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ウォーゲームのサークル・千葉会のblogです。 毎月、第三週の土曜日と日曜日に例会を行っています。 その報告を主に、代表者のyagiが参加したゲームサークルなどについても、アップしています。
週間朝日には週間司馬遼太郎と銘打って連載が続いています。
そこに小さな囲み記事があり、「第14回菜の花忌」の告知がされていたんですね。
司馬遼太郎は、誰もが一度は通る道で、当日は仕事も休みなので申し込みしたところ、折り返し参加証が送られて来のでした。
あまり内容は不明なものの、シンポジウムところから、何か発表?説明?、簡単に言えば話しがあるのでしょう。
聞けば、人気が高く、なかなか当たらないので、久々の幸運を無駄にしないようにっす。
最近、体調が今一つなため、ゆったり会社で仮眠を取り、ついでに食堂で昼メシを取り、会場の日比谷公会堂へと向かいました。本当は一杯引っかけて行くつもりでしたが自粛です。
こちらは食堂で出たランチ。鰆の胡麻焼き。小鉢はほうれん草とコーンを炒めたモノ。
美味しゅうございました。
これにコーヒーが付き430円也。
他の人間は何かと文句を言ってますが、私は十分かと。
量も普通で大盛りですし。ほら、見て見て。
日比谷公会堂へ時間前に到着すると、すでに開場しており、「良い席はお早めに」状態。
平均年齢は高めなのは当然として、若い方の姿も見え、未だに司馬遼太郎の人気の高さに嬉しくなってしまいました。
NHKの中継車も来てましたねぇ。
この模様は教育テレビで4月下旬に放送予定だそうで。
会場は、まあ、おんぼろ、良く言えば、歴史的がある。舞台に向かって右側に席を確保すると、沢木耕太郎の「テロルの決算」を思い出しまして。
山口音矢はこちらから壇上へ駆け上がったのか、と、しばし感慨に耽ったりしました。
私の席の右前にテレビカメラが陣取ってまして。最初は「座席の中盤くらいだし、なかなか(・∀・)イイ」と思っていたところ、テレビカメラが邪魔でして。気が付いた頃には、席は埋まっており、(・ω・)ショボーン。
そんな訳で、テレビには映る見込みはありません。
シンポジウムが始まってからは、撮影禁止なので写真もありません。
さて、菜の花忌は1部と2部になっていて、1部は司馬遼太郎賞の贈賞式とフェローシップ賞。
以下、敬称略です。
最初の挨拶に、司馬遼太郎の奥様である福田みどりが立たれ。
「とっても不思議な人だったの。」と始まり、馴れ初めからや普段の生活、そして『坂の上の雲』にまで致り。「変な話でしょう。でも、どうしても話しておきたかったの」、と締め括るられた。
これだけでも、来て良かったと思った。
司馬遼太郎賞は、宮本輝が受賞。
大阪在住の方、十三に骸骨ビルって、あったらしいのだけど、ご存知ですか?
1994年に解体されたのですけど。
やっぱり小説家の話しは、気が利いていて、大変面白く興味深いモノだった。何がどうと言われても、「実際に聞いてみてくれよ」としか、言いようがないっす。
こういう事はライブ感が大切なんでしょう。
フェローシップとやらは、学生の研究に資金を提供しています。
去年は「フィリピンのストリートチルドレン」で、その発表?ちゅうか、「こんな事やって来ました」というインタビューを簡単に。来年は「イエスはいつ座ったか?」で、初期の“最後の晩餐”はしゃがんで書かれてており、それは当時の習慣では合っていたのです。
しかし、ルネサーンスには椅子に座るようになり、それが何時からどうしてかを研究する、そうだ。こっちの方が面白そー。来年な大阪なんで、関西の方、よろしくです。
ここで休憩が入り、2部は、「『坂の上の雲』と日露戦争」と題して、映画監督の篠田正浩、漫画家の黒鉄ヒロシ、麗澤大学教授の松本健一、東京大学教授の加藤陽子によるシンポジウム。
ちょっと長めだったため、集中力に欠くところがあり、居眠りする人間がチラホラ。
面白かった話しをいくつか。
昭和30年代に、映画『明治天皇と日露大戦争』が公開され。
・映画で御前会議のシーンがあり。明治天皇陛下が映ると、日露戦争に従軍したらしい60台の方々が、直立不動で敬礼を始める。それが50人くらいいた。
・日露戦争講和に反対する、日比谷の焼き打ちがあった。
そのきっかけは、反対する国民全国大会が日比谷公園であり、その主催者が正岡子規の一番弟子。
・日露戦争当時の列強は、世界大戦を避けていた。
アメリカはフィリピンの反乱、イギリスはボーア戦争に手を焼いていた。日本が戦争を行える訳がなく。ロシアはフランスから借金しないと戦争は不可だが、おフランスは財政難。ドイツがその資金を出すと全面戦争だが、それを封じるため、アメリカが圧力をかける、と。
その他諸々ありました。
古い建物なんで、ちょっと椅子が狭いため、終わるころには疲れてしまいました。
それでも、充実した一日でした。
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