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2010-10-30 17:57

『祭・日露戦争』:坂の上の雲では物足りない

さてさて、はねはねさんの開催している日露戦争の祭に、遅ればせながら参加しましょうか。
まずはゲームではなく、日露戦争と言えば外せない、司馬遼太郎の名著“坂の上の雲”から触れて行きます。
司馬遼は流行り病のような物で、ツボにはまると一気に読んでしまいます。私も一時期ハマって、全作品の読破に精を出した物です。“坂の上の雲”はその中で異色の物語でした。
司馬遼の作としては、最も現代に近い小説で、この明治より後の時代は、嫌悪に近い感情で語られ、エッセイで愚痴を溢しす事はあるものの、小説としては作品にするのは避けられています。その点“坂の上の雲”は、唯一正面から戦争を描いた司馬遼作と言えます。

さて、名著である“坂の上の雲”ですが、私のようにミリオタで、南北戦争や第一次世界大戦へと足を踏み入れると、見方が少々変わって来て、疑問や違和感が沸々と湧いて来るんですね。

まずは、乃木将軍を悪く言い過ぎじゃないか、と。
愚将とまで貶められています。去年、参加した菜の花忌でも、パネリストの皆さんがそのように述べてましたし。
その理由として、旅順要塞の攻略で、無為に損害を出し過ぎた事が挙げられています。
しかし、“坂の上の雲”で司馬遼が述べている、「歩兵では手に負えなく、要塞は大砲により破壊する」というのは、大きな間違い。何故なら、第一次世界大戦で、各国が同じ事をして失敗。いや、もっと酷い失敗を繰り返しているのです。
何ヶ月に亘り砲撃を浴びせ続け、無人の荒野を進む筈が、僅かに生き残っていた小数の機関銃陣地により、前進が阻害されてしまい。防御側が予備を投入する事により、最終的には攻撃が頓挫する事態が多発したのです。しかも、その作戦を立案したのは、乃木将軍が旅順要塞で悪戦苦闘したのを、観戦していた将軍や将校達です。イギリス軍など、カンブレー戦での一日の戦死者が15000人に上ります。

そして日露戦争の陸上戦のハイライトである奉天会戦では、乃木将軍の第三軍の前進により、ロシア軍は撤退を決意するに致りました。司馬遼が日本の名将と呼んでいる黒木や奥、それに野津が指揮する部隊は、奉天の前面で前進を阻まれていましたから、勝利に最も貢献したのは、ドジでのろまな乃木の第三軍と言えましょう。
それらを勘案すると、乃木将軍は日本やヨーロッパの将軍と比べて、名将とは言えないものの、普通の…、いや随分マシな将軍ではなかったかと。しかも、旅順要塞は海軍の要請により、早期の陥落を強要され、歩兵による強襲を行う必要もありましたから。


次は、日露戦争の旅順要塞と第二次世界大戦のセバストポリ要塞の、その攻防戦の違いは何であるか疑問でした。
旅順攻防戦では、第三軍の死傷率は7割に達し、期間も長期に亘りました。実際は、期間が長かったとは言えないのですが、ロシア軍には余力が十分にあり、降伏が早かったと追及され、指揮官がロシアで訴追されたのは有名な話しです。しかし、それから30年ほど過ぎたセバストポリ攻防戦では、それほどドイツ軍が苦戦したとは聞いた事はありませんし、ソ連軍の後詰が無ければ陥落はもっと早かった筈です。

では、その違いは何でしょうか?
まず、ドイツ軍が80㌢や60㌢の巨大な大砲を投入して活躍した、というのは違うでしょう。高々、一時間に2~3発を撃ち込んだとしても、どれくらいの効果があったのでしょうか。

歩兵の兵器が開発されたのはどうでしょうか。軽機関銃が開発され、前進した歩兵の火力が上がったのは確かでしょう。それから手榴弾の性能も格段に上がっています。というより、日露戦争当時の手榴弾は、不発があまりにも多かった、との記述がいくつも見受けられます。

そして、やはり空軍の存在が大きいのではないでしょうか。空軍の爆撃は、砲撃よりも効果を見込めたでしょうし、何より空中からの偵察で、敵情を詳しく知る事ができたのでしょう。

ドイツ軍が煙幕を有効に使えた?
私はASLという戦術級のゲームを、ここ十年近くプレイして続けています。熟練した人間との違いを、最初に実感するのが、この煙幕の使い方です。それまでは、敵の火点を無力化するために、こちらの援護射撃を当てにするしかありませんでした。そして、それはしばしば効果を得られず、無理な攻撃を行う必要に迫られ、損害が嵩む結果となりました。しかし、煙幕を敵の火点へ展開する事により、もっと簡単で確実に無力化できるようになったのです。
それは実戦でも見受けられ、第一次世界大戦では煙幕の使い方は拙劣でしたが、同様の効果がある霧を利用出来れば、その攻撃は成功したのでした。
時代は変わりますが、レイテ海戦で大和を筆頭とする日本海軍の戦艦群が、アメリカの空母隊を発見して壊滅させています。この空母は仮装空母と言われ、ほとんど装甲を施していませんでした。その際の戦いで、アメリカの駆逐艦が決死行動で煙幕を展開し、そのため撃沈が遅れています。硫黄島の戦いでも、上陸前の掃海(正確には、その調査)で日本軍の砲撃を受けた部隊が、煙幕を展開して逃げおおせています。日露戦争から第二次世界大戦までで、煙幕を有効に使う技術は、格段の進歩を見せたのではないでしょうか。

さて、実は私が一番変わったのは、そのような兵器などでなく、戦い方だと思っています。
日露戦争から第二次世界大戦の間に、第一次世界大戦があり、その中でも多くの要塞戦が行われています。そこで最も成功したのが、ドイツ軍によるリガ要塞の攻略でした。
それまでの要塞に限らず、準備された陣地に対する攻撃は、先に触れていますが、多大な損害をもたらしており、多くは失敗に終わっています。一旦は、成功したとしても、防御側の予備の投入による反撃で、最終的には失敗へ帰していました。これは南北戦争の頃から始まっています。
第一次世界大戦の長い戦いの中で、多くの出血を強いられたヨーロッパの軍隊は、ある戦術を開発する事になります。いや、正確にいえば、開発というより、数多の経験で成功した攻撃から、進化したと言った方が近いようですが。

それが浸透戦術です。
これは敵の抵抗が激しい地点は避け、弱体な地点を攻撃し突破口を築き。そこから前進を行う事により、敵の後方まで前進抵抗拠点を無力化する、という考え方です。
この戦術を初めて使ったのは、ロシアのブルシーロフ将軍で、それを経験したドイツ軍がイタリアのカポレットの戦いで大成功を納め、さらに磨きをかけてリガ要塞を陥落させたのでした。
浸透戦術の特徴は、短時間で集中した砲撃により敵を混乱させ、小数で訓練の行き届いた部隊が攻撃を行い、敵の弱体な部分を探ります。そして、その弱点へ兵力を集中して突破、敵の強力な拠点を迂回しつつ前進。敵の後方にある予備や補給、そして指揮を混乱させ勝利を得るのでした。
この浸透戦術を第一次世界大戦の後で各国が研究し、ドイツは装甲部隊とや空軍を組み合わせる事により、電撃戦へと結実させています。
日本軍は、浸透戦術を肉弾で補う事により、長期に亘る中国を舞台にした戦乱を、優位に戦う事ができました。

このような戦術が確立されたセバストポリ攻防戦では、もはや強固な大規模な防備を備えた要塞は、有効な防衛方法とは言えなくなってたのです。
逆に、そのような戦術を、全く知らぬままに戦われた旅順要塞戦では、大損害が出るのは、仕方ない事態であったのでしょう。

ですから、乃木将軍を司馬遼がエンターテイメントで悪く書くのは正しいのですが、その著作だけで乃木将軍を貶めるのは、如何な物だと思うのです。
個人的には、乃木将軍の指揮下での、旅順攻略へ実際に参加するのは御免ですが。

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