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2024-04-25 14:57

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2011-05-20 20:54

『ガンズ:地獄への降下』1916後半

『1916年7月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


ドイツ軍は角ヘクス・・・。この表現も如何なものかと思うので、以降はセダンと呼ぶことにする。セダンへ前進したフランス軍へ即時反撃。こちらもBig Push Attackを行い、フランス軍を叩き出した。


すると、フランス軍も負けずに攻撃を行い、ドイツ軍に損耗を強いた。ドイツ軍は、唯一生き残った4-6-4だけでセダンの維持に成功する。この血みどろ加減は、正に第一次世界大戦の塹壕戦を象徴している。


こちらがターンを終えた時点の西部戦線になる。
セダンの死闘は同地を吸血場と化している。ドイツ軍は後方に精鋭部隊を再建させ、さらに地獄へ送り込む態勢を整えている。フランス軍は、補充の半減のためパリへ1個再編成するのが精一杯だ。対戦を終えて、この写真を見ると、この時期のフランス軍はかなり苦しかったのが分かる。しかし、対戦当時はテンパっており敵の状況など、目は届くわけが無かった。
ここでBig Push Attackについて解説しておこう。
これは1916年から行える攻撃で、3個以上の防御ユニットが参加する場合、Big Push Attack(和訳では強行攻撃や大攻勢攻撃とあるが、今一つピンと来ない。)宣言できる。Big Push Attackを宣言したら、AEやAAやADの結果を受けるまで、サイコロを振ることが出来るのだ。これで、一回の戦闘では突破出来なかった塹壕戦に、終止符を打てるようになったのだ。ここでも戦争の進化が見て取れる。

あ、いけね。間違えて写真を消しちゃった。ゴメンです。
イタリア戦線では、CPは衝撃力を失ったため、防御態勢へと移っている。イタリア軍は、弱体なAH軍を狙い撃ちし、攻撃。後退を強いている。平地はドイツ軍が固めているため、アルプス越えの「オペレーション・ハンニバル」を決行中なのだ。象は連れてないが。


東部戦線の北部では、ドイツ軍はハリコフ方面軍(現状では、この表現が合っているように思える)へ主攻勢を行い、その一部を突き崩している。これでハリコフの両側面にロシア軍の戦線は無くなり、同地は危機的状況となった。
リガ方面軍に対しては、その前面に横たわるドビナ河へドイツ軍が押し寄せて、攻撃態勢を整えている最中だ。


東部戦線の南部。キエフ方面軍では、湿地帯からドイツ軍が側面へ回り込んだところ、その部隊へロシア軍が反撃。これがDXとなり、ドイツ軍の壊滅に成功したものの、ロシア軍も大部隊を失ってしまい。その周辺が一気に弱体化してしまった。さらに、AH軍への反撃を行ったところ、これもADとなり後退を強いられた。部隊を犠牲にして、戦線を維持するほどの戦力も無かったのだ。
これでキエフ方面軍の両側面が危機的状況となった。


バルカン戦線では、精鋭のイギリス軍が前線へ到着し、攻勢を行えるようになった。そのためAH軍やブルガリア軍では太刀打ちできず、後退を強いられ、ベルリン~コンスタンチノープル鉄道目前まで迫っている。


こちらが1916年7月を終えた全景となる。
東部戦線の崩れ具合が、これだけ引いて見ると良く判るだろう。それに比べ、西部戦線の全土を覆う塹壕が異質な風景として目に映る。サルジニア島のフランス軍、イギリス軍は一向に減る様子が見られない。これじゃあ、国民・兵隊は怒るも納得が行く。これはドイツ軍やAH軍も同じである。


『1916年8月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。


西部戦線では、両陣営とも攻勢に出られず。ひたすら、塹壕と要塞へと篭るのみだ。そしてドイツ軍は戦線後方にも要塞地帯を築いている。史実のような撤退を予期してだ。作戦名は忘れたのだが。


イタリア軍のオペレーション・ハンニバルは進行中。着々とAH軍を圧倒し、山岳地帯を前進している。地形は攻撃の障害にはなるのだが、数に物を言わせて波状攻撃を行われると、後退せざるを得ないのだ。


東部戦線では、リガ方面軍以外は壊乱状態となる。ハリコフ方面軍は、どうやっても戦線は築けないため、僅かにZOCでドイツ軍の前進を阻んでいる。しかし、ドイツ軍の前進を遅らせる事は出来ても、防ぐ事は困難だ。湿地帯も戦線の欠片すらなく、これで両翼を失ったハリコフは風前の灯となっている。キエフ方面軍が最も壊乱状態になっている。機動力の優れるドイツ軍が再度投入され、側面を脅かしているため、ロシア軍は踏み止まって抵抗することは出来ず、撤退を続けている。


バルカン戦線では、イギリス軍がブルガリアへ侵入している。さすがにイギリス軍は精鋭なので、2線級のブルガリア軍やAH軍では防ぐ手立ては見込めない。


こちらが1916年8月を終えた全景になる。
季節の変わり目なので戦意と参戦の判定を行った。アメリカが参戦したため、イギリスは戦意に問題は無くなる。フランスはリールを占領されているため、-1DRMをされたが、これも影響無かった。
ドイツは海上封鎖のー1DRMがあったが、これも影響なし。ただし、海上封鎖が効いてAHは補充が半減してしまう。
さあ、ここで唯一中立を維持しているルーマニアの参戦判定を行った。サイコロを振り、1でAP陣営、6でCP陣営、その他で中立を維持する。ここでCP陣営の参戦であると、ロシアを南部から攻め入ることが出来るため、一気に崩壊へと追い込めた。しかし出た目は1!ルーマニアはAP陣営の参戦を決意したのである。
ここで一気に戦況は逆転!
ブルガリアは側面にルーマニア軍が殺到し、首都のソフィアにはイギリス軍が接近しているため、崩壊の危機へ瀕する事となったのである。
この状況はもう一度、バルカン戦線の写真へ戻って見て貰えればよく判るだろう。

 
『1916年9月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。


またには東部戦線から見ていこう。
リガ前面のドビナ河では、ロシア軍の大軍を前に、ドイツ軍の攻撃は停滞している。しかしミンスク方面軍を完全に崩壊させ、同地の包囲が形勢されている。キエフ方面軍でも、ロシア軍は崩壊寸前となり、戦線を構築する間もなく、ドイツ軍とAH軍に追い立てられるように、オデッサ方向へと撤退を続けている。


バルカン戦線では、ルーマニアの参戦が大きな影響を及ぼしている。ルーマニア軍の大軍が国境線から侵入したため、同国の東部で戦線を張っていたブルガリア軍は、壊滅の危機に陥ってしまった。そしてサロニカから前進して来たイギリス軍の攻撃に、首都のソフィアを維持する事が精一杯である。ブルガリアはソフィアとバリアを占領されると、戦争から脱落するため、その危険が広がっている。サロニカにはアメリカ軍も上陸。戦列へ加わらんとす。
その危機的状況に、CPはドイツ軍を投入。攻勢の準備を整え始めた。


イタリア戦線は一時的な小休止となっている。兵力的に優位なイタリア軍であったが、山岳地帯を前進したために、後続の到着を待ったのである。CPは防戦一方だ。もっと重要な東部戦線と西部戦線、それにバルカン戦線へ兵力を取られているため、イタリア戦線には弱体なAH軍を送る事しか出来ないのだ。


西部戦線では、ドイツ軍は血のローテーションを行ったのみ。そこをフランス軍は、またもやセダンへ攻撃。同地を占領する。このヘクスへの攻撃は、両軍あわせると、もう何度目かも分からない。


1916年9月を終えた全景となる。
西部戦線とイタリア戦線では、両陣営とも兵力が密集しているため、大きな動きは見られない。1ヘクス程度の動きでは、ここまで引いて見ると、あまり意味が無さそうに思える。しかし、現場では重要な意義を持ち、死闘が繰り返えされているのだ。
東部戦線やバルカン戦線では、ドイツ軍が弱体なロシア軍やルーマニア軍へ襲い掛かり、突き崩している。


 
『1916年10月』

天候は西部戦線が晴天、東部戦線が泥濘。


東部戦線では、ドイツ軍が弾薬の不足しているミンスクを攻撃。同地の占領に成功している。これでロシア軍の中央部で生き残った部隊は、スモレンスク前面で戦線を引くこととなった。これらの部隊はスモレンスク方面軍と呼び名を変えた。その北部である、リガ方面軍はドビナ河流域で強固な戦線を構築し、ドイツ軍の前進を許さない構えだ。キエフ方面軍では、後続の到着により、ようやくロシア軍にも戦線が構築されている。


風雲急を告げるバルカン戦線では、もう何がなにやらである。ルーマニア軍の攻撃により、ブルガリア軍が守っていたバリアは占領された。ソフィアへのイギリス軍の進撃は、ブルガリア軍の必死な抵抗により、停滞を見せている。しかし、ベルリン~コンスタンチノープル鉄道は、イギリス軍により分断されてしまった。普通は、これでトルコは危機的状況になるのだが。それでもフランス軍やギリシャ軍、それにイギリス軍の共同攻撃により、トルコ軍が押されている。
そして一番のトピックスは、ドイツ軍の大増強だ。史実でもファルケンハインが派遣されたように、今回もルーマニア軍へ襲い掛かっている。ルーマニア軍はブカレスト前面で戦線を構築。死守する構えを見せる。


イタリア戦線では、またもや小休止。イタリア軍の砲兵が山岳地帯をなかなか前進できないため、攻撃も停滞するのだ。
ユニットの下に見える緑色のダイズは、イタリア軍専用のもの。APは各国に合わせたダイズを使い分けていた。


西部戦線では、一旦セダンへの執着を失たったため、他の地域(ヘクス)でも粘りが無くなる。ドイツ軍はセダンの北部。セダンの北部なのでカンブレーと呼ぶ事にしよう。カンブレーへ精鋭5-7-4+3-3-3砲兵を送り込み強化した。これが最も強力な防御態勢だからだ。しかし、フランス軍による大火力の砲兵に支援された攻撃により、奪われてしまった。これでリールがフランス軍とイギリス軍の中に取り残された形となった。
Dublin卿から「リールを放棄する選択もあるぞよ」との警告を受けるが、その情報が東部戦線を指揮していたファルケンハイン松谷の耳に入ると、「リールはドイツ領とす!」宣言が述べられ、yagiデンブルグもその意見に引きずられる事となる。


1916年10月が終わった全景となる。
西部戦線やイタリア戦線では、1ヘクスを巡る激戦が展開されている。これはロシア軍やルーマニア軍への圧力軽減を狙ったものだ。盟友の窮地に、自軍の損失も省みず波状攻撃を行っているのである。


 
『1916年11月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。


ファルケンハイン松谷のカツ!により、逃げ腰だったyagiデンブルグは、カンブレーへの即時反攻へ打って出る。こちらも負けずにBig Push Attackを行い、カンブレーを奪還す!しかしDXで出血多し!


フランス軍も一歩も引かず、カンブレーへ前進したドイツ軍へ攻撃を行う。こちらもBig Push Attackにより、DXでドイツ軍を吹き飛ばす!
でもDXでっせ。お互い血まみれの死闘でんがな。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻撃が再開。さらに1ヘクスの前進を果たす。イタリア軍は部隊単位では、それ程強くはないものの・・・。いや、はっきり言えば弱いが、数があるため損害を考慮せず攻撃を行え、何時かは前進に成功するのだ。この不屈な姿勢が、CP陣営に余裕を与えないのである。


バルカン戦線では、ドイツ軍がルーマニア軍の戦線を切り裂いて、ブカレスト目前まで迫る。対する、イギリス軍はソフィア前面の陣地帯を抜けず、悪戦苦闘だ。ドイツ軍とイギリス軍のチキンレースは、平地を進んでいるドイツ軍の方が、山岳地帯を進むイギリス軍より早いようだ。APはこの打開策でアメリカ軍を投入。写真を見て貰えれば分かるが、色とりどりのユニットが集結している。


東部戦線では、弱体と言えどロシア軍の戦線が築かれているため、CPの前進も停滞を見せている。このゲームでは、攻撃に損害が出がちである。そのため攻撃を続けて行くと、このような停滞する時間帯があるのだ。ドイツ軍の戦線後方に、鉄道で移動中の部隊が見えるだろう。これらの部隊が到着するまで、小休止となる。


1916年11月を終えた全景になる。
やはりルーマニアでの進捗具合が、他の戦線と比べれば大きい。相変わらず、サルジニア島の再編待ち部隊は、減ることが無い。CPの壊滅したユニットも、写真で撮るようにしておけば良かった。そうすれば、両陣営の消耗度が見て取れただろう。ちなみに、サルジニア島の隣にはターントラックがあり、そこへ置かれているユニットは、アメリカ軍の到着予定の部隊と、1917年7月に編成できるドイツ軍の突撃部隊=ストスト・トルッペン。
このターンの最後に、季節の変わり目なので、参戦はもう無くなっているため、戦意の判定のみを行った。
CP陣営のドイツ、AHは海上封鎖のー1DRMを受けたが、何も効果は無かった。イギリスの戦意判定はなく、フランスはリールを失っているー1DRMを受けたが、これも効果なし。そしてー4DRMを受けているロシアであったが、出目が“6”なので、何も効果は無かった。ロシア軍の戦意は天を突くようなのだった。
さすが松谷ダイズである。ゲームを盛り上げる事この上ない。

 

『1916年12月』

天候は西部戦線が泥濘、東部戦線が降雪。


ドイツ軍はカンブレーで、さらに反撃を行う。しかし、それはBDで頓挫。撃退されてしまったと言っていい。
さすがにAPも出血多量で小休止となった。


イタリア戦線では、イタリア軍の攻撃は続く。そしてAH軍の戦列へ割って入るのに成功。イタリア兵達の意気軒昂さが見て取れる。CPは、他に重要な戦線を抱えているため、防戦一方だ。


バルカン戦線では、ドイツ軍がルーマニアの首都であるブカレストへ殺到。戦力的に弱体なルーマニア軍は、ファルケンハイン松谷に率いられた精鋭ドイツ軍に押しまくられ、それを止める手段を持たない。
ブルガリアの首都であるソフィア目前まで進撃した、イギリス軍とアメリカ軍の攻勢も、山岳地帯に阻まれて、進捗を見せない。しかも、入り組んだ戦線になったため、効率的な攻撃を行えないのだ。ギリシャ軍も宿敵トルコ軍への攻撃を続けているが、戦果を得られたようには見られない。その理由は、対抗しているトルコ軍が、塹壕へ入った状態になる。攻撃が成功し、防御側に退却を強いられた場合では、塹壕から叩き出されてしまうからだ。


東部戦線では、ロシア軍の戦力回復とともに、戦況が安定している。と、聞こえれば耳当たりが良いものの、バルカン戦線へ攻撃兵力を引き抜かれたため、実質的に停滞していると言っていい。ロシア軍も戦線を張るのが精一杯なため、攻勢に出る事は出来ない。


1916年12月を終えた全景になる。
1914年から始まった戦争は2年を越えて、3年目へと入っている。ゲームも丸2年の24ターンを終えたのである。
年末なので、VPの計算を行った。
CPの占領している目標都市は西部戦線でアントワープ、エッセン、フランクフルト、リール、メッツ、トリエステの計6。東部戦線では、ブレスラウ、ブレストリトフスク、ブダペスト、コンスタンチノープル、ブレストリトフスクの計6。合計12ポイントで、前年末と変化は無かった。
勝利条件的には、引き分けとなる。この状態で誰が、それに満足して止めるって?そんなヤツは、ハナからこの戦いに参加してねえぜ。
この写真を撮影した時刻は15:30だ。再開時間が10:00に近かったため、10ターンを5時間30分。昼食を入れると、実質5時間弱で駆け抜けた事となる。


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2011-05-20 19:39

『ガンズ:地獄への降下』1916年前半

  『1916年1月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに降雪。


イタリア軍が損耗を被っており、ドイツ軍が到着した事もあり、CPはイタリア戦線で攻勢に出る。イタリア軍の戦列を押し返したのであるが、AH軍が前進に付いて来ないため、側面が弱体となる。イタリア軍が崩れたため、APは急遽フランス軍を送るべく、ニースに再建した部隊を動員。やはりイタリア軍らしく、他国の足を引っ張っている。何だか、微笑ましい。


西部戦線では両陣営とも損耗が激しく攻勢に出られない。文字通りに「西部戦線異状なし」なのである。それでもユニットを回す事は各所で行われている。そして着々と要塞化計画が進んでいる。
ここで要塞と塹壕の違いを述べておこう。DRMはここでは一先ず脇へ置いておき、使い方に焦点を当てる事とする。塹壕へ入るためには移動力が必要で、そのレベルを上げるのに1ターンに1つずつしか上げられないし、ユニット数以上の塹壕レベルは維持できない。しかし、要塞は移動力が必要でなく、ユニット数も関係ない。であるから、一旦要塞が構築されると、何もいなくなっても要塞は維持される。そう、地形効果のDRMだけでなく、使い勝手も良いのだ。ただし、戦闘で奪われると敵軍の物になってしまうが。


東部戦線では、ドイツ軍がコブノからロシア軍を叩き出している。しかし、この地域は支配する国により名前が変わっている。コブノも、コブレンツやカウナスと呼び名があるため、他のゲームでは違った表記になっている。
余談は兎も角、ミンスクの前面では停滞中。湿地帯へドイツ軍が移動力にものを言わせ踏み込んでいる。ここで足の速さが如実に出ている。AH軍の攻勢も、ロシア軍のハイスタックに押し返されている。ではないな。返ってないから。押し留められているが正しいのだろう。


バルカン戦線では、両陣営とも塹壕へ篭っている。戦力が拮抗していると、攻勢に出る事ができないのだ。こうして見ると、ベルリン~コンスタンチノープル鉄道が、AP陣営の間近なのが良く判る。このゲームでは表現されていないが、トルコはドイツから武器や食料、その他の物資も援助されていたため、この鉄道が分断されてしまうと、経戦能力が著しく減退されるのだ。


1916年1月が終わった全景になる。
ここでキャンペーンでの問題が発生した。キャンペーンゲームでは、選択ルールを全て使う事となっている。そこで「29.0項 不確定参戦」も入れていたのだが、これをそのまま適用すると、アメリカの参戦する可能性があるのだ。Uボートの無制限攻撃が行われると1915年中にも、それをしなくても1916年中に“1”のみで参戦する。これでは幾ら何でも乱暴だろうと、相談してアメリカの参戦は史実通りの1917年4月とした。すると、Uボートによる無制限攻撃が、何のリスクもなく行え、それも如何なもの、と意見も後ほど出る事となる。何せ、Uボートの無制限攻撃が有効であると、戦意の問題に絡んでくるのだった。とりあえず、それは後回しにして、この時点では、史実通りの参戦として、Uボートの無制限攻撃を行い、イギリス軍の補充を減らした。



『1916年2月』

天候は西部戦線で晴天、東部戦線で降雪。


ドイツ軍は大休止中。フランス軍はリール定期便をお休みし、角ヘクス(L10)へ向けて攻撃を行った。で、何?という程度の結果だった。多分、お互い1ユニットずつ除去して戦線を維持した模様。イギリスは戦力をバルカンへ送ったため、こちらも大休止。そして両陣営とも、要塞化運動実施中。こんな事するから、後々ユーロ鉄道が陥没するちゅうの。


イタリア戦線では、ドイツ軍の攻勢が続く。角ヘクス(S22)を奪う目的の攻撃を行った。ここへ進出できれば、手前のT22は補給切れでイタリア軍は放棄しざるを得ない上に、ベニスも危険な状態になるのだった。しかし、イタリア軍の奮戦により、攻撃は失敗。そこへフランス軍がイタリア軍の戦列へ加わり、弱体なAH軍へ圧力を加えるようになった。それに勢いを得たイタリア軍が攻勢を行い、消耗戦を仕掛けた。というより、このゲームの攻撃は、お互いに損害が出る消耗戦にしかならないのだが。


バルカン戦線では、両陣営とも兵力を注ぎ込んでいる。写真からでは、攻撃を行った様子は見られない。何故なら、ユニットのほとんどが塹壕へ入っているためだ。


東部戦線は、史実のような戦線に近づいている。そのため、ロシア軍の密集度が高まり、ドイツ軍も攻撃を躊躇する事となっている。しかし、北部ではリガ前面での機動戦が展開され、ロシア軍が追い詰められている。
攻撃を行うと多くの場合で、攻撃側に損害が出るようになっている。そのため、先遣隊の衝撃力が失われ、一次停止を余儀なくされる。その結果、防御側の増援が間に合い、戦線が停滞するようになる。この辺りも絶妙に第一次世界大戦を再現しているのだ。


こちらが1916年2月を終えた全景となる。
このターンの終了時点から、季節の変わり目(2・5・8・11月)に参戦の判定に加えて、戦意の判定も行うようになる。これは列国(正確には、補充が5以上の国。フランス、イギリス、ロシア、ドイツ、AH)が行う必要があり、その結果として補充が半減したり、自軍ユニットの脱走が行われたり、最終的には革命が発生して、降伏する事となる。この戦意の判定には、敵陣営に占領されている自国都市数、連合軍の海上封鎖が有効、そしてアメリカの参戦などが、DRMとして影響する。
実際、フランスはリールの占領と、アメリカの不参戦でー2DRMを受けていた。イギリスはアメリカの不参戦のみのー1DRM。ドイツとAHは海上封鎖のー1DRMだった。
この判定は敵方が行うのであるが、「You、来ちゃいなYO!」と、ダイズを振っていた。そのためか、どの国にも影響はなかった。ここで前ターンに触れた、アメリカの参戦が大きく関わって来て、一悶着起きたのである。
いや、正確には「どないすんべ?」と言えば、「仕方ねえから、このターンはこれでやって、次の参戦と戦意は不確定にするべ?」「んだんだ」と決着が着いている。まあ、皆さん大人=オヤジですから。
この写真を撮ったのが19:46で、一日目はここで終了した。セットアップの写真は10:53であるから、昼食時間を差し引くと実質8時間程度掛かったのである。1ターン25~30分なので、セットアップをもっと短縮する手立ては簡単で(事前に陣営を決めて、ソロを少しでもいいから行う)、それを行えばもう2~3ターンは進んでいただろう。次回の課題としたい。



『1916年3月』

天候は西部戦線では晴天、東部戦線でも晴天だったが、雪解けのため泥濘になった。


イタリア戦線では、ドイツ軍の攻勢により、イタリア軍は壊乱状態となる。なんてイタリア軍らしいんだ!
一気にベニスへと接敵する。それでも、攻撃側に損害が出る戦闘結果のため、先遣隊の衝撃力は失われている。問題なのは、ドイツ軍がこのイタリア戦線へ集中できないという事だ。ドイツ軍が持てる精鋭部隊を、この戦線へ送り込めれば、イタリアの打倒は難しい事ではないだろう。しかし、西部戦線での消耗戦と、もっと重要な東部戦線での進展があるため、それを許さないのだ。
APも負けていず、到着早々のフランス軍とイタリア軍で、AH軍へ反撃を実施。一部で撤退を強いる。狭い地域ながら、両陣営の激しい鬩ぎ合いが展開されている。


西部戦線では、両陣営とも戦線の強化に勤しんでいる。イタリアやバルカンで火が付いているのに、この強固な地域で戦端は開けないのである。要塞工兵が塹壕の強化を行っている。写真では分からないけどね。


バルカン戦線では、多国籍の烏合の衆が集まっている。この物言いはひどいのであるが、現実的にどちらも戦線で展望を開けないので、あながちハズレた表現とは言えないのである。


東部戦線では、一時的に捗っていたCPの進撃が、ロシア軍のハイスタックに喰い止められている。この戦線が長さ的に短いので、ロシア軍も兵力を密集させ易いのだ。これにより、精鋭のドイツ軍も攻撃を行うのに躊躇させる。-DRMが適用されると、予想外な損害を被ってしまうのだ。それはユニット単位での戦力が引くAH軍では顕著になる。現状ではブレストリトフスク、コブノ、そしてワルシャワを占領しているため、戦意のDRMがー3となる。上手く蓄積すれば、革命まで持っていけるのであるが、革命を考えないと、この戦線をロシア軍が維持するのは簡単なのである。それでも、ドイツ軍は前進し、リガへ接敵する。だからどうしたと言われそうだが、攻撃が出来るという状況が重要なのだ。


1916年3月を終えた全景となる。
戦線自体では大きな動きは無かったものの、各所で細かく激しい物語は噤まれている。


 
『1916年4月』


西部戦線では、ドイツ軍は前線の要塞化に勤しむ。主攻勢が東部戦線である上に、イタリア戦線でも攻勢を行っているため、こちらの西部戦線は小休止とならざるを得ないのだ。フランス軍による角ヘスクへの定期便は行われたのであろうか?リールへは、周辺のフランス軍が塹壕と要塞へ入っているため、行われなかったと推測される。では、角ヘクスのJ10はどうだろうか。攻撃を行える3ヘクスのフランス軍は、全て塹壕や要塞から出ている。しかし、ドイツ軍に損害が出ている様子は見られない上に、損害を受けたための援軍を編成していない。フランス軍もスタックの枚数が減っている様子は見られず、兵力の供給地であるパリも、騎兵軍団があるだけだ。騎兵軍団は防御に不向きなため、やはり攻撃に出たとは考え難い。要は、フランス軍は攻撃を受けない、もしくは受けても危険はないと判断して、塹壕や要塞へ入ってないだけなのだろう。
我ながら、「西部戦線異状なし」と書くだけなのに、延々と何をこじ付けしているのだろうか。


イタリア戦線では、ベニスへの攻撃が失敗。AAで17戦力が消滅してしまう。全く、-DRMはこのゲームでは恐ろしい結果を生むのである。これでイタリア戦線のドイツ軍は一気に消耗してしまった。そこへフランス軍が到着し、AH軍へ反撃を決行。そしてアルプス山脈へと踏み込んでいる。まるで、回転扉のように、ドイツ軍が進めば、逆の地点でフランス軍が進んでいる。それにしても、もう一押しすればイタリア軍が崩れると思われたが、ドイツ軍の兵力の失策と、フランス軍の到着のために、目論みは見事に頓挫してしまった。

バルカン戦線は両陣営の兵力投入による均衡で、攻勢は行われなかった。そのため写真は省略する。イギリス軍がゾロゾロとサロニカへ上陸をしており、その部隊が前線へ到着した程度だ。
さて、幾つもの戦線で大きな動きが無かった中で、惨事が発生した。


それは東部戦線で、ドイツ軍の突出部へロシア軍が攻撃を行ったのであるが、その結果がDXだったのだ。防御力と同等の戦力を失うため、優秀なドイツ軍の防御力と同じ戦力を除去となり、攻撃力が弱体なロシア軍に大きな損失となり、戦線に大穴が開いてしまったのだ。
この惨状は、APに危機感を募らせ、サロニカへの増派を強化する結果となる。私は西部戦線で詳しい模様を知らないが、ここまで攻撃側が損害を受けるのを見たことが無い。CP取り、大きなチャンスが発生したのである。


東部戦線の他の地域では、ドイツ軍の前進により、リガへの圧力が増している。ロシア軍は移動力の関係で、塹壕へ入る間もなく、ドイツ軍の攻撃を受けている。この辺りは、ドイツ軍の優秀性が現れるのだ。中央の湿地帯では、ロシア軍も展開し、ドイツ軍の侵入を阻んでいる。AH軍もロシア軍の大群に、攻撃を拱いている。


1916年3月を終えた全景となる。
ここでバルカン戦線の動きの無さを確認して欲しい。それでも、AH軍やイギリス軍の投入は留まることを知らない。続々と増強されているのだ。


『1916年5月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに泥濘。


この時点での戦闘の焦点であるイタリア戦線は、ドイツ軍が損害を受けた穴埋めに、AH軍が投入されている。ドイツ軍を送りたいのは、山々なれども、他戦線の状況が許さないのである。それを突いてイタリア軍が攻勢に出て、一角を占領した。この主導権が入れ替わるのも、絶妙に調整されているのだ。


西部戦線は異常なし。
フランス軍が角ヘクスのL11へ向け攻勢を行ったものの、
損害を出しただけだった。いつの時点か分からないが、AH軍も西部戦線の塹壕へ投入されている。これは安上がりな部隊で守らせるため。ユニット数が多いと、それだけ攻撃が成功する確率は低くなるのだ。ゲーム開始前から知ってはいたものの、このようなゲーム的なテクニックを使うのは如何なものかと躊躇していた。しかし、背に腹は変えられず、史実とは大きくかけ離れた事をしてしまった。
イギリス軍はバルカン戦線へ兵力を引き抜かれたため、お休み中。


バルカン戦線では、両陣営とも攻勢を行えない戦力であるものの、イタリア軍が延翼運動を行い、AH軍の戦線への浸透を狙っている。そしてサロニカへ続々とイギリス軍が上陸中。少々、多すぎるように思うが。


東部戦線では、前ターンでロシア軍の大部隊が壊滅したのを突いて攻勢を行った。リガとミンスクの中間地帯のロシア軍を突き崩し、分断を狙っているのだ。


1916年5月が終わった全景になる。
大きな動きはないが、一瞬たりとも気の抜けない鬩ぎ合いは続いている。
そしてターン終了時に各国の戦意を判定したところ、イギリスとフランスの補充が半減した。この報を受け、CP司令部は大いに沸き変える。
ところが、その喜びも束の間だった。アメリカが参戦したのだ。このターンに「やはり史実通りの参戦では、Uボートの無制限攻撃が大きい」との意見を取り入れたのである。これが早速影響するとは驚きであった。


『1916年6月』

天候は西部戦線、東部戦線ともに晴天。

西部戦線では、CP司令部はフランスもイギリスも補充が半減しているため、攻勢は行われないと判断していた。ところが、さすが攻め達磨のDublin卿である。補充の半減など物とせず、攻勢を行ってきた。

その大きな理由が、フランス軍に攻城砲が到着したのだ。これで通常の砲兵×3に攻城砲を加えて12火力となる。ここまで砲兵の戦力が高まると+2DRMを受けられ、さらに要塞ヘクスへの攻撃に攻城砲が参加していると+1DRMを受けられるのだ。そうなると、要塞の地形効果を受けていたとしても、最終的なDRMは+1となる。角ヘクス(L11)へ2:1の+1DRM、そしてBig Push Attackを宣言した。上の写真では、その戦闘の解決をするため、一旦フランス軍もドイツ軍も位置するヘクスからずらしている。尚、Big Push Attackは「大攻勢攻撃」や「強行攻撃」と和訳で表現されているが、どれも当て嵌まらないような気がする。そのため、対戦中も「Big Push!」と言って攻撃していた。


フランス軍のBig Push Attackは大成功を収める。一気に、ドイツ軍のフルスタックを一撃で壊滅させてしまったのだ。これには驚嘆しつつも、敵ながら天晴れであった。


こちらがターンを終えた西部戦線の写真になる。
フランス軍がドイツ軍の戦線へ喰い込んでいるのが分かる。ゲーム開始当初は、ドイツ軍の数が少なかったため、イギリス軍に幸運が傾いただけでドイツ軍の戦線へ食い込むことが出来た。ところが、一旦ドイツ軍の数が揃ってからは、運不運に関わらず、攻撃が成功してヘクスを占領する事はなかった。これにより、戦争は大火力を集中させ、強固な陣地帯を粉砕する技術が開発されたのである。ドイツ軍は失った兵力を戦線直近の国内へ再編成している。対するフランス軍は、パリに1個軍団しか再編成されていない。戦意が下がり、補充半減の影響が出ているのだ。


イタリア戦線では、ドイツ軍の投入が控えられたため、フランス軍及びイタリア軍の攻勢が起動に乗っている。成功率は高くは無いが、小オッズでも多数の攻撃で、AH軍に後退を強いている。Dマーカーが乗っているのが分かるだろう。


バルカン戦線では、イギリス軍とAH軍の増強が続いている。そろそろイギリス軍が攻撃に出たような気配がする。何故なら、イギリス軍の一部がいなくなっている模様だからだ。ブルガリア軍が塹壕へ入っているヘクスを、単独で4戦力のみと、攻撃を行ったところ。フランス軍との共同や荒地、それに塹壕の効果により、合計―3DRMとなって攻撃側損耗の結果を喰ったのだ。この損失が続き、イギリス軍の首脳を愕然とさせる事となる。それっでも、一部でブルガリア軍を後退させているので、成功はしている模様だ。


東部戦線では、ドイツ軍の攻勢により、ロシア軍は連続した戦線の構築さえも行えなくなっている。リガ、ミンスク、キエフと、それぞれの周辺にユニットの集団が固まっているのみとなる。


こちらが1916年6月の終わった全景となる。
やはり、東部戦線の崩されているのが、目に付くだろう。
ドイツ軍のフルスタックを壊滅させたと述べたが、フランス軍も多大な出血を負っている。それはサルジニア島の再編成待ち部隊を見れば分かるだろう。ここにはイギリス軍もある程度の部隊が送られている。西部戦線では攻勢に出てないので、やはりバルカン戦線で損害を被っているのだろう。
ちなみに、マップ右上と左上に補充を管理するトラックがある。小さくて分かり難いだろうが、AH軍の補充は使いきれないほどになっており、ドイツ軍も幾分かの補充を残している。これはAPが効果的な消耗戦を行えてない証左である。


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2011-05-20 19:08

『ガンズ:地獄への降下』1915後半

 『1915年7月』

天候は西部戦線も東部戦線も晴天。というより、6~8月は両戦線とも晴天だった。


AH軍と合流したドイツ軍の攻勢により、セルビア軍は壊走状態となる。やっぱ、ドイツ軍強いわぁー。オレが指揮してるんはないけど。セルビア軍の側面を突いたブルガリア軍は、イギリス軍とギリシャ軍、それにフランス軍の戦線に行き当たり、それ以上の前進を止められた。


東部戦線ではドイツ軍の攻勢により、ロシア軍の戦線が押し下げられている。そしてブレストリトフスクも包囲される。ロシアの鉄道線が少なく、その軍隊の移動力が少ないため、一旦機動戦になると対応できないのだ。そのためドイツ軍の攻勢が軌道に乗ったら後手後手に回らざるを得ない。しかし、ワルシャワに続きブレストリトフスクの失陥は、国内の不穏を増加させ、革命の足音を高くしてしまう。


イギリス軍が飛び込んだ突出部を、ドイツ軍は即時反撃。イギリス軍は死守で対抗する。そのためイギリス軍の攻撃は兵力不足により断念された。すると、友邦のフランス軍が攻勢。南部の山岳地帯ではADとAAで損害を被っただけだが、中央部ではDXとなる。遂に、ドイツ軍の戦線に突破口を穿ったのだ。しかし、フランス指揮官のDublin卿は、前進を見合わせる。「出血場とするのだ!」と意気軒昂!!
しかし、それは危機的状況の裏返しだったのだ。謎解きは次のターンとする。
他にイタリア戦線では要塞工兵がお家作りに専念。部隊もそれなりに送って強化している。


壮絶な殴り合いが続いている西部戦線。精鋭ドイツ軍による攻勢が軌道に乗っている東部戦線。各国が入り乱れるバルカン戦線。そのどれを取ってみても、手を抜けない白熱教室なのである。


『1915年8月』

西部戦線で、ドイツ軍は攻撃の手をフランス軍へと向ける。先のターンで大出血していたのだ。狙いは南部と中央部。南部ではそれほど戦果は出なかったが、中央部ではDXとなる。
それを見てDublin卿は「上等!!」と戦意旺盛の発言。
その勢いに押されたyagiデンブルグは前進を行わなかった。

それを確認したDublin卿は不適に言い放った。
「ぬかったな!yagiデンブルグ!いや、小yagiデンブルグと呼んでやる!そこを前進しておけば、我が要塞のベルダンは補給を切断されておったのだ!!ウハハハ」「ベルダンの危機は既にドイツ軍の攻撃が察知された時点で分かっておったわ。それを虚勢で乗り越える策略にハマってくれた物よのう!」
むむむ、シクジった。「このウラミ・ハ・ラ・サ・ズ・ベ・キ・カ」と言ってはみたものの、後の祭り。それにしても、私が裏をかかれるとは、さすがYSGAの猛者だ。


さすがのフランス軍も損害が積もって、このターンは攻勢を中止。それに入れ替わるように、イギリス軍が攻勢。それはAAで撃退される。損害が多いものの、ドイツ軍を休ませてくれない。


東部戦線では、ドイツ軍の平押しが続く。西部戦線の血みどろ加減から比べると、戦争の様相が大きく違う。
遂に、ブレストリトフスクの補給マーカーが②となる。次のターンに解囲しなければ、そしてそれは不可能に近いが、ブレストリトフスクは陥落だ。
ロシア軍は戦線を、機動戦の行えない湿地帯で2つに分けた。北部では、リガ~ミンスク前面での一大戦線を構築。南部では、レンベルグを先端とした突出部を形成する。


セルビア国内を南下していたAH軍の先遣隊へ、APの諸部隊が反撃を実施。しかし、多国籍の攻撃は、不利な修正を受け失敗。期待が大きかっただけに、AP司令部の落胆は隠しようが無かった。

西部戦線のグチャグチャな殴り合い。東部戦線の史実にロシア軍の撤退。そしてバルカン戦線での各国入り乱れての陣取り合戦。それを好機と見てかイタリア参戦。

これを察知していたAH軍により、強固な戦線を敷いていたため、「毎回やられ役のイタリア軍で大丈夫なんかい?」と敵ながら心配になってしまった。


1915年8月を終えた全景となる。
お、右に撮影を行っているカメラが見えますね。この辺りは、千葉会流の撮影フェイズを設けた結果です。よく見ると、皆さん立ち上がっていますけど、これも写真を撮っておるのです。
さて、西部戦線に東部戦線、バルカン戦線から、イタリア戦線まで加わり、戦争は1年を過ぎてヨーロッパ全土まで広がったのである。ゲームでは中立国はルーマニアを残すのみとなっている。




『1915年9月』

天候は西部戦線も東部戦線も泥濘。


西部戦線では前ターンの消耗で、ドイツ軍は小休止となる。しかしフランス軍は攻撃の手を緩めず、リールを攻撃。同地からドイツ軍を叩き出す。それでも前進しないのは、さすが狡猾なDublin卿である。
写真はリール要塞が空いている図。この重要さが理解いただけるだろうか?


そしてこちらが西部戦線のこのターンの終えた時点になる。②マーカーは本来なら、APの補給切れマーカーなのだが、これは要塞の建築具合を表している。
ドイツ軍は主攻勢を東部戦線へ向けているため、西部戦線では防戦手一杯なのだ。


フランス軍と共にイタリア軍も攻勢に出る。弱体な戦力ながら、手薄なAHへと押し寄せて、一部に後退を強いている。それでも脅威に思えないのは、ヘタリアの陰謀か。ユニットの種類は3-5-3なので、そこそこなのだが。


西部戦線とイタリア戦線とのグダグダ感から比べると、東部戦線の動きは激しい。ドイツ軍は史実の1916年ラインを目前としているが、ロシア軍のスタックが高くなっており、容易に突き崩せない。しかし、ドイツ軍の後方へ置き去りにされたブレストリトフスクは補給切れで陥落。これでロシア国内の都市は2つがCPの手中へと落ちた事となる。


バルカン戦線は各国入り乱れた戦いになっている。と言いつつも、どちらも攻撃に出る戦力はなく、突出した部隊の収容に追われている。


イタリアが参戦したと言っても、やはり大きな動きは無かった。それよりも、フランス軍の猛攻によりリールからドイツ軍が叩き出された方が予想外であった。ドイツ軍のよる東部戦線での進撃も、ロシア軍の密集度が高まって来るとともに、芳しくなくなっている。どこも先行き不明な戦況ながら、激しい鬩ぎ合いは続いているのである。



『1915年10月』

天候は西部戦線、東部戦線共に泥濘。


西部戦線は異常なし。特筆すべき件は何もなし。
ドイツ軍は増強に増強を重ねて、西部戦線を3枚スタックとする。これで簡単には崩されない。フランス軍もイギリス軍も一休みとなる。これまでの出血があまりにも多すぎたのだ。まあDublin卿にも、BlueBear伯にも、そんな事はお構いなしなんだろうが。
イタリア戦線はCPの増強と、イタリア軍の攻勢が続いている。イタリア戦線自体には到着していないものの、周辺の都市にはドイツ軍は待機している。


東部戦線では、ロシア軍のスタック枚数により前進が捗らなくなる。さすがに、ユニット単体の戦力は弱体なものの、数が集まればドイツ軍の前進を阻む事は可能なのだ。それとは違い、CPは南部・ガリシア地帯ではレンベルグへの圧力を強めている。AH軍だけでは、前進できないだろうが、ドイツ軍の到着により、遅まきながらも圧倒できる。


バルカン戦線でのセルビア軍の撤退…、敗走はセルビア国内に残されたスコピエ前面で停止する。到着したイギリス軍、前進したギリシャ軍、そしてフランス軍により戦線が構築されたのだ。対するCPも、ブルガリア軍、AH軍、そしてドイツ軍によりAP多国籍軍を封じる態勢は整っている。忘れてならないのが、アルバニアへ上陸したイタリア軍だ。何処にでも顔を出して、お零れ頂戴とは、さすがにイタリアの皆さんだ。


西部戦線は両陣営とも戦力的には強固な戦線となっている。これで要塞=強固な塹壕が完成していけば、攻撃はしばし休止となる。
東部戦線では、ドイツ軍の前進も滞って来ている。逆に、以前まではロシア軍の攻勢に悩まされた、AH軍の逆襲が効果を上げている。バルカン戦線は両陣営とも戦力不足で睨みあい。唯一、イタリア戦線では戦力的に凌駕しているイタリア軍が、鬼のいぬ間にと、AH軍へ攻勢を行っている。それでも捗りはしないが。



『1915年11月』

天候は西部戦線では晴天、東部戦線では泥濘。
ちなみに、西部戦線では一年を通じて晴天になる可能性はある。


イタリア戦線では、攻勢を続けて疲れが見えたイタリア軍へ、ドイツ軍が反撃を行う。イタリア軍の精鋭3-5-3が2個壊滅し、一気に戦力不足となる。それを見たドイツ軍は増派を決定。アルプスの手前で動員させている。


西部戦線では、“角地”となったリールの攻防戦が激しくなっている。これで第2次リール戦になるのだろうか。フランス軍とイギリス軍の攻撃により、リール要塞のドイツ軍は消耗を強いられている。


東部戦線は分厚いロシア軍の壁に、さすがのドイツ軍も前進が阻まれている。しかし、南部のレンベルグでは、角地の占領に成功し、同地のロシア軍を補給切れにする。
おっと、見忘れていたが、北部(写真では下側)では、ドイツ軍がロシア軍を突き崩している。これは前ターンにロシア軍が攻撃を行い、損害を被ったのだ。そこをドイツ軍が即時反撃を行い、戦果を得たのである。このタイミングはファルケンハイン松谷の絶妙な見切りだった。


バルカン戦線では、APの多国籍軍が戦線を構築し、AH軍&ドイツ軍を押し留めている。戦力的に拮抗しているため、両陣営とも塹壕へと篭り始めたのである。


このターンはAPが攻勢を西部戦線とイタリア戦線で行ったが、その両方とも大出血を出血サービスしただけだった。地中海に浮かぶ、サルジニア島を見て欲しい。天国に近いこの島では、壊滅して再編成待ちのAP部隊が犇いている。それでも、戦意旺盛なのは、敵陣営としては鬱陶しいのである。西部戦線では、一先ず安定を見たイギリス軍は、サロニカへ部隊を注ぎ込む。その戦力はこのターンで17戦力と、西部戦線のそれを大きく越える事となった。



『1915月12月』

天候は西部戦線が泥濘、東部戦線が降雪。

厳冬の東部戦線では、ドイツ軍の北伐部隊が、リガへ向けてロシア軍を大迂回している。ロシア軍は側面を食い破られたため、移動力の高いドイツ軍に対応ができず、後退を強いられているのだ。ミンスク正面では、ロシア軍のハイスタックを前に、さすがのドイツ軍も手が出せないでいる。中央の湿地帯では両陣営とも様子見。そして南部では、ドイツ軍の援護を受けたAH軍が、開戦当時にロシア軍に奪われていたレンベルグを奪還した(写真では空白ヘクスであるが)。これも包囲からの補給切れで、ロシア軍の守備隊を降伏させたのだ。これでAH国内の都市を全て取り返した事となる。


バルカン戦線では、雑多な部隊が睨みあいを展開中。
イギリス軍が前線へ到着したと言っても、ドイツ軍が対抗して塹壕へ篭っているため、手が出せないのだ。
写真を見て、その展開している国籍を紹介して行こう。
前線手前がCP陣営になり、右から黒の塹壕に入っている明るい灰色のAH軍、それに一部濃い灰色のドイツ軍がスタックしている。前線の手前にはAH軍の騎兵軍団と鉄道工兵が待機中。騎兵軍団は、防御力が弱体なため、攻撃に参加しなければ、前線への投入は控えられるのだ。目を左へ移すと塹壕線の切れ目付近には、ドイツ軍がブルガリア軍とスタック中。その先にはブルガリア軍単独でソフィア前面を防備。さらにはトルコ軍の姿も見える。
AP陣営はと言えば、アルバニアから前進したイタリア軍がモンテネグロに展開中。その隣にはセルビア軍が展開しており、その一部はイギリス軍とスタックしている。イギリス軍砲兵も前線へ到着し、その隣にはフランス軍が展開。そしてギリシャ軍は、仇敵であるトルコ軍の正面で陣を構えている。以上、両陣営で合計9カ国が、この狭い地域へ投入されているのである。


イタリア戦線では、イタリア軍は得るものの少ない攻勢を中止。戦力の再編成に追われた。対するCPは精鋭ドイツ軍、さらに砲兵も投入。前線まで達していないものの、後方で出番を待っている。砲兵を2個投入しているのは、その戦力が6単位で+1DRMを得られるからだ。このセットでの投入は、一つのパターンなっている。



西部戦線では、ドイツ軍は守るため、要塞の建築を急いでいる。そのため、AH軍の要塞工兵までも引き抜いて、現在電車でGO!中。フランス軍とイギリス軍は、戦闘の焦点となっているリールへの定期便を行った。しかし、砲兵に支援させて+1DRMを受けても、多国籍の攻撃によるー1DRM 、要塞の-2DRMを被るため、その攻撃は芳しくない結果であった。


こちらが1915年12月を終えた全景になる。ゲームが始まって1年分進んだのだ。一年を終えると、その時点でのVPを計算する。これはマップ上にある、目標都市(赤文字で書かれている)をCPがどれくらい占領しているかを数えるのだ。
目標都市も高々20なので、全て挙げてみよう。西部戦線では、アントワープ(ベルギー)、ディジョン(南部フランス)、エッセン(北部ドイツ)、フローレンス(北部イタリア)、フランクフルト(中部ドイツ)、リール(北部フランス)、メッツ(南部ドイツ)、パリ(説明なんかする気ねぇ)、トリエステ(AHとイタリア国境)、ヴェルダン(これも知らない人間はここまで読んでねえ)の10。東部戦線では、ブレスラウ(南部ドイツ)、ブレストリトフスク(中部ロシア)、ブカレスト(ルーマニア)、ブダペスト(中部AH)、コンスタンチノープル(トルコ)、キエフ(南部ロシア)、ケーニスベルグ(北部ドイツ)、レンベルグ(AHとロシア国境)、リガ(北部ロシア)、スモレンスク(中央ロシア)の10。写真にもこの都市は入れておいたので、確認して欲しい。尚、赤文字がAPの占領都市、青文字がCPの占領都市である。
1915年を終えた時点でのVPは11。あれ?記録では11になっているが、写真から計算すると12が正しい模様だ。どこで間違えたのだろうか。さて、シナリオの勝利条件で言えば11なら作戦的勝利であり、12であれば戦略的勝利となる。変則的なキャンペーンなので、自動的勝利が決定する13に達してないため、ゲームは続行となった。
そんな事を述べてみたが、ここでCPの勝利で終りましたと言っても、誰も納得しなかったろう。


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2011-05-20 18:32

『ガンズ:地獄への降下』1915年前半

『1915年1月』
 
さあ、リプレイへと移ろう。
ルールは4版、マップはDublin卿の力作の1.25倍版を使用。シナリオという訳ではないが、終盤まで経験したいため、1915年から始める事とした。一部、キャンペーンとしては合致しない部分もあったが、それは愛と根性で乗り越えた。
このゲームへの参加者は5名。陣営を箱にユニットを入れて決めた。最初に引いたのはファルケンハイン松谷で、東部戦線のCP(中央諸国)。次はもっちひ男爵で東部戦線のAP(連合国)。続いて私が西部戦線のCP。そしてDublin卿が西部戦線とイタリア戦線、BlueBear伯さんがイギリス軍と海上侵攻となった。
この結果を見て、目の前が真っ暗になってしまった。正面に“攻め達磨”のDublin卿とBlueBear伯が座るのである。この2人は酒席以外では相手したくないのだが。
しかし、私の懸念は大きく裏切られる事となる。何故なら、この次期に最もテクニックを要するのは、ロシア軍を担当する、もっちひ男爵だったのだ。
 
  
こちらがセットアップを終えた時点になる。
私はCPなので北から(左)写した写真となるのだが、せっかくなので、南から(右)も撮っておいた。以降は南北逆となるので了解いただきたい。
 
こちらが西部戦線。
スタックが密集しており、塹壕戦らしくなっている。
ちなみに、2というのが塹壕のレベル。FORTというのが要塞になる。このゲームでは要塞といっても、大規模な塹壕を現している。塹壕の扱いも少々珍しくなっている。ユニットが2移動力をあるヘクスで消費すれば、塹壕を作れるのだが、1レベルずつしか上げられない。レベルが上がっても、特に地形効果に変化はないのだが、3まで上がると、要塞工兵により要塞に改修ができる。そして塹壕に入っているユニットがいなくなると、塹壕は無くなり、ユニット数が少なくなれば、その分レベルが下がる。ヘクスに入っても、移動力が足りないと入れないのだ。塹壕の効果を受けるのは、戦闘ユニットが必要で、それらは歩兵や騎兵ユニットになる。補助ユニットである砲兵や工兵は含まないので、この写真のように一番上になっていても問題はない。
要塞にしろ塹壕にしろ、スタック中での一部のユニットが入ってなければ、そのスタックは地形効果を得られず。攻撃するためには、要塞からも塹壕からも出てなければならない。なかなか、文章だけでは理解は難しいところだが、実際に対戦してみると、攻撃に出た部隊が反撃に脆弱なのが上手く表現されている。
 
こちらが問題の東部戦線。
どこが問題かと言えば、ユニットの集中度を勘違いしている。もっと分かりやすく言えば、1個スタックはオッズを簡単に計算でき、良い鴨になってしまうのだ。
この時点のロシア軍は、それなりの部隊数を持っている。もっちひ男爵は、これを北部ドイツ軍とAH(オーストリア=ハンガリー)軍への攻撃へと集中させ、ポーランド突出部を薄くしてしまったのだ。これはゲームが始まったと同時に、発覚する事となる。
 
天候は東部戦線も西部戦線も晴天。しかし、東部戦線で降雪の後の晴天はぬかるみ=泥濘となる。
西部戦線のドイツ軍はフランス軍の方が数的に多いため、防戦一方になる。要は、配置から何もしないということだった。逆、ドイツ軍は精鋭部隊を東部戦線へ投入。ロシア軍とセルビア軍へと襲い掛かった。
 
ロシア軍の密集している北部では防戦に努め、ロシア軍の手薄な中部ポーランド突出部へと攻勢を指向した。それにはAH軍も参加し、ポーランドへ配置したロシア軍のほとんどを無力化したと言っていい。
 
上の写真をもう少し解説しよう。
ドイツ軍は4箇所で攻撃に出て、その全てに成功している。それは先にも述べたように、ロシア軍が単独で配置されたためだ。そのため、戦闘後前進により、赤円内のロシア軍は補給を切断されており、後退するしかない。Dのマーカーが乗っているのは、攻撃を受けて退却を強いられたロシア軍。この部隊は生き残ったものの、Demoal=士気喪失となり、攻撃には参加できないのである。ロシア軍としては、配置線に沿って部隊を置いていたのだが、ワルシャワのラインまで戦線を下げて強化すべきであったのだ。
 
CPはセルビアでも攻勢に出る。首都サラエボへ攻撃を行い、セルビア軍へ消耗を強いた。写真では、攻撃を解決するために、一旦ユニットを横へ置いてある。それなりの成功を収めたこの攻撃であるが、サラエボに隣接する1個スタック(A)を攻撃。そこへ前進すれば、同地を補給切れにすることが出来た。このようなテクニックは、経験しないと身に付かないのである。
 
こちらが1915年1月を終えた全景となる。
これでは配置との変化が見分け付くまい。では、戦線に分けて解説して行こう。
 
西部戦線では、フランス軍とイギリス軍が攻勢に出る。フランス軍は正面が3ヘクスの要塞を攻撃。このゲームの特徴なのだが、1つのヘクスを攻撃する際に、そこにある全てのユニットが攻撃を受ければ良く、組合せをどのようにしてもいいのだ。
このゲームに限らず、歴戦のDublin卿がフランス軍を運用し、額面戦力では劣るものの、多勢の物を言わせて波状攻撃を仕掛けたのだ。このターンでは、Aのヘクスにドイツ軍の3個ユニットが防備していた。そこへフランス軍が3ヘクスから攻撃を行い、1:1を2回と3:1を1回という組合せだった。この意味は、ドイツ軍のスタックをまとめて攻撃しては、オッズが1:1しか立たない。これでは要塞の地形効果(-2DRM)により、砲兵の支援(+1DRM)を得たとしても、最大DDの結果しか得ることは出来ない。DDでは、防御側は1ユニットを除去する事で、このヘクスを維持できてしまえる。
そこで防御ユニットをバラして、2回の低比率の攻撃と、1回の高比率の攻撃にすれば、低比率の攻撃では成功する見込みは低いものの、1ユニットのみのため成功すれば、防御側は退却を選択するしかない。これが2回続き、止めに高オッズが待っていれば、防御側に大きなプレッシャーを与えられるのだ。
正に「戦争は数だよ。アニキ!」が再現されているのである。
さて、このターンの攻撃は、ほとんど撃退されている。しかし、幾つかは成功したため、ドイツ軍のAヘクスは3個ユニットあった筈が、1個ユニットになっている。そして攻撃したフランス軍も、3個スタックが3ヘクスから掛かったのであるが、それぞれ2個スタックへと減っている。何より、攻撃に参加したフランス兵は、塹壕から飛び出しており、歩兵ユニットが一番上になっている。我が身を省みないエランが発揮されたのである。
それはイギリス軍も同様で、塹壕へと攻撃を仕掛けている。そして出血と共に撃退されている。
両軍の移動と攻撃を終えると、増援&補充がある。両陣営とも、失った部隊の再編成に追われている。しかし、ドイツ軍は数的劣勢を補うため、精鋭ユニットをバラして2線級部隊を編成している(赤円内)。スタックの上に4-6-4があるため分からないが、その下には3-5-3がスタックしているのだ。
 
見掛け上では動きのない西部戦線とは違い、東部戦線では大きくはないが動きを見せている。
ドイツ軍に戦列へ割って入られたポーランド突出部は、ワルシャワ要塞前面のラインまで戦線を下げている。そして戦意旺盛なロシア軍は、北部のケーニスベルグへ向けてと、南部のAH軍へ向けて攻勢を仕掛けた。しかし、それぞれ損害を被って撃退されている。ロシア軍のスタックのみが少なくなっているのだ。
 
東部戦線に含まれるセルビア戦線では、1ユニット失ったセルビア軍が、その部隊を補充として受け取っている。このままでは、実のない攻撃を、CPのセルビア攻略軍は続ける恐れがあった。
1ターンにこんなにかけてしまって、果たして終わりは来るんだろうか?
 
 
 
『1915年2月』
 
写真は1915年2月を終えた全景となる。
天候は西部戦線が晴天、東部戦線が降雪。
東部戦線は一年の内、半年は泥濘か降雪だかで、移動に制限がある。この天候による移動力の減退も絶妙に出来ている。ユニットの移動力は精鋭の5-7-4や4-6-4では4。2線級の3-5-3や2-4-3では3となっている。天候が悪い季節は移動力が減退するのだが、泥濘でー1され、降雪では半減する。精鋭の4移動力では泥濘のターンでも、3移動力を発揮でき、鉄道に乗降しても1ヘクスの移動が可能だ。しかし、2線級の3移動力では、泥濘の時期は2移動力しか発揮できず、鉄道に乗り降りしただけで、そのターンを終える事となる。この僅か1ヘクスの差で、遠距離を移動してから、戦線に投入できるかどうかの違いが生じて来る。特に、鉄道網の整備されていない東部戦線が戦場のロシア軍は、多くの2線級部隊を抱えるため、急速な部隊運用ができず苦戦するのだ。
ここで説明しておくと、鉄道は乗ったり降りたりするのに1移動力を消費し、鉄道に乗車中は1ターンに晴天と泥濘で24ヘクス、降雪で16ヘクス移動が可能となっている。
 
西部戦線のドイツ軍は、攻勢の主軸が東部戦線へ移っているため、防御を行うべく前線へ部隊を送り込んだだけだった。先の通り、4-6-4をバラして3-5-3を投入したため、移動力が足りず最前線には投入できないヘクスが多発した。その届かないヘクスへ、別のヘクスから部隊を回しため、見た目は変化に乏しいのだが、細かい動きが多くて忙しいのだった。
フランス軍もイギリス軍も、ドイツ軍にロシア軍への攻勢を集中させないように、猛攻撃を行った。
フランス軍による、“月間要塞攻撃エラン第2号”は、1:1の攻撃でAAと、3:1の攻撃でDDとなる。ドイツ軍はまたもや1ユニットを除去して、最後の1ユニットにより要塞(A)の維持に成功する。フランス軍の損害が、ドイツ軍のそれより多くとも、敵軍へ損害を与えただけで「よっしゃ!!」と大盛り上がりだった。こんな相手に2日間も対戦したのだから、疲れるって。
フランス軍を撃退したドイツ軍であったが、イギリス軍には一角(B)を崩されてしまう。攻撃正面が僅か1ヘクスのため油断したのだ。オッズ的に上がらないため、1ユニットで防御させていたが、これは失策だった。これには西部戦線のドイツ軍司令部は大きな衝撃を受けてしまった。僅か1ヘクスと笑うことなかれ。この戦線で両陣営は3年間に亘る長期間を対峙していたのだ。思わず、喰い込まれた時点を撮ってしまったのが、上の写真になる。
 
こちらがターン終了時の西部戦線だ。
両陣営とも失った部隊を再編成し、自国の都市へ配備している。ちなみに、イギリス軍はロンドンで編成されている。ドイツ軍は4-6-4をバラして3-5-3を多数編成しているのが見て取れる。「戦争は数だぜ、アニキ」なのだ。
ドイツ軍は砲兵を編成し、西部戦線への投入を決定。これまでの砲兵は、全て攻勢を行っている東部戦線へ投入されていたのだ。しかし、歩兵の補充と編成替えだけでは、西部戦線の消耗戦を耐えられないとの判断だ。
 
東部戦線では、ロシア軍が塹壕へ入っていないため、ドイツ軍やAH軍の攻撃が威力を発揮し、征伐が進んでいる。ここで、また移動力の解説をしなければならない。塹壕に入るのに、2移動力が必要と以前に説明してある。精鋭部隊の4移動力を持っていれば、2ヘクス移動してから、塹壕へ入れる。しかし、2線級部隊の3移動力では1ヘクスしか移動しない場合でしか、塹壕へ入れないのだ。これが悪天候で移動力が減らされている場合に、脆弱性が顕著となるのだ。
そこを突いて、ポーランド国内でCPは攻勢を行ったのだ。ロシア軍も決死の抵抗を行ったが、多くは高オッズの攻撃を受け壊滅する。西部戦線ではBDやDDの結果(BBとBDの前にある“B”と“D”は両陣営と防御側。後の“D”は士気喪失。1ユニット除去か退却する)ばかりだが、東部戦線ではDX(実質的なExchange)やDE(説明はいらないでしょう)などが多発され、戦争の違いが実感できるのである。
戦意旺盛のロシア軍は攻撃を決行。
山岳地帯でAH軍を後退させる。しかし、その朗報の直後に15戦力を失うという惨劇が発生。AP司令部に衝撃を走らせる。記録にはないが、戦列へ割って入った(A)ドイツ軍のスタックへ、ロシア軍のZOCに囲まれているのを見越して攻撃をかけたのであろう。その結果でDXを受け、一気に戦力を失ってしまったのだ。ワルシャワへの脅威を減らし、ドイツ軍の戦力も削るのを狙ったのだが、恐るべき損害を被ってしまい、翌月の防衛計画に危機的状況を来たしたのである。
ちなみに、セルビア戦線はあまり戦果が上がらないため、ファルケンハイン松谷は大休止を宣言した。
 
 
 
『1915年3月』
 
 天候は西部戦線で晴天。東部戦線で泥濘。

こちらが1915年3月を終えた全景となる。
ちなみに右下に写っているのは、BlueBear伯が持ち込んだキング・ジョージⅤ。食玩でこれほどの完成度なんですから、スゴイのであります。
では、細部に触れて行こう。
ドイツ軍は遂に西部戦線で攻勢に出る。部隊をバラして増やしたためと、何より頭に来ちゃったんですよ。だって、BlueBear伯にせよDublin卿にせよ、攻撃が成功しようが失敗しようが、お構いなしで楽しそーにやってんですよ。それをこっちは必死こいて、部隊を回すだけなんて、ずるいぢゃなくないですか?ええ??みんなもそー思うでしょ?
 
で、鬱陶しいフランス軍と、生意気なイギリス軍の突出部へ反撃を決行ぉ!
フランス軍へはADとBDでツマンネー結果だったが、イギリス軍へは…。こっちもBDか。それでもイギリス軍の精鋭5-7-4を葬る。この結果は後々イギリス軍へ大きな後悔をもたらす事となる。何故なら、この5-7-4をバラして4-6-4へすれば、1個ユニット多く運用できたのである。絶対的な部隊数の足りないイギリス軍としては、失ってはいけない部隊だったのだ。こちらは、そんな事を少しも考えませんでしたが。
 
部隊数が足りないイギリス軍は一休みとなる。その代わりと言っては何だが、フランス軍が攻勢を行い、ドイツ軍へ消耗を強いる。そんな事言われても、写真に変化は見られない。しかし、良く赤円内を見て欲しい。ドイツ軍のスタック数が1個しか無くなっている。先の通りに、1ヘクスを1個だけでは、敵の攻撃を受けて戦線に喰い込まれてしまう可能性が高い。そのため必ず2個はスタックさせるのを心掛けていた。それが1個になっていると言う事は、フランス軍(しかも高いスタックを見られる)に攻撃を受け、戦線を維持するために部隊をすり減らしたのである。
 
東部戦線では、ロシア軍の弱体化を突いて、攻勢を続ける。と言っても、ドイツ軍もDXにより少なからず損害を受けていたため、ポーランド突出部の南部でのみに攻撃を絞り、ワルシャワ要塞の包囲に留めた。
 
東部戦線の南部では、ロシア軍も攻勢を行い、山岳でAH軍を押し込んだ。そのすぐ北部ではAH軍が攻勢を行い前進しているため、この周辺は両軍が入り乱れている(A)。
ターンを終えて、ワルシャワ要塞は補給切れになっている。しかし、自国の都市なので、この状態は3ターン続けてもOK。あれ?正確には2ターンか。3ターン続けたら除去になるから。周囲のロシア軍は、かなり薄くなっているため、解囲は無理であろう(B)。
 
 
『1915年4月』
 
天候は西部戦線も東部戦線も泥濘。
 
写真は1915年5月を終えた時点。
やはり、この大きさでは間違い探しだ。では細部へと移ろう。
 
西部戦線では、泥濘で部隊の到着が遅れ、ドイツ軍は“西部戦線異常なし”となる。そして遅ればせながら要塞の建築を始める。要塞の建築方法は二通りあり、1つは要塞工兵が3ターンをかけてせっせと作る。もう1つは、塹壕レベルが3のヘクスへ要塞工兵が入り、要塞へと増強する。2つ目の方が時間的に早いのであるが、部隊数の関係で現状では出来ない。
フランス軍は攻撃の手を緩めず、攻勢を続行。ドイツ軍の3個ユニットを飛ばす。しかし、フランス軍も9個ユニットを失う。此処まで来て、戦争は統計の段階へと変質している。写真を見て貰えば、ドイツ軍の戦線に空きのヘクスや、1レベルの塹壕ヘクスが見受けられるだろう。それらにはドイツ軍のユニットが最低2個は置かれていたのだ。それをフランス軍の猛攻により、磨り減らされてしまった。フランス軍の損失も恐ろしいくらいだが、同盟国のロシアを助けるためには、多少の出血は…。いや、戦線さえ維持できてドイツ軍に損害を与えられれば、どんな出血も覚悟の上なのだ。
 
東部戦線ではドイツ軍の攻勢が続く。ワルシャワは灰色の兵隊に囲まれている。要塞の強固さに、直接の攻撃は行われず、補給切れによる壊滅を狙われている。②のマーカーは、補給切れが2ターン続いたということ。このマーカーがターンの頭に置かれて、そのままの状態で自国の都市以外のヘクスでターンを終えた場合に除去される。ロシア軍もAH軍へ向け攻撃を行って山岳地帯で前進している。ますます入り乱れが激しくなっている。ワルシャワの東方にはブレスト・リトフスク要塞が、ドイツ軍の前進を待ち構えている。
ちなみに、左の赤線は1916年の開始ライン。史実の戦線へと向け、ドイツ軍は競争しているようだ。
 
 
『1915年5月』
 
天候は西部戦線も東部戦線も泥濘。

西部戦線では、ドイツ軍が攻撃で損耗したままのフランス軍とイギリス軍へ攻撃を行う。しかし、BDを連発し「お互い1個失う」ため戦果を得られたとは言えない。
イギリス軍は小休止したのだが、フランス軍は攻撃を続行。DXの結果を得て、ドイツ軍に出血を強いる。
このDXという戦闘結果も、補充と密接に絡み合い絶妙になっている。DXは以前にも触れたようにExchageと同じで「攻撃側は防御力と同等の戦力を失う」になっている。ユニットは防御力が攻撃力に比べて大きくなっている。補充は攻撃力で良いため、ユニットの質が引くければ低いほど、それだけ「安上がりに守れる」のだ。具体的に言えば、5-7-4では1.4、4-6-4では1.5、3-5-3では1.6、2-4-3では2と補充ポイントで得られる防御力が違ってくるのだ。そう、正に戦争は統計の部類に入っているのだ。そんな事を言われても、最前線で死に直面する兵士達には、何の慰めにはならないが。
 
見た目には動かない西部戦線と違い、東部戦線では大きな動きがあった。
ドイツ軍の攻勢により、ロシア軍をさらに押し込んで行った。西部戦線では見られないDEを連発しているのだ。しかし、ドイツ軍も損害が多く、西部戦線での出血が暗い影を濃くしている。
血まみれのドイツ軍と違い、AH軍はほとんど損害を受けない。それでいてプリミシェルの奪還に成功。これは開戦当時に奪われたAHの都市である。ようやく都市の占領という果実を得られた。
 
そして、APのターンが開始されると同時に、ワルシャワは包囲レベルが③まで上がり、このターン解囲を成功させないと、篭っているロシア軍は除去となる。しかし、ワルシャワ周囲はドイツ軍で埋め尽くされ、救出すべきロシア軍も戦線を構築するのが精一杯となる。
 
ロシア軍はワルシャワを諦めて、戦線を後退させる。そのため健闘していたワルシャワ守備隊は、糧食と弾薬の不足のため、ドイツ軍の軍門に下る事となった。CPは、ゲームを開始して始めてAPの都市を占領するという戦果を得たのである。嬉しいので、ロシア軍が無くなった当時の写真を撮ってしまった。
 
こちらがターンを終えた時点の東部戦線になる。
ドイツ軍の先遣隊がブレスト・リトフスクのラインまで達しているのが分かる。山岳地帯で健闘していたロシア軍も、ポーランド平原での後退に攻勢を断念。撤退を行っている。
 
ワルシャワ陥落の報に、危機感を持ったAP司令部は、ロシア援護のため、サロニカへイギリス軍派兵を決定。その一部が上陸を開始する。それはCP司令部へ衝撃を与えたのであるが、もっと戦局を揺るがす事態が発生する。ブルガリアがCP側で参戦したのだ!
この報は大いにCP陣営を沸きかえらせる。ブルガリア軍が背後を突けば、前線で健闘しているセルビア軍は崩壊するのだ。
しかし、天は片方には味方しない。ギリシャがAP陣営で参戦したのだ!
この参戦が無ければ、サロニカへ上陸したイギリス軍は身動きが取れず、遊兵となったのだ。またもや、戦況は変わり、今度はブルガリアがギリシャ方面からの進出に対応せねばならなくなった。ここまで忘れ去られていたのだが、トルコはゲーム開始当初(正確には1914年11月)から参戦している。そしてバルカンでの危機は、直接トルコへと飛び火するのである。それにしても、ギリシャはサイの目が1でAP、5か6でCPにて参戦したのだ。何やら、後々聞くと東部戦線を担当した松谷さんは、YSGAでは“不運を呼び込む松谷ダイズ”として有名だったらしく。実際、この後に次々とCP指揮官が海老反る結果をみさせる事となる。
 
こちらが戦雲急を告げるバルカン戦線。
手前で薄い灰色がAH軍、その下には濃い灰色のドイツ軍もある。あれ?あると思ったけど、黒いのは鉄道端マーカーだったか。ドイツの皆さんは東部戦線送りになっている模様。
その向こうで白いAP塹壕に潜り込んでいるのがセルビア軍。見えにくいけど、薄い茶色。
その左上に明るい青がブルガリア軍。ソフィアに終結中。
中央最上部に見えるのがサロニカへ上陸した緑のイギリス軍と、それに合流したベージュ色のギリシャ軍。
忘れてならないトルコ軍も、サロニカの左でCPの塹壕に入っているのが見えている。トルコ軍の色はブルガリア軍より薄い青になるのかなぁ。ちょっと自信がない。だって、ほとんど出番が無かったんですもの。
 
こちらが1915年5月を終えた全景。
どちらも外交的な綱引きを行い、史実通りに近いタイミングでの参戦を得ている。一応、イタリアの参戦も見越してAH軍がアルプスに展開している。
サルジニア島に送られているのは、壊滅したユニット群。APのフランス軍とイギリス軍は壊滅したユニットをここへ送っていた。ロシア軍は右上でターントラックの向こうにチラリと写っている。その盤外で管理していた。
 
 
 
『1915年6月』
 
天候は西部戦線、東部戦線共に晴天。
たまには東部戦線から見てみよう。
 
ドイツ軍の猛攻でロシア軍は11個ユニットを失う。ここに来て、ロシア軍は攻勢を断念。戦線の縮小を行った。写真を良く見てもらえば分かるだろうが、ロシア軍にも2-4-3の部隊が増えている。これは精鋭の3-5-3をバラして数を増やしたのだ。この3-5-3と言えども、列国では2線級であり、2-4-3などは小国の軍隊である。それも2個スタックなので、脆弱さは西部戦線と比べられない。さらに注視すると、2個スタックで1個が砲兵であったり、騎兵であったりするのが見える。砲兵の下には歩兵が置かれている事が予想されるが、このスタックでは退却の結果を受けると砲兵を失い、両翼を抜かれて補給切れにされても同様な事態が置きうる。損失が膨らむスタックなのだ。そして騎兵は防御に不向きで、その防御力が僅か2しかない。この部隊が最前線にいると、いい鴨になってしまうのだ。
それでも、損失が嵩んでいるロシア軍には、この布陣が精一杯なのであった。
 
目まぐるしく上陸と参戦を受けたバルカン戦線では、大きな動きがあった。AH軍の攻勢により、ベルグラ―ドの側面が突き崩され、同地の補給を切断されたのだ。さらにブルガリア軍がセルビアへ侵攻。側面を脅かす。
この難局に、AP司令部はベルグラードの放棄を決定。セルビア軍を後退させ、後方の(あ、名前がわかんねえ)都市で戦線を構築する事とした。セルビア軍の撤退に、イギリス軍が側面を援護。さらに、ギリシャ軍もブルガリアへ侵入し、圧力を加える。そしてサロニカへフランス軍も上陸。正に、多国籍軍となる。
CPはAH軍に正面からの攻勢を行わせ、側面はブルガリア軍、さらにはトルコ軍をも投入して対抗させる。ブルガリア国内で展開中の薄い青のユニットが2種類あるのが分かるだろうか?
トルコ軍は史実のように、ガリポリへ上陸されてもウザイので、防御は固めている。
 
西部戦線では、イギリス軍が他戦線へと投入されたとの報を受け、ドイツ軍は同軍へ攻撃を行った。しかし、結果はADでドイツ軍のみが損失を受ける。そこをイギリス軍がすかさず反撃。角ヘクス(A)の占領に成功する。何たる事か!
フランス軍も“月間エラン”を行い、ドイツ軍に損耗を強いた。いや、両軍に“D”のマーカーが乗っているユニットが、幾つも見られる。それはフランス軍が1ヘクスを複数の攻撃を行い、BDの結果で1ユニットが退却した証拠だ。そしてスタックの薄さを見ると、フランス軍もそれなりの損害を受けているのは間違いない。
 
そして全体図になる。
やはりロシア軍の統制が取れた戦線が印象的だ。逆に、バルカン戦線では両陣営が入り乱れている。西部戦線は、半年をかけてAPが2ヘクスを占領した。それでも決して「西部戦線異状なし」とは言えない死闘が続いている。
イタリア戦線では、AH軍が要塞の建築を開始した。セルビア軍の一部もルーマニア国境に展開している。
 

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2011-05-20 17:47

『ガンズ:地獄への降下』序

何時ものように、色々と駄文を考えていました。
しかし、あまりにも対戦自体が面白くて。グダグダ続けたら、その魅力を失うだけと判断しました。
それで何をどう書けば、このゲームと対戦の魅力を伝えられるか、随分と悩みました。
写真をアップするだけでは、間違い探しでしたね。はっきり言って。かと言って、ターン毎に記事を挙げて行くにしても、「ヘクス〇〇をドイツ軍が占領したが、フランス軍が取り返した」や「ヘクス〇〇を攻撃したが失敗した」などとなり、これでは対戦時の熱気は伝わりません。
そこで1年を半年に分けてとか、季節に分けたらとか、考えまして。ガンズは季節の変わり目に、戦略的な動向が変わるから。しかし、ですね。書き始めたら、トンでもない文量になつてしまつたですよ。これがまた。で、あまり深く考えずに、思いっ切りやる事にしました。読んで面白いがどうかは、そっちで判断してください。
 
次にこのゲームの魅力を語りたい。ついでに口調も変える。
それは沢山あり、プレイヤーによっても違うと思うが、私に取っての最大の魅力は、戦争の変貌を体感できるという事。
19世紀以前は、特別に訓練を受けた小数な人間が、一人の英雄に率いられ。一つの大きな戦いが戦争の趨勢を決めていた。ところが、20世紀直前に、素人が持っても戦果をもたらせる強力な兵器が開発され、それを供給できる各国の生産力が上がり。兵士を徴集する各国の人口も高まり、その組織も完成され、兵士達を戦線へ送る鉄道も網羅していた。
第一次世界大戦も、少数の精鋭な兵士達による機動戦から始まる。それが素人兵士の防御力が増大した事により、攻撃の多くは失敗を続け頓挫。生き残った精鋭と、素人と組み合わせて、部隊を水増しして戦線は膠着。第一次世界大戦の代名詞と言える塹壕戦へと様相を変える。塹壕戦は攻撃側の悲惨な虐殺となり、戦闘での勝利が見込みとなったため、様子見していた中立国を自陣営へ引き入れるべく、外交戦を展開。多くの国々を巻き込んで行く。そして多大な出血の後に、新兵器と新戦術の開発により、塹壕戦に終止符を打たれる。これは後に電撃戦として昇華される。しかし長期間の消耗戦は列国を蝕み。各国の命運すら奪って行ったのだ。これらは正に総力戦であり、それをオーソドックスなルールを組み合わせただけで経験でき、しかもプレイヤーにも消耗を強いるゲームを私は他に知らない。私は対戦を終えた翌日、激しい運動をしたように、喉の渇きと疲労感が止まらなかった。しかし、それらは良き戦友達と、死闘を演じたという快い高揚感に包まれていたのである。
 
ここでガンズ抗争の登場人物を紹介しよう@フィクションのため、ユーモアでの増強をお願いする。
Dublin卿
AP陣営のフランスとイタリア担当。YSGA会代貸。YSGA会随一の策士。現在、流行のバタイユ村はかつての本拠地だった。得意技は、塹壕ギリと老親衛隊突き(サドンデス負けの危険あり)。

 
BlueBear伯

AP陣営のイギリス、海上侵攻担当。YSGA会会長補佐。YSGA会の誇る武闘派。過去、YSGA会が繰り広げた抗争では、毎回先陣を切り大暴れ。相手を震え上がらせ、勇名はこの業界に鳴り響いている。得意技は、袈裟切りチョップと垂直落下式D-Day@ハシモトー(≧□≦)!
 
もっちひ男爵

AP陣営のロシア、バルカン担当。YSGA会若頭。YSGA会の大番頭である。YSGA会が数々の抗争を乗り越えられたのは、この若頭が潤沢な資金を用意できたからだ。得意技は、超滞空式フリートとマシンガンチョップ@コバシー(゜∀゜)!

 
ファルケンハイン松谷
CP陣営の東部戦線担当。フリーでニヒルな殺し屋。YSGA会のコロシを一手に引き受けてはいるが、会とは一線引いている。得意技は、ナイフ。特に、相手の振り向きざまに刺す手口は芸術に近い。小用の後で、「なんじゃ!こりゃー!」となった犠牲者は多い。

 
yagiデンブルグ

CP西部戦線担当。傘下にちはら会、茨城会を持つ、広域ウォーゲームサークル千葉会代表。浪費癖が祟り、地位を追われかけた。今回はBlueBear伯の挑発に乗り、積年の因縁を晴らすべく単身YSGA会へと乗り込んだ。得意技は、毒霧と凶器攻撃(反則)
 
番外、idioten会長
YSGA会会長。世界に冠たるYSGA会を率いる。今回の抗争では、上田城に手間取り、戦いに参加できなかった。この遅参が問題となり、後々会長人事での暗闘が勃発。多くを粛清し、その地位を保つ。得意技はザンゴウ固めと捻り式バックドロップ。「オレはかませ犬じゃない!」は社会現象となった。

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