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2017-06-25 17:53

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2011-10-12 22:10

米国製の『関が原』


GMT謹製の『関が原』をDRAGOONさんと対戦しました。
BoardGameGeekへ上の画像を投稿しましたが、「悪意のある投稿だからダメ」と。
あー、そうなんだよなー。
彼奴らは、日本語でのコメントはぜーんぶ悪く取るんだろーなー。
もう二度と投稿せんわ。

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2011-07-06 15:35

『SL-CONの宣伝』

 
友好サークルである、さいたまゲームサークルで主催する、今年度最大のイベントであるSL-CONが7月24日(日)と近づいて来ました(`・ω・´)。これは「初心者による、初心者のための、初心者の集まり」です。ウォーゲームに触れることを目的にしているのですね。
詳しい告知自体は、主催しているさいたまゲームサークル(以降、さいたまさん)や、コマンドマガジンのHPでも行っているので、こちらでは今更する事はないでしょう。そこで宣伝としてSL-CONについて応援の意味も込めて書いておきます(・∀・)。
 
何時も、さいたまさんはイイ線ついているよな、と思っていました。同人誌でも初心者向けに絞っており、それはウォーゲーマーの現状を見ると(゜∀゜)イイ。まあオフセット印刷で300部刷るというのは、ちょっと心配しましたがね。…いや、正直言うとかなり心配したんですよ。というのは、ウォーゲームの同人誌でオフセット印刷をしたのは、記憶になかったのです。昔はともかく、ここ10年のウォーゲーム関連の同人誌では、コピー本が精一杯でしたから。売れ残りの抱えたら、どないすんねん、と。それは嬉しい方向で、予想を裏切ってくれ、杞YOUに終わりました。
 
そして初心者向けの集まりを、秋葉原のイエローサブマリンで行うと知り、それも(゜∀゜)イイ。
というのは、以前に会場である秋葉原のイエローサブマリンではASLの集会を行っていましてね。その度、買い物やTRPGついでに覗いて行く人間が、結構な数いたのです。それからサンセットでも、ウォーゲーマーミーティング(だったよな?)と銘打ってイベントを行い。大いに盛況で、そこで会った方の中には、千葉会の常連になっていただいた方もいました。
しかし、イエサブは使用料が高いんですよね。しかも、他のイベントもあったり、時間が11時からとウォーゲームとしては短い。そんな訳でイエサブは離れて久しかったのです。
 
SL-CONのチラシを見ると、協賛にちはら会の名前があり。mitsuさんが良からぬB級ゲームを布教するに違いない(・∀・)。
それから、千葉会のメンツではいのさんも参加すると。こちらは良からぬカードゲームを(略。
そしてそしてDASREICHさんがですね。初心者枠での参加をすると。何てステキな初心者様でつね(゜∀゜)。
ここまで書いて何なのですが、私自身はですね。20年に一度の町内会の役員を押し付けられてますて。これが忙しくてSL-CONへの参加目処が付きません(´・ω・`)ショボーン。何せ、この頃には夏祭りのチケットを2000枚くらい作っているヨテー(´・ω・`)ショボボーーーン。
 
秋葉原へ行くなら、ごはん処 あだちへ寄りたかったんですけどねぇ。詳しくは、こちちらのメガ盛りHPをご覧くださいな。繊細な味とは無縁の料理ですが、あの触るとチャキチャキ音がしそうな江戸っ子のオヤジさんが、「腹へってんだろ?喰って行きなよw」と。大盛盛り付けてくれるのが好きなんです。SL-CONへ行く方は、是非お試しあれ(・∀・)。
 
 

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2011-05-20 21:50

『ガンズ:地獄への降下』@番外編

先の記事にあったように、YSGAへお邪魔してですね。往年の傑作ゲームAH『THE GUNS OF AUGUST(ガンズ)』を対戦して来ました。そのリプレイは、まあヒマな方は見てくださいな。 で、ですね。私は千葉の奥地から出て行ったんですよ。BlueBearさんに誘われまして。でも、2日間の対戦なので、自宅へ帰るのが、かなり大変。そこでマンガ喫茶への宿泊を考えたんですね。 最近、更年期か何か知らないけど、朝早く目が覚めてしまうんです。この1日目も5時前には起き出して、グダグダ過ごしてから出発。9時近くに横浜の西公会堂へ到着。それで12時間近く対戦して、何時ものように飲み会へ流れまして。そこでベロベロに酔っ払ってですね。ええ、何時のも事ですが何か?状態。そしてマンガ喫茶へ転がり込んだんですね。 いやー、良いモンでしたねえ。私は何せマンガもあるし、パソコンもある。シャワーもあって、飲み物のフリー。これじゃあ、今の若い者は自動車やバイクを買わなくなるわ。私はただ寝るだけしか考えてなく、6時くらいには起き出して、マンガ喫茶を出てウロウロしてしまったんですが。もっと、ゆっくりしていても良かったですね。それにオールで遊んでいた風のお嬢さんが多いこと。お父さんは驚いてしまいました。 で、西公会堂の近くはですね。横浜の繁華街に近いんですね。はっきり言って、いかがわしいお店が多いんですわ。キャバクラやガールズ・バー、それに居酒屋には事欠かず。以前に気が付いていた、熟女ソープが健在なのには、これまた驚いて、と。 私は酒が好きなものの、女の子は眺めるだけでいいや。でもって、起き出して歩き回っていると、そここにオールで遊んでいた皆さんが闊歩してまして。
 
写真は、横浜駅の前?横?とにかく、運河に沿った歩道。そこには煙草を吹かしているお姉さん方や、短パンが15cmしかない活きの良いお姉さんがおりまして。思わず遠くから写真を撮ってしまいました。お姉さん方は兎も角として、YSGAにはまた行きたいなぁー。

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2011-05-20 21:47

『ガンズ:地獄への降下』1917年後半

『1917年6月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、ドイツ軍が死のローテーションを行えば、フランス軍とイギリス軍は消耗戦を仕掛ける。フランス軍は2ヶ所、イギリス軍が1ヵ所の攻撃を行う。しかし、その全ては失敗に終わり、ドイツ軍に損害を与える事もできなかった。
この消耗戦の失敗は大きく、ドイツ軍に一息付かせることとなる。実際、ドイツ軍は翌月に投入される、ストスト・トルッペンのために補充を残す事さえできたのである。


イタリア戦線では、イタリア軍のよる攻撃が行われた。そして遂に、CPの戦線を後退させるのに成功。突出部を押し広げたのであった。


バルカン戦線では、崩壊寸前のルーマニア軍へ対して、ドイツ軍が止めを刺すために前進。ブルガリアのバリアも奪還した。サロニカから前進したイギリス軍やアメリカ軍は、攻勢を持続。遂に、首都ソフィアへ接敵する。CPも必死な抵抗を行い、兵力的に余裕のあるAH軍を投入。阻止の構えを見せている。


1917年6月を終えた時点の全景となる。
東部戦線では、一部のロシア軍が攻撃を行うものの、休戦状態に近い。ロシア軍は先の脱走でかなりのダメージを受けており、戦線と呼べるものはリガ、スモレンスク、そしてキエフ周辺となる。もはやそれまで使っていた方面軍との呼称すら、不自然に感じてしまえる。
CP陣営は攻撃に出る事はなく、唯一オデッサへ向けてAH軍を前進させ、包囲を完成させただけだ。
このターンに東部戦線の指揮官であるファルケンハイン松谷より打診あり。曰く「こちらは、すでに補充の必要なし。これは間接的に兵力の転進となぜる。」との提言だった。「このターンの補充はストスト・トルッペンへ用に蓄積すべきであろう」とも。
西部戦線のyagiデンブルグは、これを尤もであると即断。全ての補充を流用する事と、ストスト・トルッペンの編成計画へと着手した。



『1917年7月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、ナンシーへ向けての攻撃に出る。しかし、DDで一部を追い払う事には成功するが、前進するまでは行かなかった。逆に、フランス軍は大火力の支援の下にドイツ軍を圧倒。フランス軍はJ10=ソンムへ突入する。そして戦場はフランス国内から、ベルギー国内へと移ることとなる。イギリス軍は小休止。さすがに損害が溜まったのである。
ドイツ軍は一時的に押されたものの、東部戦線から輸送中の攻囲砲兵と、新編成されたストスト・トルッペンを国内に配備し、逆襲の準備を行った。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻勢により、AH軍の一角を崩す。ここでも、イタリア軍の進撃は進み、戦場はAH国内を通してドイツ国内へと移る事となった。


バルカン戦線では、CP陣営がブルガリアへ、ルーマニア成敗を終えたAH軍やドイツ軍も投入。アメリカ軍やイギリス軍へ対抗させた。AP陣営は山岳地帯での過酷な戦闘と、CP陣営の防御強化のため、一時的に小休止となる。そしてサロニカに増強のアメリカ軍は到着。両陣営とも、泥沼へ足を突っ込んで、抜けなくなっているようだ。

東部戦線は全景から解説した方がよいだろう。

1917年7月を終えた時点の全景となる。
東部戦線では、リガやスモレンスク、そしてキエフでは実質的な休戦状態となり、オデッサへ到達したAH軍により、同地のロシア軍が包囲=補給切れとされている。そしてロシア南部に進駐していたAH軍の一部は、ルーマニアへ向かい、グラーツ包囲戦へ参加。これらの都市は無理攻めをせず、立ち枯れを待つのみとした。
それと違い西部戦線の溶鉱炉は、さらに熱く煮えたぎるのである。




『1917年8月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


遂に、西部戦線にストスト・トルッペンが投入される。同時に到着した攻城砲兵とともに、ソンムへ進出したフランス軍へ攻撃。ストスト・トルッペンが2個と砲兵火力が12で合計+4DRM、オッズは3:1の結果はDE!!一気にフランス軍のフルスタックが吹き飛んでしまった!
ここでも戦争の様相は、またしても変わったのである。
浸透戦術の訓練を受けた兵士達が、大火力に支援されて攻撃を行えば、どのような防備を固めた陣地であったとしても、無力化できる事が確立されたのであった。
フランス軍はソンムへ即時反撃!こちらも猛砲撃により、進出したドイツ軍を壊滅させたのである。
イギリス軍も同時に側面で攻撃を仕掛ける。僅かでも、ドイツ軍に消耗を強いて、フランス軍の圧力を軽減するためだ。そして新兵器であるフランス軍とイギリス軍の戦車が編成され、パリとロンドンに登場している。


イタリア戦線でも、イタリア軍による攻撃が継続される。損害を出しつつも、ドイツ本国への侵攻を狙っているのである。イタリア軍だけでは、戦力が不足しているため、後詰にフランス軍が送られている。



バルカン戦線では、アメリカ軍が主力となって攻撃を担っている。しかし、山岳地帯での戦闘であり、CP陣営が増強を行っているため、進捗具合は見られない。


1917年8月を終えた全景となる。
休戦状態の東部戦線では、ロシアのオデッサとルーマニアのグラーツで包囲戦が展開されている。これらを助ける術は、AP陣営にはない。
季節の変わり目なので、戦意判定を行った。
海上封鎖のー1DRMを受けたドイツとAHは、何も効果は無かった。
そしてー7DRM被ったロシアは、出目が“6”でD1のみ!!
出目が4以下なら、ロシアは降伏するのであったが、これには驚いた。さすがYSGAで鳴り響く松谷ダイズ!
妙に感心してしまった。D1の影響で、ロシア軍は歩兵軍団が7個、砲兵連隊が1個脱走した。



『1917年9月』

天候は西部戦線で晴天、東部戦線で泥濘。

  
西部戦線の死闘は続く。それは破滅へ向かって燃え盛っているようだ。
ドイツ軍のよる攻撃により、ソンムへ前進したフランス軍は壊滅。同地はドイツ軍に再奪還された。やはり、フランス軍はそれを許さず即時反攻。前進したドイツ軍を壊滅へ追いやった。ドイツ軍の隙を突き、隣接する地域も占領。大いなる戦果を上げたのである。そして前進した部隊が次々と壊滅するのを勘案し、前進するフランス軍を1個のみとした。
さすがDublin卿、この時点では、後の先が必勝となっており、先手を取って前進した部隊が、反撃を受けて必ず壊滅していた。そこで壊滅する部隊を1個に止め、反撃により失った土地を奪還すればいい、という考えだ。ゲーム的というなかれ。史実でも実際に行われていて、フランス兵の多くは、命令に従って死んでいったのである。
フランス軍の苦闘に、イギリス軍も援護の態勢を取る。到着早々の戦車を押し立てて、攻撃に出たのである。攻撃正面が少ないため、その攻撃は大きな戦果を得られたとは言えない。しかし、ドイツ軍に損耗を強いているのは間違いないのである。
そして、それまでバルカン戦線へ直行していたアメリカ軍、同じくバルカン戦線で戦っていたイギリス軍も、フランスへと送られてきたのであった。


西部戦線の容赦なさから比べると、イタリア戦線は前時代の戦いを眺めるようだ。イタリア軍も攻勢を継続しているものの、分厚いCP陣営が築いた陣地を突破できないでいるのだ。


バルカン戦線では、アメリカ軍の攻勢が功を奏し、ソフィア外周陣地の一部へと突入。なかなか進まないものの、ソフィア攻略態勢を着々と整えている。ソフィアにはブルガリア軍のフルスタックが塹壕陣地を築いて待ち構えている。


西部戦線の煮えたぎりから見ると、他の戦線は別世界のようだ。東部戦線では、オデッサとグラーツが陥落。脱走が続くロシア軍だが、不思議と補充は減ることが無いため、一部に攻撃へ出ている。しかし、CP陣営に退却の選択が可能なため、実りの無い戦いでもあった。
ファルケンハイン松谷は、ロシアでほとんど兵を動かす必要がなく。バルカンでも、2個か3個を入れ替えるのみだ。これだから、観戦武官の仲間と間違われても仕方ないだろう。



『1917年10月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。
このターンで2日間の戦いを、時間切れではあるが終える事となった。そこで、このターンでの動きとともに、先の展望とにも触れておこう。
煮えたぎる西部戦線は後回しとして。


バルカン戦線であるが、アメリカ軍の攻撃でCP陣営の戦列を押し込んでいる。しかし、続々と兵力が鉄道により集結しており、如何に精鋭のアメリカ軍が先陣を切っていると言えど、ソフィアを攻略するのは難しいのでは、ないだろうか。
東部戦線が現状のまま続いたと仮定すれば(その可能性は低いが)、ドイツ軍の転進が遅れるため、ブルガリア軍やAH軍では防戦一方となるのは間違いない。それでもソフィアが陥落するのは、早くて3~4ヶ月。普通で6ヶ月近く掛かるだろう。
そこから、ベルグラードへ進出するのには、年単位の時間が掛かるに違いない。ベルグラードを占領しなければ、コンスタンチノープルへは補給の関係で前進できない。
結論として、AP陣営はバルカン戦線でソフィアは占領できるものの、それ以上の戦果を得る事は無理である。
CP陣営は、それで十分なのだ。


イタリア戦線では、AH軍が増強され、イタリア軍の攻撃は実りを見ていない。
私より、このゲームでの経験が多いDublin卿へ言うのは、口幅ったいが、オペレーション・ハンニバルは戦略を間違えていたのではないだろうか?
というのは、このままアルプス越えの作戦を行っても、ドイツ国内の都市・マインツが脅威に曝されるのは、後1年は掛かる。その時点でマインツへドイツ軍を動員し、反撃を行えば、同地を守るのは、それほど難しくはなかっただろう。私は、この方面へイタリア軍が向かっている以上は、全く怖くはなかった。それは布陣している部隊が、AH軍を主力としている事でも判ると思う。
APは、イタリア戦線でトリエステへ攻勢を志向すべきと思われる。トリエステへ向かうCPの鉄道網が、東部戦線と西部戦線を越える。直近のドイツ国内の都市がなく、ドイツ軍を投入するためには、かなりの距離を鉄道で移動する必要がある。鉄道網がイタリア軍の攻勢に曝されやすい、など。CP陣営が防御を固めるには、障害となる事項が多いのだ。
そして1916年にトリエステが最も危険な時期が訪れていた。ドイツ軍の攻勢が一時的な成功から、消耗による頓挫を受け戦線を後退させた。その時期に、トリエステや隣接する要塞を守備する戦闘部隊は、各々1個しかなかったのだ。この状況に気が付かれ、攻撃を行われたら、と冷や冷やしていたのだ。


東部戦線は後回しにして、熱くなっている西部戦線だ。


前ターンにフランス軍の攻勢により、ソンム奪還されたドイツ軍だが、この状況を狙っていた。
まず、ソンムやその隣接へクスは1ユニットなので、攻撃を成功させる事は、ちょっと計算すれば簡単だ。しかし、そのヘクスを安易に占領し返すだけでは、反撃を誘発するだけで面白くない。そこでそれらのヘクスへの攻撃は行うものの、本命はヴェルダンとイープルとした。イギリス軍の前面は無理な防戦はせず、土地を失っても、兵力を維持できれば問題ない。攻勢をフランス軍へと集中させたのだ。
ドイツ軍は、ヴェルダンでの大出血したものの、同地の占領に成功。その外イープルやソンムの3ヘクスを占領する。西部戦線では、3ヘクスの奪還など、シェリーフェンプラン以来の事態だ。


フランス軍とイギリス軍によるヴェルダンへの攻撃は失敗。それでも突出したドイツ軍に損耗を強いている。
フランス軍には、他に余力はなく、ユニットを入れ替えたのみだ。逆に、イギリス軍は決死の攻勢に出る。TANKを先頭にした攻撃により、ドイツ軍を押し込む。遂に、アントワープへの攻撃態勢に取り付いたのである。
さて、これ以降の私の脳内テンボーなので、上手くいくかどうかも大いに未定だ。
ドイツ軍は徹底してフランス軍を叩くつもりだった。次のターンに狙うのはナンシーで、この戦闘に付近に展開中と再編成されたストスト・トルッペンを4個、それに砲兵連隊を4個投入できた筈だ。これで損害はそれなりに出るものの、ナンシーの占領は成功しただろう。そしてナンシーとヴェルダンを占領し、季節の変わり目でフランスの戦意を占ってもらうのだ。
フランスの継戦意欲を削いだ後で、次はイギリス軍を叩く。徹底的に。それまでイギリス軍の攻撃は受け流すようにする。土地など、兵士がいなければ、幾らでも取り返せるのだ。
AP陣営としては、バルカンへ深入りし過ぎているように思う。幾ら何でも投入した部隊が多過ぎるのだ。TANKが登場したとしても、このままでは西部戦線でドイツ軍の主導権に握られた状態が続くだろう。それも戦意=補充次第になるが。


こちらが1917年10月を終えた全景となる。
東部戦線は最早触れる必要がないだろう。革命寸前で、実質的に休戦しているのだから。
ロシアの戦意は、これまでの1917年2月のD1、1917年5月のD2、1917年8月のD1、それにブレストリトフスク、ワルシャワ、コブノ、ミンスク、そしてオデッサをCPに占領されているため、合計―9DRMを被る。このDRMでは、そのようなサイの目であろうと、ロシアは次の戦意判定で降伏となる。

まず言える事だが、ジェネラルの記事にあるように、このゲームはドイツ軍が有利だ。さらに、1915年のシナリオでは、ロシア軍の質がかなり落ちている。そのため、1915年からキャンペーンを始めるのは、勝敗的に問題はあっただろう。
そして一番テクニックを必要とするロシア軍を、初心者のもっちひ男爵が担当したのは、如何なものだったろうか。今更であるが、もっちひ男爵とDublin卿の担当を入れ替えるべきであっただろう。フランス軍は、戦線全域へ兵力を行き渡らせられる状態で開始でき。ロシア軍は、兵力配分と戦略に技量と経験が必要だったのだ。この両人が担当を入れ替えていれば、革命の足音すら聞く事は無かっただろう。それはそれで面白みは無いが。

この対戦を終えての感想を述べる。
このゲームの魅力を再発見でき、心から感謝している。
最も経験とテクニック、そしてゲーム魂を持ったDublin卿。手勢が少ないものの、精一杯ゲームを楽しんでいたBlueBear伯。いつも冷静沈着だったファルケンハイン松谷。
そして、もっちひ男爵には敬意を表したい。心が折れる状況でも、ゲームに対する姿勢が変わらず、それは尊敬に値するのだ。もっちひ男爵がモラルダウンしていたなら、ここまで熱中できなかっただろう。もっちひ男爵には心から有難う、と言いたい。
過去、他のゲームで多くの経験はあるが、対戦を終えてから、ここまでルールブックを読み返したゲームは他に無い。正直に言って、このゲームに対しては、いい思い出は無かった。古いシステムと、動かない戦線のダメなゲームとしか記憶は無かったのだ。それが今回の対戦で、全く印象が変わってしまった。

最後に、私の物言いで失礼な部分も多かったと思う。もし、気分を害されていたら、許して頂きたい。それだけ熱くなっていたのだ。

次回に予定があれば、是非誘って貰いたい。
その際には、1914年のゲーム開始当初から、「やらなければ、なんねえべ!」。途中で中断したとしても、その状態で写真を沢山撮っておけば、再開は可能だ。それは同じメンツでなくてもいいではないか。ガンズ・キャンペーン制覇が、私の人生の目標となった。

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2011-05-20 21:17

『ガンズ:地獄への降下』1917年前半

『1917年1月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに降雪。


ドイツ軍は、ルーマニアの進捗具合を横目で見ているため、死のローテーションを行うのみ。そしてイギリス軍とフランス軍による、リール挟撃が決行。フランス軍の大火力に支援された攻撃により、リール要塞のどうツ軍を吹き飛ばす。DEなど、西部戦線では初めてだ。
ドイツ軍はリール奪還を断念する。ファルケンハイン松谷の目が怖いため、公言できなかったが、西部戦線のリール放棄はある程度想定していた。ここを撤収することで、戦線を縮小できるからだ。その2線目にはすでに要塞群の構築が進んでおり、しかもAP陣営が攻勢を行う目標地点も無くなるのだ。このラインで攻防戦を行えば、1年間は維持できるとyagiデンブルグは考えていたのである。


イタリア戦線でも、CP陣営は死のローテーションを行うのみ。イタリア軍の攻勢も、戦線が入り組んだため、一時的な小休止となった。


バルカン戦線では、ドイツ軍の攻勢がルーマニア軍の抵抗により、その前進が停滞している。イギリス軍、アメリカ軍の共同したブルガリア軍へ向けての攻勢も、山岳地帯で悪戦苦闘している。一部の部隊を追い払っても、1個でも残ってしまうと、その戦線は維持できてしまうのだ。そして攻撃には損害が付き物で、イギリスやアメリカの若者が、聞いたことも無かった土地で失われているのである。


東部戦線では、ロシア軍の戦略変換が功を奏している。それは南部を諦め、北部へ兵力を結集するというものだ。それにより、北部では、ドイツ軍によるリガ方面軍への攻撃で一部は崩されているが、それでも頑強な戦線を維持できている。何より、攻撃には出血が付き物なので、ドイツ軍にも多大な損害を被っているのだ。スモレンスク方面軍でも、ドイツ軍は正面攻撃を断念。側面からの浸透を狙っている。ここでドイツ軍の機動力がものを言うのだ。南部では、キエフ方面軍が、その前面で強固とは言えないものの、連続した抵抗線を築いている。そしてドイツ軍は、ロシア軍は兵力不足で構築を断念した南端より浸透を開始した。その目標はオデッサにある。
ロシア軍は土地を失っているものの、兵力の維持には成功しており。戦力さえあれば、土地は取り返す事が可能なのである。


1917年1月を終えた時点の全景になる。
東部戦線とバルカン戦線を眺めると、その入り組み具合が分かるだろう。逆に、イタリア戦線や西部戦線では、1ヘクスを巡る激戦が展開されている。



『1917年2月』

天候は西部戦線で泥濘、東部戦線で降雪だった。


西部戦線異状なし。特筆すべき件は何もなし。ドイツ軍が戦線強化へ走ると、フランス軍もイギリス軍もそれまでに受けた損害の回復へ追われる。


イタリア戦線では、到着したドイツ軍が、イタリア軍の先鋒へ反撃を行う。しかし、高揚したイタリア軍には通じず、少々の損害を与えただけであった。イタリア軍は損害など省みずに攻撃を続行。入り組んだ戦線で、激しい戦闘が続いている。


バルカン戦線では、ルーマニア軍が必死な抵抗を行うものの、ドイツ軍は首都のブカレストへの攻撃態勢を着々と整えている。イギリス軍の攻撃は遂に成功し、ブルガリア軍の一部を押し込む。これでベルリン~コンスタンチノープル鉄道は2ヘクスで分断した事となる。肩を並べるのは、アメリカ軍だ。


東部戦線では、停滞の時期を迎えている。リガ方面軍では、ロシア軍が強固に戦線を構築しているため、ドイツ軍も睨み合いをするのが精一杯だ。スモレンスク方面軍でも、ドイツ軍はバルカン方面の成り行きのため、しばし小休止となる。キエフ方面軍では、キエフ前面でロシア軍が強固な戦線を構築しているため、睨みあい。何より、南部方面では鉄道が修繕できずに、CP陣営の前進を阻んでしまっているのだ。


1917年2月を終えた時点の全景となる。
季節の変わり目なので、ここで戦意の判定を行った。フランス、イギリスは判定自体が必要なくなった。CP陣営は海上封鎖のー1DRMを受けるが、AHはなし。ドイツは補充が半減し、CP司令部に衝撃を走らせる事となった。そしてロシアはD1。これは革命の歯車が大きく回り始めた事になる。というのは、各ユニットについてダイズを1個振る脱走判定を行い。その出目が“1”であれば、そのユニットが除去されるのだ。そして以降の戦意判定では、-1DRMを適用され続ける事となる。一度、D1の結果が適用されると、加速度的に革命が進行するのである。
この脱走判定では、ロシア軍は歩兵軍団が5個、砲兵連隊が2個除去された。そのためスモレンスク前面の戦線に大穴が開く事となる。東部戦線の写真でも、その脱走が行われた後のため、文中にある停滞しているとの表現とは違い、ロシア軍の戦線が大いに乱れている部分がある。



『1917年3月』

天候は西部戦線では晴天、東部戦線でも晴天であったが、雪解けのぬかるみで泥濘となる。
あまりにも写真を撮り過ぎたため、このターンから枚数を節約する事となった。これほど纏めて写すなど、私の人生でも無かった事態だ。


西部戦線異状なしという状況が続いている。ドイツ軍は要塞地帯の構築に勤しみ。フランス軍とイギリス軍は消耗戦を仕掛ける。しかし、大きな動きの見える東部戦線やバルカン戦線と違い、1ヘクスの前進さえ見えないのである。それでも激しい戦いは行われている。ドイツの本国に再編成された部隊が置かれているので、ドイツ軍も損害を受けているのだろう。


ドイツ軍はイタリア戦線にて、突出部へ向けて反撃を行う。それでもイタリア軍は死守を決め込み、下がる様子を見せない。逆に、AH軍のスタックに攻撃を行い、全てのユニットを退却させてはいないものの、一部を追い払っている。これはAH軍のユニットの上に、黒い“D”マーカーが乗っているので分かるのだ。


攻撃態勢を完了したブカレスト攻略隊であったが、本国の騒乱により、攻撃を一時見合わせている。イギリス軍とアメリカ軍によるソフィアを目指す攻勢も、進展があったようには見えない。両陣営とも、山岳地帯で先の見えない戦いを続けているのだ。


東部戦線では、ロシア軍の脱走により、戦列が崩れたスモレンスク方面軍へとドイツ軍が襲い掛かっている。そしてスモレンスク目前まで迫ったのである。キエフ方面軍では、弱体したロシア軍の側面を突くような機動戦を展開している。鉄道の修繕が行われ、補給の届く距離が伸びたためである。オデッサ方面への前進も行われているようだ。


1917年3月を終えた時点の全景となる。
東部戦線でロシア軍の窮乏が見て取れるだろう。革命による脱走で、弱体化に拍車がかかったのだ。ドイツ軍も補充が半減しているため、大胆な追撃を行えずにいる。
盟友ロシアの窮地を助けるため、イギリス軍もフランス軍も、そしてアメリカ軍やイタリア軍も必死な攻勢を続けている。しかし、これだけ離れると、全く分からない。これは実際の戦争でも、戦場の実像が、銃後の人間には良く伝わらないのと似ているのである。





『1917年4月』

天候は西部戦線、東部戦線でも晴天。

  
西部戦線では、ドイツ軍が死のローテーションをすれば、フランス軍もイギリス軍も断固たる攻撃を行った。
フランス軍による大火力の支援を受けたBig Push AttackでJ10を占領。ドイツ軍はギリギリの判断で退却を決意。兵力の損耗を避けるためだ。後に、このJ10は戦闘の焦点となるため、史実での激戦地であったイープルと呼ぶ事とする。場所が違うという意見はムシムシ。
イギリス軍による攻撃で、J8=カレー(あれ?ここはオランダ領だ。もう写真を変換しちゃったからカレーで通そう)からドイツ軍を叩き出す。しかし、イギリス軍は狡猾にも前進を行わない。さすが、bluebear伯。やる事がエゲツない。
この斜めから見ると、スタックの厚さが判って貰えるだろう。


イタリア戦線での押し合いは続いている。
ドイツ軍は補充の減退により、反撃を断念。防戦へと移る。イタリア軍は入り乱れた戦線にも関わらず、攻勢を継続。弱体なAH軍を後退させ、塹壕への強化をさせていない。


バルカン戦線では、ドイツ軍がブカレストの包囲を完了。これで補給を切断できたため、ブカレストの命運も風前の灯だ。サロニカからのAPの攻勢は捗っていない。イギリス軍、アメリカ軍、そしてギリシャ軍も参加して圧力を加えているものの、ブルガリア軍やAH軍の抵抗により前進を果たしていないのだ。


1917年4月を終えた全景となる。
うっかり東部戦線が入るように、写してなかった。あらあら、だ。
この写真とメモで分かる東部戦線の戦況は、リガやスモレンスク方面軍でドイツ軍とロシア軍の睨みあいが行われ。キエフ方面軍ではロシア軍の側面への浸透を続けている。そしてオデッサ方面へAH軍が進撃を行っている。対する、ロシア軍もオデッサ防衛隊を動員。同地を渡さぬ姿勢だ。
全体的に見て、西部戦線とイタリア戦線、そしてバルカン戦線で激しい消耗戦を行った一月であった。



『1917年5月』

天候は西部戦線が晴天、東部戦線が泥濘。

西部戦線での激戦に於いてドイツ軍は、補充の減退を憂慮し、作戦を練りなおした。それは唯の消耗戦を行うだけでは、フランス軍とイギリス軍を相手にしては、勝ち目は薄いと見込める。そのため、AP陣営の攻勢を誘導し、自軍の兵力と土地の損失を抑える必要がある。

そこで目を付けたのが、攻撃で損耗したイギリス軍のI8である。ここへ前進を行えば、海岸線のイギリス軍を孤立させ、両軍の攻撃を誘引できるのだ。

ドイツ軍の目論見は成功。攻撃は成功し、前進を果たす。
その事態に、フランス軍とイギリス軍が共同し、突出したドイツ軍を挟撃。周辺の兵力をかき集めて即時反撃に打って出たのである。
  
この攻撃は成功したものの、DXとなり各国へ多大な出血を強いたのである。ドイツ軍の目論見は成功したと言っていい。


イタリア戦線では、相変わらずの山岳地帯での激戦が展開されている。しかし、CPは現状でも問題ないと考えており、戦意旺盛なイタリア軍は質的な問題で衝撃力が心持たない。以上でもって、数的に優位なイタリア軍の攻勢が続いているのである。


動きの少ない西部戦線やイタリア戦線と違い、バルカン戦線では大きな動きがあった。ブカレストが陥落したのである。

都市を陥落させるのに、補給を切断して戦力を半減させてから、攻撃するのが、効率の良い攻略方法となっている。

ルーマニアの窮地を救うべく、イギリス軍やアメリカ軍の攻勢も、届かなかったのである。サロニカから前進したAP陣営の諸部隊は、ブルガリア領土の1/3を占拠しているが、都市は占領できていない。投入している兵力と、得られた成果は、釣り合わないのではあるまいか。
ルーマニア軍は、最後に残された都市のガラーツで抵抗の構えを見せている。

東部戦線は局面が大きく変わっているため、全景で解説しよう。

1917年5月を終えた全景になる。
西部戦線、イタリア戦線では激しい消耗戦が展開されているが、全体的には動きが見えないのである。バルカン戦線ではルーマニアが危機的状況で崩壊寸前である。
東部戦線では、ドイツ軍は敢えて攻撃を行わなかった。そしてターン終了時点での戦意判定
となる。先の通りに、イギリスとフランスには判定を行う必要はなかった。海上封鎖の影響を受けているドイツとAHは、今回なにも影響が無かった。
そしてロシアになる。ロシアは占領されている都市が4、前回、2月の判定でD1による、合計ー5DRMを受け、その結果はD2となった。脱走判定でダイズが2以下なら、そのユニットは除去され、以降の戦意判定ではー2DRMされるのだ。
この脱走判定の結果、ロシア軍は歩兵軍団の12個、砲兵連隊の5個が失われた。
前ターンの写真と比べれば、今ターンはロシア軍が随分減っているように見えるのは、脱走の結果によるのだ。完全に崩壊寸前と言っていい。
この状況にファルケンハイン松谷は「リガは攻撃する価値はないな」と断言。それ以外でも、敢えて攻撃を行う意義を見出せず、実質的な休戦状態となった。
実際、後ほど観戦に訪れた武官達は、松谷さんがファルケンハインだと知らず、同じ観戦武官仲間と思ったくらいだ。

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