『1917年7月』
天候 西部戦線:晴、東部戦線:晴
西部戦線・イタリア戦線・バルカン戦線ともに異状なし。両陣営とも塹壕の奥深くへ篭っている。イタリア戦線ではCP陣営で防備の部隊を残し、転進のため鉄道へと移動する。
これらの戦線と違い、ルーマニアと東部戦線ではロシア軍の攻勢続く。戦線の動きは見られないが、両陣営ともDマーカーを抱える部隊が多数存在し、ロシア軍が塹壕から出撃している。それらの状況で攻勢が行われえているのが判明するのだ。
ドイツ軍で突撃歩兵創立。これらの部隊は打倒ロシアのためブレストへ配備さる。イギリス軍はRTC(英国戦車軍団)を創立。これらの部隊は海輸のためロンドン波止場に集結。これらは地中海戦線へと送られる模様。
『1917年8月』
天候 西部戦線:晴、東部戦線:晴
西部戦線では、フランス軍による攻勢が継続される。ドイツ軍は様子見。
イタリア戦線では、態勢を立て直したイタリア軍による攻勢再開される。この時点では戦線の動きはないが、両軍にDマーカーが散見され、成果も戦果もなくWWⅠらしい展開である。
地中海戦線・ルーマニア戦線ともに異常なし。地中海戦線ではイギリス軍の増強。何よりRTCの投入が見受けられる。ルーマニア戦線では、ドイツ軍が増強される。
東部戦線では、遂にドイツ軍の攻勢が開始される。
目標はブレストリトフスクである。
突撃歩兵と砲兵の集中投入により、ロシア軍の一角を崩している。ロシア軍も攻勢を中断し、塹壕を強化している模様。
ターン終了時に於ける戦意フェイズの結果、列国に脱落の兆しはない。
『1917年9月』
天候 西部戦線:晴、東部戦線:泥濘
西部戦線では、フランス軍による攻勢続く。一連の戦闘による荒廃は凄まじい様相となる。カレーの港にアメリカ軍が上陸している。色もフランス軍に似ており、すぐに塹壕に入ってしまうため、分かり難いんですけどね。
イタリア戦線では、依然としてイタリア軍の攻勢続く。そして戦線に動きと、イタリア軍のスタック数により、WWⅠらしい戦闘であるのが見受けられる。
地中海戦線でAP陣営の一大攻勢実施さる。
4ヶ月振りに、AH軍の3個スタックへ「Big Push!」の決行。しかし、RTCを先頭に押し立てた攻撃は、峻険な地形に阻まれ頓挫。結果はAAとAP陣営のみの痛手で終わる。そりゃ、戦車をバルカンの山へ持って行ったらダメでしょー。ガリポリの側面を援護していたイギリスMEFは撤退。泥濘で補給が届かなくなったのだ。
ルーマニア戦線は異常なし。両陣営とも塹壕の奥深くへ潜り込んでいる。ドイツ軍が充実しているように見受けられるのに、この戦線で攻勢を行っていないのは、東部戦線の損害を見積もっているからである。
東部戦線では、ドイツ軍の攻勢が軌道に乗る。
また1ヘクスを占領。突撃歩兵と砲兵を投入している以上、攻撃を受けたロシア軍は壊滅したと思われる。
『1917年10月』
天候 西部戦線:晴、東部戦線:晴
西部戦線では・・・、フランス軍だけでなくドイツ軍が攻勢を行った模様。というのは、ドイツ軍のスタックが塹壕へ入ってないのだ。その割には前ターンではフランス軍に隙が見受けられなかったので、この状況は理解できない。しかし、突撃歩兵を使った攻撃を西部戦線で行った記憶があるため、おそらくこのターンに実施したのであろう。
イタリア戦線では、イタリア軍の攻勢続く。今回はCP陣営のスタックを削っているため、成果を上げている模様。WWⅠはこんなモンさ。
地中海戦線では、再度APの一大攻勢が実施さる。「Big Push!」の決行により、前ターンに屍の山を築いたヘクスの占領に成功。CP陣営としては、部隊の損耗により耐える事もできたが、攻撃正面が3ヶ所ある地域の放棄を選択したのである。何より、こんな山の中は地名なんかわかんないよ。
ルーマニア戦線では、一年以上中断を知られていたSUD軍による攻勢再開。ルーマニア&ロシア両軍を削っていく。
東部戦線では、完全に主導権はCP陣営へ移っている。
ドイツ軍は攻勢により、さらにロシア軍の戦列を押し込める。ロシア軍は防戦一方でありながら、十分に統制は取れている。それは一列目の後退を許しても、二列目の戦列を塹壕で強化している事でわかる。敵ながら天晴れな統制力である。さすがDublin大公、難敵だ。
『1917年11月』
天候 西部戦線:泥濘、東部戦線:雪
西部戦線では、フランス軍が「戦線マーカー」を使い始めた。これは1ヘクス当たりに、3個軍団+砲兵+戦車と6個以上になり多いため、スタックが崩れてしまう危険がある。それを緩和するため、マップの西端と東端に「戦線ボックス」と、それに適用した「戦線マーカー」がある。これまでは必要ないと見送られていたが、実際にフランス軍指揮官が使ってみると、かなり便利と判明。これ以降、西部戦線のドイツ軍でも使用される事となる。
さて、西部戦線の戦況であるが、フランス軍の定期便のみ。ドイツ軍が削られ、その損失分がルール地方で再建されている。
イタリア戦線では、またもやイタリア軍の攻撃が成功。C陣営の一角を押し込んでいる。
地中海戦線では、イギリスMEF指揮官のBulebear元帥「折角送った戦車が山へ入れないから悪天候はやめてくださいよぉー」の悲鳴が上がる。いや、山の中に戦車を持って来るのが間違ってるから。それでもイギリスMEFの攻勢激化。AH軍を壊滅させ前進に成功。しかし、セルビアのスコピエ市を攻撃態勢の整うまで、後半年はかかる。それから北上してもベルグラードを視野に入れるのは一年後か二年後か。戦争が終わっとるぞ。
ルーマニア戦線では、最後のガラツィをSUD軍が占領。ルーマニアが崩壊し、首都を失いながらも勇敢なる抵抗を続けていたルーマニア軍は降伏に至ったのである。
東部戦線では、またしてもドイツ軍の攻撃により、ロシア軍の一角が崩されている。そしてスタックに減じた様子が見られないため、ドイツ軍に損害はない模様だ。
そしてターン終了時の戦意フェイズの結果、その列国も戦意に影響はなかった。
『1917年12月』
天候 西部戦線:雪、東部戦線:雪
西部戦線で両陣営の主要な部分は、「戦線ボックス&マーカー」を使い、勝手が良くなっている。やはり、便利みたいね。
さて、戦況であるが、フランス軍の定期便と、ドイツ軍の補充で終始する。正に、西部戦線異状なし、である。それでも沢山の戦死者は出ているんだけどね。
イタリア戦線では、またもやイタリア軍が地歩の確保に成功。地道ではあるが、このような継続した攻勢が重要なのである。
地中海戦線では、イギリスMEFが前進。いや、パスグロ的に言えば、国籍は違うものの、「ARMY OF ORIENT(かのゲームではフランス)」に近い。とにかく、AP陣営は攻勢を継続し北上。へ迫っている。
ルーマニア戦線では、ドイツ軍は攻勢を持続し、ロシア軍を削って行く。ロシア軍は戦況の見極めを行う。CP陣営は前進を行ったとしても、冬季に鉄道の変換を行えないため、補給の面でいつかは断念せざるを得ない。その地点までの一大撤退を決行したのである。ルーマニア戦線では、SUD軍の攻勢が続きロシア軍を削って行く。それに対してロシア軍指揮官・Dublin大公は素晴らしい戦況の見切りを行う。このままルーマニア国内での戦闘を続けておれば、時間は稼げるものの、ロシア軍の損害は多大なものになる。これはブレストリトフスク正面で一大攻勢を受けている状況では、許されざる事態である。そこでCP陣営の泣き所である、悪天候時に鉄道の変換を行えず、前進は補給の関係で停止せざるを得ない。それを見切り一大撤退を敢行したのである。正しく「GREAT RETREAT」!
東部戦線では、さらにロシア軍の一角を崩す。ドイツ軍の先鋒はブレストリトフスクまで、残るは2ヘクスまで迫ったのである。
『1918年1月』
天候 西部戦線:雪、東部戦線:雪
西部戦線では、フランス軍の定期便が実行される。ドイツ軍も積極的な行動は控えられた。
イタリア戦線では、またしてもCP陣営の一角が崩されている。しかもCP陣営の部隊数が減っているため、DXによる相互損害の結果が出た模様だ。
地中海戦線では、イギリスMEFの攻勢続く。
セルビア南部都市の攻撃態勢が進む。攻撃正面を3ヘクスへと拡張に成功したのである。残るは、ここまでの攻勢で失った部隊の回復を待つまでになった。
イギリスMEFはブルガリア国内でも攻勢。
これはブルガリア首都のソフィアを目指すものであったが、AAで損害を出しただけだった。
ルーマニア戦線では、ロシア軍の後衛である部隊をSUD軍が攻撃。壊乱状態へと追い詰める。しかし、一旦撤退したロシア軍主力が前進。整然と戦線と立て直したのである。
東部戦線では激震。ここまでロシア軍をDEで撃滅し続けたドイツ軍の攻勢であったが、遂にDXによる大損害を出す。これにより突撃歩兵が優先的に損失を被り、1918年にはドイツ軍の補充も激減するため、この突撃歩兵の回復が精一杯である。これらを勘案すればVP的だけでなくとも、敗北を認めなければならないのである。
尚、ターン終了時に勝利得点が11点のため、連合軍のサドンデス勝利も決定した。
『敗戦を噛みしめよう』
以上、一日目で22ターン。二日目で20ターンのガンズリプレイをお送りした。
敗因の分析をすれば、CP陣営のプレイヤー不足に相違ない。
我々の予想では、戦略的に動きを見せるのは一日目であり、二日目はその路線に従って進めればいい、と。
しかし、それは大きな間違いであった。
幾ら手錬のプレイヤーと言えども、到着早々に戦況を見極めるのは無理であったのだ。それを求めた西新宿鮫さんには大変申し訳ない事をしたと悔いている。
これは即ち我が千葉会がYSGAとのサークル総力戦に敗れたのに他ならない。
事前の準備と連度は凌駕していたと自負している。しかしながら、それは一時的な優位を齎しても、総力戦での勝利を得るには足りないのである。
半年以上経過しても、悔しさが湧き上がり止まらない。
私が当てにしていたのは、mitsuさんのゲームセンスだった。それを軽くいなしたDubinさんには敬意・・・。いや、無念の感情しか浮かばない。
太平洋戦争の故事にならい、千葉会の入り口の地面に、Dublinさんの似顔絵を踏み絵にして、この無念の忘れぬようにしようか、と思ったくらいだ。
敗戦を噛み締めて、リベンジの機会を待つとしよう。
(了)
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