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2011-05-20 21:47

『ガンズ:地獄への降下』1917年後半

『1917年6月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、ドイツ軍が死のローテーションを行えば、フランス軍とイギリス軍は消耗戦を仕掛ける。フランス軍は2ヶ所、イギリス軍が1ヵ所の攻撃を行う。しかし、その全ては失敗に終わり、ドイツ軍に損害を与える事もできなかった。
この消耗戦の失敗は大きく、ドイツ軍に一息付かせることとなる。実際、ドイツ軍は翌月に投入される、ストスト・トルッペンのために補充を残す事さえできたのである。


イタリア戦線では、イタリア軍のよる攻撃が行われた。そして遂に、CPの戦線を後退させるのに成功。突出部を押し広げたのであった。


バルカン戦線では、崩壊寸前のルーマニア軍へ対して、ドイツ軍が止めを刺すために前進。ブルガリアのバリアも奪還した。サロニカから前進したイギリス軍やアメリカ軍は、攻勢を持続。遂に、首都ソフィアへ接敵する。CPも必死な抵抗を行い、兵力的に余裕のあるAH軍を投入。阻止の構えを見せている。


1917年6月を終えた時点の全景となる。
東部戦線では、一部のロシア軍が攻撃を行うものの、休戦状態に近い。ロシア軍は先の脱走でかなりのダメージを受けており、戦線と呼べるものはリガ、スモレンスク、そしてキエフ周辺となる。もはやそれまで使っていた方面軍との呼称すら、不自然に感じてしまえる。
CP陣営は攻撃に出る事はなく、唯一オデッサへ向けてAH軍を前進させ、包囲を完成させただけだ。
このターンに東部戦線の指揮官であるファルケンハイン松谷より打診あり。曰く「こちらは、すでに補充の必要なし。これは間接的に兵力の転進となぜる。」との提言だった。「このターンの補充はストスト・トルッペンへ用に蓄積すべきであろう」とも。
西部戦線のyagiデンブルグは、これを尤もであると即断。全ての補充を流用する事と、ストスト・トルッペンの編成計画へと着手した。



『1917年7月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、ナンシーへ向けての攻撃に出る。しかし、DDで一部を追い払う事には成功するが、前進するまでは行かなかった。逆に、フランス軍は大火力の支援の下にドイツ軍を圧倒。フランス軍はJ10=ソンムへ突入する。そして戦場はフランス国内から、ベルギー国内へと移ることとなる。イギリス軍は小休止。さすがに損害が溜まったのである。
ドイツ軍は一時的に押されたものの、東部戦線から輸送中の攻囲砲兵と、新編成されたストスト・トルッペンを国内に配備し、逆襲の準備を行った。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻勢により、AH軍の一角を崩す。ここでも、イタリア軍の進撃は進み、戦場はAH国内を通してドイツ国内へと移る事となった。


バルカン戦線では、CP陣営がブルガリアへ、ルーマニア成敗を終えたAH軍やドイツ軍も投入。アメリカ軍やイギリス軍へ対抗させた。AP陣営は山岳地帯での過酷な戦闘と、CP陣営の防御強化のため、一時的に小休止となる。そしてサロニカに増強のアメリカ軍は到着。両陣営とも、泥沼へ足を突っ込んで、抜けなくなっているようだ。

東部戦線は全景から解説した方がよいだろう。

1917年7月を終えた時点の全景となる。
東部戦線では、リガやスモレンスク、そしてキエフでは実質的な休戦状態となり、オデッサへ到達したAH軍により、同地のロシア軍が包囲=補給切れとされている。そしてロシア南部に進駐していたAH軍の一部は、ルーマニアへ向かい、グラーツ包囲戦へ参加。これらの都市は無理攻めをせず、立ち枯れを待つのみとした。
それと違い西部戦線の溶鉱炉は、さらに熱く煮えたぎるのである。




『1917年8月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


遂に、西部戦線にストスト・トルッペンが投入される。同時に到着した攻城砲兵とともに、ソンムへ進出したフランス軍へ攻撃。ストスト・トルッペンが2個と砲兵火力が12で合計+4DRM、オッズは3:1の結果はDE!!一気にフランス軍のフルスタックが吹き飛んでしまった!
ここでも戦争の様相は、またしても変わったのである。
浸透戦術の訓練を受けた兵士達が、大火力に支援されて攻撃を行えば、どのような防備を固めた陣地であったとしても、無力化できる事が確立されたのであった。
フランス軍はソンムへ即時反撃!こちらも猛砲撃により、進出したドイツ軍を壊滅させたのである。
イギリス軍も同時に側面で攻撃を仕掛ける。僅かでも、ドイツ軍に消耗を強いて、フランス軍の圧力を軽減するためだ。そして新兵器であるフランス軍とイギリス軍の戦車が編成され、パリとロンドンに登場している。


イタリア戦線でも、イタリア軍による攻撃が継続される。損害を出しつつも、ドイツ本国への侵攻を狙っているのである。イタリア軍だけでは、戦力が不足しているため、後詰にフランス軍が送られている。



バルカン戦線では、アメリカ軍が主力となって攻撃を担っている。しかし、山岳地帯での戦闘であり、CP陣営が増強を行っているため、進捗具合は見られない。


1917年8月を終えた全景となる。
休戦状態の東部戦線では、ロシアのオデッサとルーマニアのグラーツで包囲戦が展開されている。これらを助ける術は、AP陣営にはない。
季節の変わり目なので、戦意判定を行った。
海上封鎖のー1DRMを受けたドイツとAHは、何も効果は無かった。
そしてー7DRM被ったロシアは、出目が“6”でD1のみ!!
出目が4以下なら、ロシアは降伏するのであったが、これには驚いた。さすがYSGAで鳴り響く松谷ダイズ!
妙に感心してしまった。D1の影響で、ロシア軍は歩兵軍団が7個、砲兵連隊が1個脱走した。



『1917年9月』

天候は西部戦線で晴天、東部戦線で泥濘。

  
西部戦線の死闘は続く。それは破滅へ向かって燃え盛っているようだ。
ドイツ軍のよる攻撃により、ソンムへ前進したフランス軍は壊滅。同地はドイツ軍に再奪還された。やはり、フランス軍はそれを許さず即時反攻。前進したドイツ軍を壊滅へ追いやった。ドイツ軍の隙を突き、隣接する地域も占領。大いなる戦果を上げたのである。そして前進した部隊が次々と壊滅するのを勘案し、前進するフランス軍を1個のみとした。
さすがDublin卿、この時点では、後の先が必勝となっており、先手を取って前進した部隊が、反撃を受けて必ず壊滅していた。そこで壊滅する部隊を1個に止め、反撃により失った土地を奪還すればいい、という考えだ。ゲーム的というなかれ。史実でも実際に行われていて、フランス兵の多くは、命令に従って死んでいったのである。
フランス軍の苦闘に、イギリス軍も援護の態勢を取る。到着早々の戦車を押し立てて、攻撃に出たのである。攻撃正面が少ないため、その攻撃は大きな戦果を得られたとは言えない。しかし、ドイツ軍に損耗を強いているのは間違いないのである。
そして、それまでバルカン戦線へ直行していたアメリカ軍、同じくバルカン戦線で戦っていたイギリス軍も、フランスへと送られてきたのであった。


西部戦線の容赦なさから比べると、イタリア戦線は前時代の戦いを眺めるようだ。イタリア軍も攻勢を継続しているものの、分厚いCP陣営が築いた陣地を突破できないでいるのだ。


バルカン戦線では、アメリカ軍の攻勢が功を奏し、ソフィア外周陣地の一部へと突入。なかなか進まないものの、ソフィア攻略態勢を着々と整えている。ソフィアにはブルガリア軍のフルスタックが塹壕陣地を築いて待ち構えている。


西部戦線の煮えたぎりから見ると、他の戦線は別世界のようだ。東部戦線では、オデッサとグラーツが陥落。脱走が続くロシア軍だが、不思議と補充は減ることが無いため、一部に攻撃へ出ている。しかし、CP陣営に退却の選択が可能なため、実りの無い戦いでもあった。
ファルケンハイン松谷は、ロシアでほとんど兵を動かす必要がなく。バルカンでも、2個か3個を入れ替えるのみだ。これだから、観戦武官の仲間と間違われても仕方ないだろう。



『1917年10月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。
このターンで2日間の戦いを、時間切れではあるが終える事となった。そこで、このターンでの動きとともに、先の展望とにも触れておこう。
煮えたぎる西部戦線は後回しとして。


バルカン戦線であるが、アメリカ軍の攻撃でCP陣営の戦列を押し込んでいる。しかし、続々と兵力が鉄道により集結しており、如何に精鋭のアメリカ軍が先陣を切っていると言えど、ソフィアを攻略するのは難しいのでは、ないだろうか。
東部戦線が現状のまま続いたと仮定すれば(その可能性は低いが)、ドイツ軍の転進が遅れるため、ブルガリア軍やAH軍では防戦一方となるのは間違いない。それでもソフィアが陥落するのは、早くて3~4ヶ月。普通で6ヶ月近く掛かるだろう。
そこから、ベルグラードへ進出するのには、年単位の時間が掛かるに違いない。ベルグラードを占領しなければ、コンスタンチノープルへは補給の関係で前進できない。
結論として、AP陣営はバルカン戦線でソフィアは占領できるものの、それ以上の戦果を得る事は無理である。
CP陣営は、それで十分なのだ。


イタリア戦線では、AH軍が増強され、イタリア軍の攻撃は実りを見ていない。
私より、このゲームでの経験が多いDublin卿へ言うのは、口幅ったいが、オペレーション・ハンニバルは戦略を間違えていたのではないだろうか?
というのは、このままアルプス越えの作戦を行っても、ドイツ国内の都市・マインツが脅威に曝されるのは、後1年は掛かる。その時点でマインツへドイツ軍を動員し、反撃を行えば、同地を守るのは、それほど難しくはなかっただろう。私は、この方面へイタリア軍が向かっている以上は、全く怖くはなかった。それは布陣している部隊が、AH軍を主力としている事でも判ると思う。
APは、イタリア戦線でトリエステへ攻勢を志向すべきと思われる。トリエステへ向かうCPの鉄道網が、東部戦線と西部戦線を越える。直近のドイツ国内の都市がなく、ドイツ軍を投入するためには、かなりの距離を鉄道で移動する必要がある。鉄道網がイタリア軍の攻勢に曝されやすい、など。CP陣営が防御を固めるには、障害となる事項が多いのだ。
そして1916年にトリエステが最も危険な時期が訪れていた。ドイツ軍の攻勢が一時的な成功から、消耗による頓挫を受け戦線を後退させた。その時期に、トリエステや隣接する要塞を守備する戦闘部隊は、各々1個しかなかったのだ。この状況に気が付かれ、攻撃を行われたら、と冷や冷やしていたのだ。


東部戦線は後回しにして、熱くなっている西部戦線だ。


前ターンにフランス軍の攻勢により、ソンム奪還されたドイツ軍だが、この状況を狙っていた。
まず、ソンムやその隣接へクスは1ユニットなので、攻撃を成功させる事は、ちょっと計算すれば簡単だ。しかし、そのヘクスを安易に占領し返すだけでは、反撃を誘発するだけで面白くない。そこでそれらのヘクスへの攻撃は行うものの、本命はヴェルダンとイープルとした。イギリス軍の前面は無理な防戦はせず、土地を失っても、兵力を維持できれば問題ない。攻勢をフランス軍へと集中させたのだ。
ドイツ軍は、ヴェルダンでの大出血したものの、同地の占領に成功。その外イープルやソンムの3ヘクスを占領する。西部戦線では、3ヘクスの奪還など、シェリーフェンプラン以来の事態だ。


フランス軍とイギリス軍によるヴェルダンへの攻撃は失敗。それでも突出したドイツ軍に損耗を強いている。
フランス軍には、他に余力はなく、ユニットを入れ替えたのみだ。逆に、イギリス軍は決死の攻勢に出る。TANKを先頭にした攻撃により、ドイツ軍を押し込む。遂に、アントワープへの攻撃態勢に取り付いたのである。
さて、これ以降の私の脳内テンボーなので、上手くいくかどうかも大いに未定だ。
ドイツ軍は徹底してフランス軍を叩くつもりだった。次のターンに狙うのはナンシーで、この戦闘に付近に展開中と再編成されたストスト・トルッペンを4個、それに砲兵連隊を4個投入できた筈だ。これで損害はそれなりに出るものの、ナンシーの占領は成功しただろう。そしてナンシーとヴェルダンを占領し、季節の変わり目でフランスの戦意を占ってもらうのだ。
フランスの継戦意欲を削いだ後で、次はイギリス軍を叩く。徹底的に。それまでイギリス軍の攻撃は受け流すようにする。土地など、兵士がいなければ、幾らでも取り返せるのだ。
AP陣営としては、バルカンへ深入りし過ぎているように思う。幾ら何でも投入した部隊が多過ぎるのだ。TANKが登場したとしても、このままでは西部戦線でドイツ軍の主導権に握られた状態が続くだろう。それも戦意=補充次第になるが。


こちらが1917年10月を終えた全景となる。
東部戦線は最早触れる必要がないだろう。革命寸前で、実質的に休戦しているのだから。
ロシアの戦意は、これまでの1917年2月のD1、1917年5月のD2、1917年8月のD1、それにブレストリトフスク、ワルシャワ、コブノ、ミンスク、そしてオデッサをCPに占領されているため、合計―9DRMを被る。このDRMでは、そのようなサイの目であろうと、ロシアは次の戦意判定で降伏となる。

まず言える事だが、ジェネラルの記事にあるように、このゲームはドイツ軍が有利だ。さらに、1915年のシナリオでは、ロシア軍の質がかなり落ちている。そのため、1915年からキャンペーンを始めるのは、勝敗的に問題はあっただろう。
そして一番テクニックを必要とするロシア軍を、初心者のもっちひ男爵が担当したのは、如何なものだったろうか。今更であるが、もっちひ男爵とDublin卿の担当を入れ替えるべきであっただろう。フランス軍は、戦線全域へ兵力を行き渡らせられる状態で開始でき。ロシア軍は、兵力配分と戦略に技量と経験が必要だったのだ。この両人が担当を入れ替えていれば、革命の足音すら聞く事は無かっただろう。それはそれで面白みは無いが。

この対戦を終えての感想を述べる。
このゲームの魅力を再発見でき、心から感謝している。
最も経験とテクニック、そしてゲーム魂を持ったDublin卿。手勢が少ないものの、精一杯ゲームを楽しんでいたBlueBear伯。いつも冷静沈着だったファルケンハイン松谷。
そして、もっちひ男爵には敬意を表したい。心が折れる状況でも、ゲームに対する姿勢が変わらず、それは尊敬に値するのだ。もっちひ男爵がモラルダウンしていたなら、ここまで熱中できなかっただろう。もっちひ男爵には心から有難う、と言いたい。
過去、他のゲームで多くの経験はあるが、対戦を終えてから、ここまでルールブックを読み返したゲームは他に無い。正直に言って、このゲームに対しては、いい思い出は無かった。古いシステムと、動かない戦線のダメなゲームとしか記憶は無かったのだ。それが今回の対戦で、全く印象が変わってしまった。

最後に、私の物言いで失礼な部分も多かったと思う。もし、気分を害されていたら、許して頂きたい。それだけ熱くなっていたのだ。

次回に予定があれば、是非誘って貰いたい。
その際には、1914年のゲーム開始当初から、「やらなければ、なんねえべ!」。途中で中断したとしても、その状態で写真を沢山撮っておけば、再開は可能だ。それは同じメンツでなくてもいいではないか。ガンズ・キャンペーン制覇が、私の人生の目標となった。

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