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2010-10-30 17:59

『祭・日露戦争』:ニチロのガキども

では、エポック/コマンドマガジン『日露戦争』について述べる事にしましょう。
まずは『日露戦争』の基礎知識から。
『日露戦争』はエポックからシリーズ化れていた、ワールドウォーゲームの第2作として出版されました。
エポックは販売のみを担当し、その開発は鈴木銀一郎氏…、尊敬を込めて鈴木大佐と呼ぶ事にします。その鈴木大佐と黒田氏の率いるレックカンパニーが担当していました。

最近、私は初期のシミュレーターを読み返す事があり、その中から引用というか記憶から。だから間違いもあるでしょうが、笑って許してくだされ。
黒田氏と鈴木大佐は、今も神田にある奥野カルタ店で知り合いました。鈴木大佐があるゲームを眺めていると、それを見ていた黒田氏が「そんなゲームを買ったらいけないよ」と声を掛けたのが出会い。そして意気投合した二人は、レックカンパニー設立し、数々のウォーゲームを開発する事になったのです。

鈴木大佐がレックカンパニーを起こす際に述べていたのが、ウォーゲームの未来についてです。
それまでのウォーゲームは、海外からの輸入品ばかりで、不確かな和訳なくせに、値段は大変高価でした。それを当時の少年達が、なけなしの小遣いで購入しているのを見て、このままではウォーゲームの未来はない。日本人が日本人のために開発し、日本語で書かれたウォーゲームを、こう言った少年達へ渡さなければならない、と熱く語られていました。
ですから、ワールドウォーゲームで販売されたウォーゲームも、入門用のである『独ソ電撃戦』『日露戦争』『バルジ大作戦』とラインアップされるのです。
この3作は、現在ではエポッククラシックと呼ばれ、ウォーゲーマーは、一度は通る道と言っても過言ではありません。

これらの特徴は、非常にシンプルである事。
移動と戦闘があり、ZOCがあり、戦闘後前進がある。
基本はこれだけで、後はその戦場の特色を出すべく、色付けを行っています。この頃のウォーゲームは、そのゲームでのみ使えるテクニックがあり、それを極力排除しています。
地形効果もシフトなのも、それを表しています。
それまでのゲームの特徴で、地形効果が戦力を倍化するものばかりでした。そのため計算が煩雑だったのです。アバロンヒル・クラシックでは、大都市で防御の戦力が倍化されました。そこへ額面20戦力が守っている場合、攻撃を成功する可能性が高い3:1まで持って行く事を想像してみてください。只でさえ、計算の出来ないアメリカ人ですから、戦力とオッズの一覧表も梱包されていました。

個人的な事を言えば、エポックで出版されている当時は、『日露戦争』に全く縁がありませんでした。
入門用のゲームというだけで興味を持てず、さらに当時乱発されていた、酷い国産ゲームもその色眼鏡を強くさせたのです。お門違いな意見の述べる人間も、近くにいましたし。
『日露戦争』を避ける理由の最大1つが、部隊を自分で編成する必要がある事でした。昔のゲームでは、自分で部隊を編成する事に、かなりの練度が必要だったのです。
はっきりいえば『第三帝国』でかなり苦労したんですわ。
部隊を作り過ぎて攻勢を取る事が出来なくなったり、ある部隊が足りなくて後々泣いたり。ドイツ軍のお金が無くなって、先攻後攻が入れ替わったなんて、あったなぁ(・ω・)トオイメ。そんな印象が強かったので、自分で部隊を買うゲームは、なかなか手が出なかったのです。
しかし、『日露戦争』は、高々3~4個のユニットを選ぶだけです。ユニットも種類は3つ4つですし、特別な物は少数。それに補充を手当するだけです。


そしてゲームテクニックは一つしかありません。簡単にいえば、敵を壊滅させたかったら包囲しろよ、と。いわゆる、「挟んでポン」ですね。
これには異論がある方もいるでしょう。「包囲されたぐらいで軍隊は壊滅しない」とか、「ゲーム的過ぎる」とか。
そういった方に、敢えて言わせて貰います。「貴方は包囲された事はあるんかい?」と。
私はあります。
私はサバイバルゲーム、略してサバゲーをやってた時期があります。その時に心掛けたのが、相手の側面を取る事。後面は大変でしたし。正面から敵方に迫られた場合、人数的に負けていても、下がる事ができれば、かなり粘れます。
例を挙げるなら、正面から2人までなら、遮蔽物を利用できれば迫られたとしても、1人で撃退する事は可能です。これが3人になると、どんな遮蔽物があったとしても、抵抗は不可能で、仲間に知らせながら速やかに後退します。
ところが、側面を取られたり、後ろを取られた場合は、その時点でアウトです。敵の側面や後ろを取れる人間は、腕前もそれなりですから。そんな情況に気が付いた時点で落とされていました。
ウォーゲーム的に言えば、正面からは2:1の攻撃なら撃退は可能で、3:1では攻撃は確実に成功する。包囲すれば簡単に壊滅させられる、という事になりますね。
ですから、ウォーゲームをやってた人間がサバゲーをやっても、かなりの戦いが出来たのです。体力的には別ですが(・ω・)。今なんか、足が動かないでしょうねー。走っただけで怪我をしそうですし( ̄▽ ̄;)。

『日露戦争』に縁がなかった私に転機が訪れたのは、10年ほど前にあるサークルへ参加し復帰したこと。
そこで当時、コマンドマガジンから再販された『日露戦争』を対戦していましてね。それを横で見ていたら、無性にやりたくなったんです。
作戦級ゲームの基本さえ知っていれば、そこそこの対戦ができますから。
それから、ようやく『日露戦争』の魅力を確認し、かなり対戦しましたねぇ。先のサークルでも、ワンデェイ・トーナメントなんかを企画したりしましたし。でも長考の人間がいて、企画倒れギリギリになっちゃいましたが。別のサークルへ飛び込み参加した際なども、『日露戦争』は共通言語のように対戦できましたし。
長い付き合いのMMさんを先のサークルへ誘い出して。
彼が『日露戦争』を昔からやっててですね。かなり上手くて、初対面の方々にも褒められて。それが自分の事のように嬉しかった物です。

そして『日露戦争』で最も評価しているのは、戦略の重要性を実感出来る事。
駒捌きで勝ててしまえるウォーゲームが多かった中で、『日露戦争』は自分の欲した勝ち方を選び、それに沿った作戦を展開して行く。その戦略が確固としている人間が、最も勝利に近くなります。そんな当たり前な手順を習得出来るのも、『日露戦争』の大きな魅力になっています。

そんなこんながありまして。
自分でもウォーゲームのサークルを始める事となり。その千葉会でも『日露戦争』は定番となっています。
定番となる理由は、『日露戦争』の魅力と共に、やはりウォーゲーマーは初心者が多い事に他なりません。
一時的な興隆があり、そこから冬の時代が続きました。その理由を探るのは、この記事の本来の目的から外れてしまいますし、結局は虚しい結末で終わるでしょうから触れません。

言えるのは“今でもウォーゲームが好きな人間は各地に隠れている”という事です。そして、きっかけさえあれば、ウォーゲームに戻って来る機会を待っとる、と。
その際に、『日露戦争』は暖かく出迎えてくれるのです。
そう30年前のガキ共は、未だに『日露戦争』で腕を磨いているのです



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