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2011-05-20 21:17

『ガンズ:地獄への降下』1917年前半

『1917年1月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに降雪。


ドイツ軍は、ルーマニアの進捗具合を横目で見ているため、死のローテーションを行うのみ。そしてイギリス軍とフランス軍による、リール挟撃が決行。フランス軍の大火力に支援された攻撃により、リール要塞のどうツ軍を吹き飛ばす。DEなど、西部戦線では初めてだ。
ドイツ軍はリール奪還を断念する。ファルケンハイン松谷の目が怖いため、公言できなかったが、西部戦線のリール放棄はある程度想定していた。ここを撤収することで、戦線を縮小できるからだ。その2線目にはすでに要塞群の構築が進んでおり、しかもAP陣営が攻勢を行う目標地点も無くなるのだ。このラインで攻防戦を行えば、1年間は維持できるとyagiデンブルグは考えていたのである。


イタリア戦線でも、CP陣営は死のローテーションを行うのみ。イタリア軍の攻勢も、戦線が入り組んだため、一時的な小休止となった。


バルカン戦線では、ドイツ軍の攻勢がルーマニア軍の抵抗により、その前進が停滞している。イギリス軍、アメリカ軍の共同したブルガリア軍へ向けての攻勢も、山岳地帯で悪戦苦闘している。一部の部隊を追い払っても、1個でも残ってしまうと、その戦線は維持できてしまうのだ。そして攻撃には損害が付き物で、イギリスやアメリカの若者が、聞いたことも無かった土地で失われているのである。


東部戦線では、ロシア軍の戦略変換が功を奏している。それは南部を諦め、北部へ兵力を結集するというものだ。それにより、北部では、ドイツ軍によるリガ方面軍への攻撃で一部は崩されているが、それでも頑強な戦線を維持できている。何より、攻撃には出血が付き物なので、ドイツ軍にも多大な損害を被っているのだ。スモレンスク方面軍でも、ドイツ軍は正面攻撃を断念。側面からの浸透を狙っている。ここでドイツ軍の機動力がものを言うのだ。南部では、キエフ方面軍が、その前面で強固とは言えないものの、連続した抵抗線を築いている。そしてドイツ軍は、ロシア軍は兵力不足で構築を断念した南端より浸透を開始した。その目標はオデッサにある。
ロシア軍は土地を失っているものの、兵力の維持には成功しており。戦力さえあれば、土地は取り返す事が可能なのである。


1917年1月を終えた時点の全景になる。
東部戦線とバルカン戦線を眺めると、その入り組み具合が分かるだろう。逆に、イタリア戦線や西部戦線では、1ヘクスを巡る激戦が展開されている。



『1917年2月』

天候は西部戦線で泥濘、東部戦線で降雪だった。


西部戦線異状なし。特筆すべき件は何もなし。ドイツ軍が戦線強化へ走ると、フランス軍もイギリス軍もそれまでに受けた損害の回復へ追われる。


イタリア戦線では、到着したドイツ軍が、イタリア軍の先鋒へ反撃を行う。しかし、高揚したイタリア軍には通じず、少々の損害を与えただけであった。イタリア軍は損害など省みずに攻撃を続行。入り組んだ戦線で、激しい戦闘が続いている。


バルカン戦線では、ルーマニア軍が必死な抵抗を行うものの、ドイツ軍は首都のブカレストへの攻撃態勢を着々と整えている。イギリス軍の攻撃は遂に成功し、ブルガリア軍の一部を押し込む。これでベルリン~コンスタンチノープル鉄道は2ヘクスで分断した事となる。肩を並べるのは、アメリカ軍だ。


東部戦線では、停滞の時期を迎えている。リガ方面軍では、ロシア軍が強固に戦線を構築しているため、ドイツ軍も睨み合いをするのが精一杯だ。スモレンスク方面軍でも、ドイツ軍はバルカン方面の成り行きのため、しばし小休止となる。キエフ方面軍では、キエフ前面でロシア軍が強固な戦線を構築しているため、睨みあい。何より、南部方面では鉄道が修繕できずに、CP陣営の前進を阻んでしまっているのだ。


1917年2月を終えた時点の全景となる。
季節の変わり目なので、ここで戦意の判定を行った。フランス、イギリスは判定自体が必要なくなった。CP陣営は海上封鎖のー1DRMを受けるが、AHはなし。ドイツは補充が半減し、CP司令部に衝撃を走らせる事となった。そしてロシアはD1。これは革命の歯車が大きく回り始めた事になる。というのは、各ユニットについてダイズを1個振る脱走判定を行い。その出目が“1”であれば、そのユニットが除去されるのだ。そして以降の戦意判定では、-1DRMを適用され続ける事となる。一度、D1の結果が適用されると、加速度的に革命が進行するのである。
この脱走判定では、ロシア軍は歩兵軍団が5個、砲兵連隊が2個除去された。そのためスモレンスク前面の戦線に大穴が開く事となる。東部戦線の写真でも、その脱走が行われた後のため、文中にある停滞しているとの表現とは違い、ロシア軍の戦線が大いに乱れている部分がある。



『1917年3月』

天候は西部戦線では晴天、東部戦線でも晴天であったが、雪解けのぬかるみで泥濘となる。
あまりにも写真を撮り過ぎたため、このターンから枚数を節約する事となった。これほど纏めて写すなど、私の人生でも無かった事態だ。


西部戦線異状なしという状況が続いている。ドイツ軍は要塞地帯の構築に勤しみ。フランス軍とイギリス軍は消耗戦を仕掛ける。しかし、大きな動きの見える東部戦線やバルカン戦線と違い、1ヘクスの前進さえ見えないのである。それでも激しい戦いは行われている。ドイツの本国に再編成された部隊が置かれているので、ドイツ軍も損害を受けているのだろう。


ドイツ軍はイタリア戦線にて、突出部へ向けて反撃を行う。それでもイタリア軍は死守を決め込み、下がる様子を見せない。逆に、AH軍のスタックに攻撃を行い、全てのユニットを退却させてはいないものの、一部を追い払っている。これはAH軍のユニットの上に、黒い“D”マーカーが乗っているので分かるのだ。


攻撃態勢を完了したブカレスト攻略隊であったが、本国の騒乱により、攻撃を一時見合わせている。イギリス軍とアメリカ軍によるソフィアを目指す攻勢も、進展があったようには見えない。両陣営とも、山岳地帯で先の見えない戦いを続けているのだ。


東部戦線では、ロシア軍の脱走により、戦列が崩れたスモレンスク方面軍へとドイツ軍が襲い掛かっている。そしてスモレンスク目前まで迫ったのである。キエフ方面軍では、弱体したロシア軍の側面を突くような機動戦を展開している。鉄道の修繕が行われ、補給の届く距離が伸びたためである。オデッサ方面への前進も行われているようだ。


1917年3月を終えた時点の全景となる。
東部戦線でロシア軍の窮乏が見て取れるだろう。革命による脱走で、弱体化に拍車がかかったのだ。ドイツ軍も補充が半減しているため、大胆な追撃を行えずにいる。
盟友ロシアの窮地を助けるため、イギリス軍もフランス軍も、そしてアメリカ軍やイタリア軍も必死な攻勢を続けている。しかし、これだけ離れると、全く分からない。これは実際の戦争でも、戦場の実像が、銃後の人間には良く伝わらないのと似ているのである。





『1917年4月』

天候は西部戦線、東部戦線でも晴天。

  
西部戦線では、ドイツ軍が死のローテーションをすれば、フランス軍もイギリス軍も断固たる攻撃を行った。
フランス軍による大火力の支援を受けたBig Push AttackでJ10を占領。ドイツ軍はギリギリの判断で退却を決意。兵力の損耗を避けるためだ。後に、このJ10は戦闘の焦点となるため、史実での激戦地であったイープルと呼ぶ事とする。場所が違うという意見はムシムシ。
イギリス軍による攻撃で、J8=カレー(あれ?ここはオランダ領だ。もう写真を変換しちゃったからカレーで通そう)からドイツ軍を叩き出す。しかし、イギリス軍は狡猾にも前進を行わない。さすが、bluebear伯。やる事がエゲツない。
この斜めから見ると、スタックの厚さが判って貰えるだろう。


イタリア戦線での押し合いは続いている。
ドイツ軍は補充の減退により、反撃を断念。防戦へと移る。イタリア軍は入り乱れた戦線にも関わらず、攻勢を継続。弱体なAH軍を後退させ、塹壕への強化をさせていない。


バルカン戦線では、ドイツ軍がブカレストの包囲を完了。これで補給を切断できたため、ブカレストの命運も風前の灯だ。サロニカからのAPの攻勢は捗っていない。イギリス軍、アメリカ軍、そしてギリシャ軍も参加して圧力を加えているものの、ブルガリア軍やAH軍の抵抗により前進を果たしていないのだ。


1917年4月を終えた全景となる。
うっかり東部戦線が入るように、写してなかった。あらあら、だ。
この写真とメモで分かる東部戦線の戦況は、リガやスモレンスク方面軍でドイツ軍とロシア軍の睨みあいが行われ。キエフ方面軍ではロシア軍の側面への浸透を続けている。そしてオデッサ方面へAH軍が進撃を行っている。対する、ロシア軍もオデッサ防衛隊を動員。同地を渡さぬ姿勢だ。
全体的に見て、西部戦線とイタリア戦線、そしてバルカン戦線で激しい消耗戦を行った一月であった。



『1917年5月』

天候は西部戦線が晴天、東部戦線が泥濘。

西部戦線での激戦に於いてドイツ軍は、補充の減退を憂慮し、作戦を練りなおした。それは唯の消耗戦を行うだけでは、フランス軍とイギリス軍を相手にしては、勝ち目は薄いと見込める。そのため、AP陣営の攻勢を誘導し、自軍の兵力と土地の損失を抑える必要がある。

そこで目を付けたのが、攻撃で損耗したイギリス軍のI8である。ここへ前進を行えば、海岸線のイギリス軍を孤立させ、両軍の攻撃を誘引できるのだ。

ドイツ軍の目論見は成功。攻撃は成功し、前進を果たす。
その事態に、フランス軍とイギリス軍が共同し、突出したドイツ軍を挟撃。周辺の兵力をかき集めて即時反撃に打って出たのである。
  
この攻撃は成功したものの、DXとなり各国へ多大な出血を強いたのである。ドイツ軍の目論見は成功したと言っていい。


イタリア戦線では、相変わらずの山岳地帯での激戦が展開されている。しかし、CPは現状でも問題ないと考えており、戦意旺盛なイタリア軍は質的な問題で衝撃力が心持たない。以上でもって、数的に優位なイタリア軍の攻勢が続いているのである。


動きの少ない西部戦線やイタリア戦線と違い、バルカン戦線では大きな動きがあった。ブカレストが陥落したのである。

都市を陥落させるのに、補給を切断して戦力を半減させてから、攻撃するのが、効率の良い攻略方法となっている。

ルーマニアの窮地を救うべく、イギリス軍やアメリカ軍の攻勢も、届かなかったのである。サロニカから前進したAP陣営の諸部隊は、ブルガリア領土の1/3を占拠しているが、都市は占領できていない。投入している兵力と、得られた成果は、釣り合わないのではあるまいか。
ルーマニア軍は、最後に残された都市のガラーツで抵抗の構えを見せている。

東部戦線は局面が大きく変わっているため、全景で解説しよう。

1917年5月を終えた全景になる。
西部戦線、イタリア戦線では激しい消耗戦が展開されているが、全体的には動きが見えないのである。バルカン戦線ではルーマニアが危機的状況で崩壊寸前である。
東部戦線では、ドイツ軍は敢えて攻撃を行わなかった。そしてターン終了時点での戦意判定
となる。先の通りに、イギリスとフランスには判定を行う必要はなかった。海上封鎖の影響を受けているドイツとAHは、今回なにも影響が無かった。
そしてロシアになる。ロシアは占領されている都市が4、前回、2月の判定でD1による、合計ー5DRMを受け、その結果はD2となった。脱走判定でダイズが2以下なら、そのユニットは除去され、以降の戦意判定ではー2DRMされるのだ。
この脱走判定の結果、ロシア軍は歩兵軍団の12個、砲兵連隊の5個が失われた。
前ターンの写真と比べれば、今ターンはロシア軍が随分減っているように見えるのは、脱走の結果によるのだ。完全に崩壊寸前と言っていい。
この状況にファルケンハイン松谷は「リガは攻撃する価値はないな」と断言。それ以外でも、敢えて攻撃を行う意義を見出せず、実質的な休戦状態となった。
実際、後ほど観戦に訪れた武官達は、松谷さんがファルケンハインだと知らず、同じ観戦武官仲間と思ったくらいだ。

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