線では、ドイツ軍がルーマニアの首都であるブカレストへ殺到。戦力的に弱体なルーマニア軍は、ファルケンハイン松谷に率いられた精鋭ドイツ軍に押しまくられ、それを止める手段を持たない。
ブルガリアの首都であるソフィア目前まで進撃した、イギリス軍とアメリカ軍の攻勢も、山岳地帯に阻まれて、進捗を見せない。しかも、入り組んだ戦線になったため、効率的な攻撃を行えないのだ。ギリシャ軍も宿敵トルコ軍への攻撃を続けているが、戦果を得られたようには見られない。その理由は、対抗しているトルコ軍が、塹壕へ入った状態になる。攻撃が成功し、防御側に退却を強いられた場合では、塹壕から叩き出されてしまうからだ。


東部戦線では、ロシア軍の戦力回復とともに、戦況が安定している。と、聞こえれば耳当たりが良いものの、バルカン戦線へ攻撃兵力を引き抜かれたため、実質的に停滞していると言っていい。ロシア軍も戦線を張るのが精一杯なため、攻勢に出る事は出来ない。


1916年12月を終えた全景になる。
1914年から始まった戦争は2年を越えて、3年目へと入っている。ゲームも丸2年の24ターンを終えたのである。
年末なので、VPの計算を行った。
CPの占領している目標都市は西部戦線でアントワープ、エッセン、フランクフルト、リール、メッツ、トリエステの計6。東部戦線では、ブレスラウ、ブレストリトフスク、ブダペスト、コンスタンチノープル、ブレストリトフスクの計6。合計12ポイントで、前年末と変化は無かった。
勝利条件的には、引き分けとなる。この状態で誰が、それに満足して止めるって?そんなヤツは、ハナからこの戦いに参加してねえぜ。
この写真を撮影した時刻は15:30だ。再開時間が10:00に近かったため、10ターンを5時間30分。昼食を入れると、実質5時間弱で駆け抜けた事となる。


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